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秋の八ヶ岳山麓 [2007年10月02日(Tue)]

















「秋日和」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。










 小欄でおなじみの石田良介画伯は、八ヶ岳山麓にお住まいです。

 趣を尽くした、お邸です。そこは海抜千メートルあまりあるのですが、さらにその上の、おそらく1400メートルはあろうかというところに別荘をお持ちです。

 いまごろはきっと紅葉の真っ盛りなのではないでしょうか。お便りをいただきました。

   〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃

 ここ2、3日雨が続いて寒く日中でも、15℃を下回る11月中旬の気候です。ストーブを焚いているお宅もあります。

 29日に八ヶ岳の山小屋に行った時、スケッチをしましたので添付させて戴きました。背景の山並みは北アルプスです。落葉松も秋は黄金色になって、とてもきれいですね。

 気候の変わり目ですので,呉々もお体をお大事にお過ごし下さい。

  〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃☆〃☆〃☆〃★〃

 今週末は、在日留学生などと山梨にぶどう狩りに行く予定です。もしかしたら少し足を伸ばして、石田邸に参上しようかと思っています。
単冠湾から真珠湾へ [2007年10月02日(Tue)]





単冠湾。9月1日撮影。






 文化チャネルさくらで、北方領土について
25分ほど話して戻りました。

 今夜8時からのオンエアのようです。

 三輪和雄、桜林美佐両キャスターと
井上敏治ディレクターの助言よろしきを得て、
なんとかお話ができました。

 特に、今回は
連合艦隊が集結した単冠(ひとかっぷ)湾について
説明してきました。

 択捉島の太平洋岸の大きな湾です。

 私が生まれた昭和16年、1941年11月末のことです。

 連合艦隊は、
南雲忠一中将率いる機動部隊旗艦「赤城」以下、
31の艦船が集結したのです。

 極秘に行われた行動であるため、
全艦艇は出港と同時に無線封鎖し、NHK海外放送の最後に、
日露戦争の雄とされた乃木希典大将の
「山川草木転荒涼…」が流されるのを聴き、
「日米交渉妥結せず、
続けて行動せよ」の意味であると理解して、
各艦船が集結地に向かったのだそうです。

 22日、空母「赤城」「加賀」、戦艦「比叡」「霧島」が
単冠湾に入りました。

 そして機動部隊指揮官、幕僚、飛行機隊幹部らが
旗艦「赤城」に参集し、
ハワイ出撃の最終的な詰めを行ったのです。

 しかし、荒天のため召集された将星全員が
「赤城」で一夜を明かすことになりました。

 26日朝、単冠湾を出航、
第一警戒航行(輪型陣)で航海したと伝えられています。

 針路97度、ほぼ真東に進んだことになります。
 濃霧、厳寒、荒天の中の船出でした。

 加えて、出航直後にこの付近で大地震があったようです。

 資料によれば、
この時の艦隊編成は概要次のようなものだったようです。

<空襲部隊>
第一航空戦隊 赤城・加賀(空母) 〈南雲忠一中将〉
第二航空戦隊 蒼龍・飛龍(空母) 〈山口多聞少将〉
第五航空戦隊 瑞鶴・翔鶴(空母) 〈原忠一少将〉

<警戒隊>
第一水雷戦隊 阿武隈(重巡) 〈大森仙太郎少将〉
谷風・浦風・濱風・磯風(第十七駆逐艇)
不知火・霞・霰・陽炎・秋雲(第十八駆逐艇)

