CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2007年09月 | Main | 2007年11月»
<< 2007年10月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
対露ビザ廃止は不可 [2007年10月01日(Mon)]




 択捉島紗那の学校の構内から撮影した散布山(ちりっぷさん)。
2007年9月1日撮影






 横浜在住の国際問題評論家S先生から、
ご提案をいただきました。

「北方領土問題を解決し、日露関係を発展させるためには、
両国で行なっている<ビザなし交流>を、
まずサハリン州と北海道間で、次に、
ロシアと日本全体で行なうべきであるが如何」。

 お答えします。

 結論から言うと、日露平和条約が締結され、
順調に両国間の交流が進んでからの課題であると思います。

 北方領土との<ビザなし交流>は、ご存知のように、
1991年4月にソ連のゴルバチョフ大統領が来日した時に、
先方から提案され、
同年11月の外相間の交換公文で決定した特別のシステムです。

 これは、択捉、国後、色丹、歯舞のいわゆる北方四島の帰属が
未確定であるため、当該地域との人的交流には、
お互いにパスポートやビザを所持・取得しての訪問ではなく、
これらとは違うシステムによって相互訪問を行なおうということです。

 日本は閣議で、四島にビザを取得して訪問すること、
すなわち当該地域をロシア領と認める形での訪問をしないように
決定しています。

 ピースボートのように、この閣議決定を無視して、
ロシアのビザを取得して強引に北方領土を訪問するというのは、
公の秩序を乱す社会問題であり、
ひいては「利敵行為」かと思います。

<ビザなし交流>は、このように四島の帰属が
最終的に決まっていないことを日露両国が諒解しているからこそ
行われるものであって、サハリンと北海道でこれを行なうというのは、
サハリンのロシアへの帰属について、
ロシア政府が認めないということになり、
また、同様に、日本もロシアの実効支配を認めない
ということになるのです。

 日本は20世紀の末に、
ユジノサハリンスク(旧豊原)に総領事館を開設しました。

 開所式には、当時、日露関係に大きな影響力を持っていた
かの鈴木宗男氏も出席しましたが、
私も参列しました(今は、基本的な立場が異なり、
交友関係はありません。念のため)。

 サンフランシスコ講和条約で、
わが国は北緯50度以南のサハリンを放棄しましたが、
その法的帰属は依然最終的には未画定です。

 しかし、この総領事館の開設は、
日本外務省、日露間の未解決の領土問題にサハリン本島を除外し、
四島に限定しているということを示すことでもあります。

 ちなみに日本共産党は、
サハリン州が現実に管轄している全千島の返還を
要求しています。

 そのためには、
サンフランシスコ講和条約を改定して締結しなおすほかなく、
それはあまりに非現実的であると思います。

 もう一つ、サハリンとのビザを廃止出来ない理由は、
日本は原則として、地域限定ビザ制度をとっていないことです。

 つまり、サハリンの人が北海道にビザなしで入国し、
そこから自由に日本中をまわってしまう可能性が高いので、
これもまた容易ではない問題です。

 これまでも日露間では遺憾ながら
しばしばスパイ騒ぎがありました。こうしたことの防止のためにも、
大変不便ではありますが、当面、
両国間では「ビザあり」でお付き合いするほかないと愚考します。

 私は100回はロシアに行っていますが、
その都度ビザの取得では時間も費用もかかりました。

 この手間は日露両国民にとって、お互いに大変なことです。
そのためにも1日も早く、北方領土の返還を実現して、
日露平和条約を締結することが、
双方の利益にかなうと考えるのです。

 両国が、日本と多くの国がそうであるように、
観光ビザが不要になればカムチャツカ半島やバイカル湖、
ウラジオストク周辺など、日本に近いところだけでも、
眼を見張るような観光資源は絶大であり、
両国関係は一挙に進むものと思われます。

 尊敬するS先生に置かれましても、
何卒、上記事情をご賢察賜り、
「両国の利益」のために、ご助力いただきたい次第です。

 なお、本件についてさらにご提案、ご助言などがございましたら、、
すみやかに回答する所存ですので、率直にお申し付けください。

| 次へ