2007年夏 D [2007年08月04日(Sat)]
相対峙すること90分、 「互いに退治はむりだよな」と、 語り合ったとか。
その間、ミズナラの幹の割れ目に隠れていたクワガタが2匹、 終了ゴングでハチがリンクを離れたことを知るや、 ゴソゴソと出てきた。
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吹浦 忠正
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能代工、4年ぶりのV [2007年08月04日(Sat)]
能代工業高校正面玄関にはバスケットボールでのシュートする姿の像が建っている。 ついでに秋田自慢をもう一つ。
今朝の朝日新聞によれば、秋田の県立能代工業高校が、佐賀で開かれている高校総体のバスケットボール男子で、4年ぶりに王者に返り咲いたという。
1996〜98年度は、かの田臥らが大活躍だったし、その後も全国制覇を続けた。が、2004年からは、有力で2メートル台の長身留学生を抱える九州や関西の高校に優勝をさらわれていた。
今年のチームは「198センチの満原が外郭からシュートを放つかと思えば、小柄な選手がゴールしたに走りこんでねじ込む」、そんなチーム。「速さと技、伝統復活」と見出しが輝いている。
長身を克服するため、6月には、初の海外遠征として、ロシアや韓国のチームも参加した台湾での交流戦に参加、米国などからチームを招いての交流戦も重ねたという。
通算57度目の全国制覇というのがすごい。
甲子園には県立金足農業高校が出る。わが母校・秋田高校を決勝で破ったのだから祝福したい。母校は、第1回大会(当時は、全国中等学校野球選手権大会)の準優勝高。延長13回にホームスチールで負けたという話が、伝説か神話のように語り継がれている。
他にも県立秋田工業高校のラグビー部はたぶん、全国最多優勝高ではないだろうか。
私が在校生だった前後には、ほかにも本荘高校のボート部、湯沢北高校の女子スキー、秋田高校の剣道部などが全国優勝を重ねていた。
これらが全部、県立高校であるのが、いいじゃないか。
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吹浦 忠正
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竿灯に130万の人出 [2007年08月04日(Sat)]
先日、秋田の竿灯について書いた。昨日からはじまった今年の「竿灯まつり」、<「過去最多となる248本が出竿し」、約1万個の提灯が通りを埋め尽くし、「光の稲穂」が夏の夜空に躍った(毎日新聞)>。
実行委員会は、6日までの4日間で約130万人の人出を見込んでいるのだとか。
身びいきの私は、人口30万ちょっとの秋田市で130万、東京に換算すると6千万人くらいか、と嬉しくなる。
初日の3日、台風5号の影響下、秋田では気温が37度だった。「これは東京に換算すると・・・」。こうなると、わが認知症ぶりも、ほとんどバカというほかない。写真はgooから。
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吹浦 忠正
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2007年夏 C [2007年08月04日(Sat)]
メスの喧嘩には興味がない? 最初はこれだけだったんです。 どこから攻めたらいいのかな? リーチが違うって大変なこったわい。 カブトムシとハチの喧嘩を見物しています。
ミズナラの幹のくぼんだところに2匹のカブトムシ、 そこにやってきた1匹のハチ。
リーチの長さが違うため?ハチは苦戦。ちょっかいを出すと 前足で、ウルサイとばかり交わされる。
仲間のカブトムシが近づくが、特に援軍というわけでもない。
近所にはオスが微動だにせず、悠然としている。
30分経ったが、勝負なし。私もきょうは暇なようだ。
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吹浦 忠正
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2007年夏 B [2007年08月04日(Sat)]
九州を抜けた台風が隠岐島付近から日本海をとおり、 いままた津軽海峡方面に差し掛かっているのだとか。 進路にあたるみなさまへお見舞い申し上げる。
このまま行くと北方領土にも被害をもたらしかねない。 いつかもそんなコースを辿ったことがあったが、 無防備のロシア人たちは大変な目にあったようだ。
今月末に私もゆくが、この間も 「ビザ(正しくはパスポート)なし」訪問で、 多くの人間関係が生まれているだけあって、 心配している元島民や、返還運動関係者は少なくないはずだ。
私たちはいま住すんでいる人たちを 個人的にうらんでいるわけではない。
あの人たちの多くは国策に乗せられて移住した人たちだ。
台風は今年はまだは5号。東京にはあまり来ないので、 ついつい怖さを忘れてしまう。
この季節、せめて各地で祭りの 続く東北を縦断しなかったことだけでも 幸いとしよう。
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吹浦 忠正
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日本防衛の最前線 [2007年08月04日(Sat)]
白村江の戦い(663)で唐・新羅の連合軍に惨敗した日本は、 対馬を防衛の最前線として、 新羅来寇の「Xデイ」に備えた。
大和朝廷はこの国難に対応するため、大宰府を前線本部とし、 はるばる東国からの兵士を送って、 対馬、壱岐、、北九州に一大防衛体制を築いた。
この写真は、対馬市美津島町北岸、 浅茅(あそう)湾の入江を臨む高台にある金田城。
大和朝廷が築いた朝鮮式山城である。 高さ2mを超える城壁と城門、水門などの遺跡がのこっている。
