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森繁さんと石田画伯 [2007年08月23日(Thu)]










 昨日(8月22日)付読売新聞夕刊に、石田良介画伯の力作である『霜夜狸』(文部科学省選定作品)のDVDの話が出ていた。

[夕景時評]というコラムで、森繁さん「最後の作品」と題する、南砂編集委員の記事だ。 

 石田先生の原画と、これまでの作品の一部が展示される展覧会(ニッポン放送主催)は、25日(土)〜31日(金)まで、丸の内オアゾ(千代田区丸の内1−6−4)で、午前9時から夜の9時まで開催される。週末は石田先生も会場に立つとのこと。

 是非、ごらんください。感動ものです。


    ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 
 「森繁久弥最後の作品」と銘打たれた一人語りのDVDが静かな反響を呼んでいる。劇作家、宇野信夫さん原作の「霜夜狸(しもよだぬき)」という作品だ。

厳寒の夜、暖を求めて老いた山番のもとを訪ねた古狸は、老人がもう一度会いたいと願う亡き息子に化けて、炉端に座る。狸と老人の心のふれあいを見事に語り分ける森繁節に、石田良介さんの「剪画(せんが)」という影絵のような絵が調和して、独特な世界を作り上げている。

 森繁さんは今年94歳になったが、この朗読は、今から16年前、78歳の時のものだ。

宇野さんが秘めた思いを込めて書いたという「霜夜狸」は1942年、ラジオで放送され、後に落語の人情噺(ばなし)としても知られた。

この作品に思い入れを持った森繁さんは、宇野さんから「森繁さんならいかようにも」との許諾を得て、一人語りを録音。舞台化も考えていたようだが、お蔵入りしてしまったという。

 99年、自らも息子に先立たれ、森繁さんの思いはさらに深まる。そして今春、秘蔵の録音がDVD「森繁久弥の霜夜狸」として世に出ることに。親子の情愛が薄れつつある今こそ聞いてほしいと、次世代に贈る「最後の作品」だという。

 日本の原風景を思わせる剪画の世界で紡がれる、狸と老人のほのぼのとした対話に、文部科学省と日本PTA全国協議会は相次いで選定、推薦などのお墨付きを与えた。剪画の世界をきっかけとした芸術療法がうつ傾向改善などに有効、との専門家の声も聞く。

 25日から丸善・丸の内本店(東京)で始まるDVD原画展では、ダイジェスト版の上映もあるという。森繁さんの思いが一人でも多くの人に届くことを願う。


中国の常識は世界の非常識 [2007年08月23日(Thu)]





  蕎麦屋の庭先でこんな花が咲いていました。
 名前は蕎麦屋の主人も、私も知りません。







 報道を総合すると、中国の対日姿勢に変化が見られる。

 当然とは言え、いいことだ。

 少しは「世界の常識は中国の非常識」「中国の常識は世界の非難の的」という状況が改善されてゆくのではないかと期待したい。

 そんな一例が、朝日新聞の昨日(8月22日付)の記事に出ている。各紙にも同様の記事がある。

 尖閣諸島を中国のものだと主張するのは、あまりにムリ。あそこでは長年にわたり、古賀家がさまざまな経済活動を行ってきたし、戦後は米軍が射爆場としても使用してきた。

 中国は、当時、何かクレームをつけていたか。

 1970年代になって、国連の調査機関が、石油や天然ガスがあるかもしれないと言い出したとたん、「尖閣諸島はオレたちのもの」といっても通らないというのが、「世界の常識」(国際法)というものだ。

 記事を読み落とした方もおられるのではないかとあえて全文を転載する。

    +++++++++++++++++++++++

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)に中国の領有権を主張するため、香港から同海域へ抗議船を出そうとしていた活動家らの計画が21日、香港海事当局による運航許可証取り消しによって中止に追い込まれた。中国と台湾の緊張が高まるなか、「日中関係の維持」を重視した中国政府の強い意向が働いた模様だ。

 香港の団体「香港保釣行動委員会」によると、メンバー10人余が21日、漁船で香港を出航する予定だった。しかし、香港海事当局は定員である8人を超えているうえ、船体に取りつけた足場の板が「改造に当たる」として20日夕、漁船の運航許可証を取り消したという。

 同委員会は96年以降、毎年のように日本政府に対する抗議船を出しているが、香港当局が定員超過などを理由に出航を差し止めたのは初めて。メンバーは「政府の態度は百八十度変わった。計画を発表した7月以降、常に海事当局などの船が漁船を監視し、注文をつけてきた」と話した。

 中国中央政府は10日、同委員会に対し「中日関係は改善しつつある。台湾海峡の状況が緊迫する中、大局を見る必要がある」との文書を送った。

 香港海事当局は政治的配慮を否定。しかし、香港政府関係者は「外交は中央政府の管轄であり、香港政府がその意向を踏まえるのは当然。『台湾』名による国連加盟運動などで緊張関係が強まる中、中国政府には日本と良好な関係を維持したいとの意向があるようだ」としている。
朝日と読売 [2007年08月23日(Thu)]





     日本のマスコミに暗雲? ではない。これは単なる「夏の夕焼け」。雲が軽い。



 朝日新聞の報道姿勢が
昨今、かなり大きく変わってきているとは思いませんか?