<支援部隊>
第三戦隊   比叡・霧島(戦艦) 〈三川軍一少将〉
第八戦隊 利根・筑摩(重巡) 〈阿部弘毅少将〉

<補給部隊>
第一補給隊  極東丸・健洋丸・國洋丸・神國丸
第二補給隊  東邦丸・東榮丸・日本丸

<哨戒隊>
第二潜水隊  伊十九・伊二十一・伊二十三 〈今泉喜次郎大佐〉

 12月2日、午後5時30分(日本時間)、連合艦隊は、
「新高山登れ一二〇八(新高山登レ ヒトフタマルハチ)」の
暗号電報を受け取りました。

「12月8日にハワイの真珠湾を攻撃せよ」との命令です。

 航空機は380機、
内、真珠湾上からの第1次攻撃隊(183機出撃)で9機、
2次で20機(167機出撃)が地上からの攻撃に遭い、
未帰還となりました。

 また、いずれ詳しく紹介する海軍特殊潜航艇5隻の計9人が
亡くなりました。

 私が、晩年親しくお話を伺う機会を持った
酒巻和男少尉は
真珠湾内で捕虜となって、終戦まで抑留されました。

 私は今般、
奇跡的に晴れた中でその単冠湾に立ち、
その一週間後には台湾の新高山を飛行機で越え、
近々、初めてハワイに行き、
太平洋軍の案内により真珠湾を視察してきます。

 米側の被害についてはその後で、
報告します。


平均年齢95歳の鼎談 [2007年10月02日(Tue)]










 日野原重明、相馬雪香、城みさをの3先生は、
96、95、94歳におなりになる。

 いずれも現役として活躍されている。

 そこで、
10月13日午後1時から御茶ノ水駅前の電通会館で
この3人が「国際協力」について語るというのだ。

 合わせて「285歳になることから」、
「トークニーハチゴ」というのだとか。

 主催は3人がそれぞれ主催した、
キリスト教海外医療協力会、
難民を助ける会、そして、
さをりひろば。

 失礼ながらどんな鼎談になるかと
内心で心配していたところ、
先日私が出演したNHKの「ラジオ深夜便」で、
私のお相手役をしてくださった
遠藤ふき子アナウンサーが
交通整理の役をお引き受けくださった。

 ご快諾いただいたときには、心底ほっとした。
これで、まちがいなく鼎談は実りあるものになると
確信する。

 ひょっとしたらギネスブックもののこの鼎談、
あなたも参加してみませんか。
海洋基本法制定記念大会 [2007年10月02日(Tue)]



 日本は世界で6番目の広域な海洋国家








 海洋政策担当大臣である冬柴鉄三国土交通大臣。
メモも見ず、見事な内容の挨拶をされた。









 海洋基本法制定に中心的な役割を果たした武見敬三氏は
パワーポイントを使って記念講演。










 笹川陽平日本財団会長の話は、
きわめて格調高い国家戦略を説くものであった。





 10月1日正午から、憲政記念館で
「海洋基本法制定記念大会」が開催された。

 海洋政策研究財団が事務局となって
政官学産など各界が協力して
海洋基本法研究会(武見敬三代表世話人)を組織し、
鋭意研究し、政策提言をしたその成果が、
この画期的な法律制定となって実を結んだのであった。

 その意義や法制定までのいきさつについては、
同財団や親元の日本財団がくわしく報じているので、
私は昨日の大会で、印象に残った言葉を、
お伝えするにとどめたい。

<1> 「日本は島国国家ではなく海洋国家である」との認識を
共有しよう。この言葉は笹川陽平日本財団会長が
しばしば呼びかけに使う言葉であるが、
大会では石破茂防衛大臣が、笹川会長の言葉として引用した。

<2> 日本は海洋問題で先導的役割を果たすべきである。
「世界が」「国連が」ではなく、
海洋秩序の維持について先導的でありたい。(石破防相)

<3> 今までは海に守られてきた日本、
これからは海を守る日本でありたい。(笹川会長)

<4> 海洋政策研究財団はthink tankであるとともに、
do tankである。

<5> 今回は同財団が中心になって議員立法にまで持っていった。
今後の法律制定のモデルである。
これは今後の各研究機関の針路を示すものではないか。(同)

<6> 7月20日は「海の日」。この日は、「海で遊ぶ日」ではなく
「海を考える日」としたい。

<7> グロチウスは海は無限であるといったが、
そんなことはない。有限である。

 当たり前のことといえばそうだが、
海洋に対するこうした認識はしばしば軽視されることがある。
海洋政策研究財団のこれまでのご尽力を多とし、
「法ができて魂が入らず」などということのないよう、
8省庁にわたった海洋行政が、
海洋政策本部長たる首相の指揮下で
円滑かつ闊達に進められることを願ってやまない。


パチンコ業界の紳士たち [2007年10月02日(Tue)]