 きょうの朝刊では、南京事件について、
「両論併記」をし、
かつ、
中国が「30万人虐殺」という暴論を事実上みなおしたことについて、
はっきりと報じている。

これまでの「中国の主張が真実で朝日は
それを忠実に広報している」といった
“誤解”をまねきそうな姿勢とは
ずいぶん、変わったように思える。

 新聞でもなんでも、人生、
過ちは「すぐに、はっきり、かつ丁寧に」
お詫びして
訂正するのがいい。

 これまで、朝日新聞に対する多くの批判は、
つき詰めて言えば「どこの国の新聞なのか」ということであった。

 それが、この記事に限らず、
客観的な報道をすることに心がけておられるような様子は、
一読者としてまことにありがたい。

 夕刊で好評の「新・人脈記」で、
第1回目(確か一昨年の秋)に中曽根康弘元首相を取り上げ、
早野透「大」記者が
渡辺恒雄読売新聞会長との関係を、
品よく、かつ核心をついて紹介していた。

 そのシリーズの中で、
わが師・末次一郎や、
難民を助ける会の創立者である相馬雪香会長(尾崎行雄の3女)、
そして柳瀬房子理事長らを
大きく取り上げる(その中で私までも写真つきで登場したのは蛇足!)など、
従来の報道姿勢との違いを見せていた。

 他方、ライバル紙である読売新聞の姿勢が、
渡辺会長の「ツルのひと声」で、
靖国に強硬な態度をとるなど、
「朝日寄り」になってきた。

 新聞社間の競争はいよいよ激烈になってきている。

 そして新聞購読というパイそのものが小さくなってきている。

 その中で生き残るには、ライバル紙の読者を奪うしかない。

 まさか、朝日と読売が相手に擦り寄って、
読者を奪おうとしている「商業紙的ニード」によって、
編集方針を変更しつつあるというわけではあるまい。

 内外の動きが大きく転換しつつある。

 日本を代表するというべき「両雄」の報道振りに注目し、
期待したい。

 また、PCとテレビでしかニュースに接しないという傾向のありがちな、特に若い人に言いたい。

「活字媒体に接することによって、人間は磨かれるのだ」。
石田画伯の八ヶ岳 [2007年08月23日(Thu)]





 八ヶ岳については、私が撮影した写真よりも、石田良介画伯の絵がいいに決まってるのいで、先日来、なんとかして6枚組の絵を一挙に思って努力してみましたが、私の稚拙極まりないPC技術ではいかんとも為しがたく、本日はせめてと思い、6枚中、5枚分のみ掲載させていただいてみました。

 うまくできたら拍手ご喝采といったところ。
久米先生のご託宣 E [2007年08月23日(Thu)]






驚き6 ここまで書いてもまだ違和感、そして新しい挑戦

 しかし、事例発表会の後に書かれた「ブログ祭りで新たな挑戦へ」という記事を読んで、またも驚いたことがありました。「ブログ祭り」なるものに初めて参加して、なぜかほかではとても味わったことのない、違和感を覚えた....とおっしゃるのです。

 この日のブログの冒頭には、恩師が書かれたという「挑戦」の二文字がありました。

──────────────────

(前略)
 3年前まで大学勤めだったので、学会や国際会議にはいまでもたくさん出席する機会があったし、ある。そうした場面で、時々、自分の知識の不足で理解が出来ないということはあるが、ここまで疎外感に打ちのめされるということはなかった。

 別の惑星の中にタイムスリップしたといってもいい。とにかく発表者の話が半分も分からないのである。使用するコンピューター関連の言葉の意味が分からないから、ちんぷんかんぷんなのである。

 自分の事例報告では、「皆さんのおっしゃることの半分しか分からない」と申し上げたが、とてもそんなものではない。正直、精神的についてゆけなかった。

 それでも、終わってからの懇親会では、さまざまな方々からお声をかけていただいた。ほとんど欝状態だった私はきっと失礼な対応をしたのではないかと思うと、今夜は眠れそうにない。

 それにしても皆さんのレベルの高さには感嘆した。しかし、私にも多少の意地がある。心密かに、「挑戦」を決意した。

───────────────────────
 

この記事を拝読して、ちょうど、10年ほど前に「経営情報学会」なる場違いな会に参加した時の気分を思い出していました。コンピューターの世界は、英文字それも3文字略語のオンパレードで、これは何語だろうと途方にくれたのです。気がつけば、私も無意識に業界用語を使う人間になってしまったのかもしれません。

 しかし、私のささやかな経験からすれば、業界用語やブログ等の操作に慣れるのは、まさに「時間の問題」です。一方、ITだけが得意な人間が、吹浦先生と同じブログを書けるかというと....もちろん、難しいでしょう。

 私のようにデジタルもアナログも中途半端な人間から見れば、吹浦先生をはじめとする博識アナログ行動派は、うらやましい限りなのです。       (つづく)
八ヶ岳2007年夏 [2007年08月23日(Thu)]














 大阪のHさんからは、さらに、
「できれば八ヶ岳の写真を」と注文が来ました。

 少し前、私が撮影したものでよければどうぞ。

 これは、山梨県北杜市大泉町小荒間から撮したものです。

大阪の人が2時間くらいで行ける山って、伊吹山とかですか?
小学生に見せたい収穫A [2007年08月23日(Thu)]
























  撮影はいずれも山梨県内で。上は石田画伯の畑で、中央は明野の新井さんのリンゴ畑で、下は高速道路小渕沢IC付近で。。

  私は農家の出ではありませんが、時代が時代ですし、秋田の片田舎に18歳までいたものですから、さまざまな農作物との出会いを体験しています。

 戦時中に兄に連れられて、疎開先の和田町のあぜ道で野いちごを採ったのが最初の思い出で、小学生のころのナシもぎで、枝についたままのナシをかじって、教師に大目玉を食らったこともあります。「果実を尊重し、感謝する気持ちがない」。

 反省しています。

 都会の子供たちがこういう「農産物」と触れ合う機会を大いに持ってほしいものです。
海面下の道 [2007年08月23日(Thu)]







 

 
 羽田空港付近の高速道路で水面下を走るとき、今でも、この上が海なんだよなぁ、と小さくため息をつく。そんなことって、皆さんありませんか。

 そこで、高いところの道路ばかりではなく
低いところについても触れておきたい。

 鉄道専用トンネルとしては、戦時中の1942(昭和17)年、
関門鉄道トンネルが完成している。時節柄、写真がほとんどのこっていない。


  ウィキペディアが、具述的に面白いエピソードを紹介している。

「工事に際しては参謀本部が作成した地図を用いたが、先通導坑を掘削した結果地図に若干の誤差があることが明らかになった。最初に貫通した下り本線ではその誤差を念頭に置いて工事が行われたが、上り本線では下関側の工事責任者の手違いから地図が正確なものとして工事が行われた。結果として双方から掘り進めてきたトンネルは上下に10cm食い違ってしまい、貫通点付近の100mほどを掘削し直す破目になった」。

 素人の私にはこれがそんな大問題なのかがよく解らない。両側から掘って行くのだろうが、中央で出会うのさえ、不思議なくらいなのに。

 1975(昭和50)年には山陽新幹線用の新関門トンネルが完成した。水面下66mを通過する。
 
 国道で最も低いところを通っているのは、関門トンネル(国道2号線)。
 1958(昭和33)年の完成。

 海面下60mの地点を通っているのだそうだ。

 青函トンネルは海面下100mほどのところを通っているが、
鉄道専用のトンネル。長さ53.85平方キロは、、
英仏トンネルについで長さで世界第2位。

久米先生のご託宣 D [2007年08月23日(Thu)]






驚き5 ブログを書くことで検索エンジン対策
         =ネット上の存在感急拡大



 これだけ更新頻度も質も高いと、公益ブログCANNPAN中の人気ランキングでも、上位の常連になるのは当然です。

 そして、Googleでの検索結果にも大きな影響を与えます。2006年6月15日正午現在で「吹浦忠正」とお名前検索いたしますと、3万3600件がヒットします。元大学教授で数々の公職をお勤めですから、このヒット数にも納得です。もちろん、今やトップ表示は、所属されている東京財団を抜いて、ご自身のブログです。

 また、試しに「吹浦忠正 ブログ」と複合検索を試みますと、約1万2800件もヒットするのです。その筆頭は、もちろん、ご自身のブログですが、良く見れば、吹浦先生のブログを紹介するブログなども散見されます。もしブログを始めていなかったら、こうした書き込みはなかったはずです。

 これからも、ブログを続けて愛読者が増え続ければ、ご著書のみならずブログをご紹介するブログが増え続けることでしょう。そして、常に筆頭に「新・徒然草ブログ」が表示され、「今・ここでの想い」をより多くの人にリアルタイムで伝えることができるようになるのです。

                                   (つづく)
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