 成蹊学園では今年もオーストラリアのカウラとの交流活動を行った。
今年は中学3年生7名と、高校1年生9名を二人の教師が引率して
8月10日、成田を発ち、真冬のカウラに向かった。
ホームステイをしながら授業や学校行事などに参加する、18泊19日の短期留学。
阿部さんは、成蹊高校時代に1年間、カウラに留学した。








  阿部恭久氏という若い友人がいる。それぞれ別の目的と仲間で、たまたま昨夜も、きょうも夜はご一緒する。若いというが、もう48歳。東京や埼玉で、パチンコ店(計7000台)、ボウリング場、レストランに加えて、社会福祉施設を経営している。

 パチンコに関しては、東京都遊技業共同組合(都遊協)、全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)、社団法人日本遊技関連事業協会(日遊協)の各最高幹部の任にあり、業界の改善と向上に日々、駆けずり回っている。

 私のみるところ、この業界は世間の目と内実とに驚くほどの乖離がある。たとえば、早い話こんなことは想像できますか?

 日遊協の会長は、歴代、青山学院か立教大学の卒業生がたまたま交代で就任しており、今の方は、62歳、立教出身のクリスチャンで、ロータリークラブの役員。皇族との昵懇ぶりは知る人ぞ知る。

 原田實先生は全日遊連の前会長で現在、都遊協の理事長である。長く小学校の教師だったし、式辞や講話で感動的なお話しをされ、理事長としてのまた教育者としての矜持を保っておられることから、私はいつも、先生と呼ばせていただいている人だ。

 阿部さんは、日遊協では副会長。いつでもパソコンを持ち歩き、会議では必要な情報をそこから出しながら建設的な発言をして、パチンコの健全化と「遊パチ(遊戯性を高くした安価で遊べる機械)」の普及に情熱的に取り組んでいる。

 この人は青山でも立教でもない、下からずっと成蹊に学び、高校時代はテニスのインターハイに出場し、大学では法学部に進んだ。

 高校時代、オーストラリアのカウラに1年間留学もしている。人口7千ほどのこの町では、太平洋戦争中、日本人捕虜の大反乱事件があったが、それについては、拙著『捕虜の文明史』(新潮選書)や『聞書き日本人捕虜』(図書出版社)で書いたので省きたい。

 ただ、カウラと成蹊との交流は、阿部氏が留学する1年前から始まり、もう30余年、活発に行われている。見事というほかない。私学にはしばしばこういうすばらしい伝統と他にできない教育の場がある。

 昨夜は、一緒に六本木で食事をしていてその話になり、「カウラに詳しい人にはめったに会えない」と、その後もカウラとさまざまな付き合いをしている話をしてくれた。

 阿部氏はその後、「天下の」竹中工務店に10数年勤務してから、親の仕事を継ぎ、瞬く間に遊技事業も拡大し、他の事業にも手を伸ばした。竹中で拾得した技術・智慧・人脈そして社会人としての基本を今、生かしているといわれる。

 阿部さんは世代的にもそう遠くないうちにこの業界の最高指導者となるのではないかと、私は期待しているが、パチンコ業界の少なくともトップには、こういうすばらしい人が、ほかにも大勢いる。

 業界全体で「30兆産業」といわれていたが、今はやや少なくなった。とはいえ、28兆というのは巨大産業であることに間違いない。それだけに社会的責任もあれば、社会をよくするうえで、先導的な役割を期待されているのだ。トップたちは今、眦(まなじり)を決して、業界の改善に尽力している。

 そのひとつが、昨年発足した有限中間法人遊技産業健全化推進機構だ。東京地検特捜部長や最高検察庁公安部長などを歴任した河上和雄氏が理事長、読売新聞から報知新聞の社長になられた伏見勝氏が専務理事に就任して、業界への厳しい監視にあたっている。

 今夜は、関昭太郎(早稲田大学前副総長、東洋大学理事長、東京財団監事)を囲んで、以上名前のあがった中の数人で、業界のあり方について意見を交わす。私もその片隅で、この業界の社会貢献のありかたなどにつき、利害がないだけ、率直な物言いをしようと思う。

 阿部氏は「ゆとり教育」の是非についても、一家言を持っている。昨夜は話が半分になったので、きょうはその続きもしたい。
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