釜山との距離はわずか50キロほど、晴れてさえいれば 目視できる。
古くは「かねたのき」と呼ばれてきたが、 今では「かねだじょう」と ルビがふられていることに、郷土史家たちは 口をそろえて不満を述べる。
そういえば、「白村江」も「はくすきのえ」ではなく、 「はくそんこう」(韓国では、ベクソンガン)と 読ませるのが普通らしい。
もしかして最近の教科書では、 「新羅」も「しんら」と読ませているのかもしれない。
「金田城」とその周辺は、国の特別史跡として 文部科学省がすべてを管理している。
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吹浦 忠正
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2007年夏 A [2007年08月04日(Sat)]
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戦争に制約をB [2007年08月04日(Sat)]
1949年の「ジュネーブ条約」には日本を含む194カ国が加盟しており、77年の「追加議定書」では、第一議定書((「国際的武力紛争の犠牲者の保護」について規定)には167カ国が、 第二議定書(「非国際的武力紛争の犠牲者の保護」についての規定)には、163カ国が加盟している。
米国は第二議定書のみ批准している。 (締約国数はいずれも2007年1月末日現在)
なお、わが国が1949年の同条約に入ったのは、1929年の「俘虜ノ待遇ニ関スルジュネーブ条約」に加盟しなかったことから、51年の対日講和条約の際、義務として加入させられた時。
2つの議定書には主要国のすべてが加盟しているが日本は4半世紀もの間、署名もせずにいた。これは日本が「国際的な義務をはたそうとしていないのではないか」「再び捕虜の虐待も辞せずという思いがあるのではないか」といった誤解のもととなりかねなかった。
関係者の尽力と、はっきりいって日本社会党という無責任政党の衰微で、有事法制が少しずつ実現し、こうした国際人道法の分野でも日本は一歩前進した。日本は、2004年8月31日に2つの追加議定書に加入した。
なお、2つの議定書に加入していなかった理由をもう少し述べれば、「戦時立法」へ取り組むことにアレルギーを感じている政治家や、平和ボケ、票につながらないことはしないという怠け者の政治家が多かったことによる。
難民を助ける会出身の藤田幸久衆議院議員(当時。2007年7月の参院選で茨城地方区から最高点当選)は衆院選挙当選からほどない時期にこの問題を取り上げて以来、政府に強く加入を迫ってきた。しかし、日本政府は検討中とのみ答え、署名も(批准も)行ってこなかった。
これは世界に「日本は世界とともに国際人道法を守る国ではない」というまちがったメッセージを送る結果となっている。私たちは外務省と政治家たちに猛省を促したのであった。
<注> 外務省のHPより
1.1949年のジュネーヴ諸条約 (ジュネーヴ4条約)
武力紛争が生じた場合に、傷者、病者、難船者及び捕虜、これらの者の救済にあたる衛生要員及び宗教要員並びに文民を保護することによって、武力紛争による被害をできる限り軽減することを目的とした以下の4条約の総称です。
2.ジュネーヴ諸条約追加議定書(1977年採択)
武力紛争の形態が多様化・複雑化したことを踏まえ、文民の保護、戦闘の手段及び方法の規制等の点で、ジュネーヴ諸条約を始めとする従来の武力紛争に適用される国際人道法を発展・拡充したものです。国際的な武力紛争に適用される第1追加議定書と非国際的な武力紛争に適用される第2追加議定書があります。
国際人道法の発達や内容について詳しくは、専門書としては藤田久一・関西大学教授の『国際人道法』(世界思想社)と足立純夫・防大教授の『現代戦争法規論』(啓正社)を、入門書としてはモーリス・トレッリ著『国際人道法』(斎藤恵彦訳、白水社クセジュ文庫)と拙著『捕虜の文明史』(新潮選書)、『赤十字とアンリ・デュナン』(中公新書)を参照されたい。
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吹浦 忠正
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戦争に制約をA [2007年08月04日(Sat)]
戦争に何らかの制約を加えようという人類の歩みも、いよいよ20世紀に近づいてきた。 以下、8年近く前の拙著『NGO海外ボランティア入門』(自由国民社)に加筆してお伝えする。
☆―――――― ・・・ ―――――― ・・・☆
1899年7月29日の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(陸戦法規)」には「ブラッセル宣言」や「オックスフォード提要」の内容が、確実に受け継がれた。
また、これを討議したハーグでの万国平和会議(26カ国が参加)では、 @空中からの投射物及び爆発物の投下の禁止、 A窒息ガスや有毒ガスの散布の禁止、 Bダムダム弾の使用禁止 の三宣言等が採択された。
わが国はハーグ会議において初めて、戦時国際法を討議する重要な会議の参加メンバーとなり、陸戦法規や三宣言に加入した。
そしてこの「陸戦法規」は現在の国際人道法の基幹をなす、1949年8月12日の「ジュネーブ条約」と77年の同条約の2つの「追加議定書」の出発点になったものである。
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吹浦 忠正
at 08:00 |
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日本の最西北端 [2007年08月04日(Sat)]
7月末に対馬に行くことができた。
ここには「日本最西北端の碑」という少々ややこしい碑が建っていた。
なるほど地図帳に三角定規をあててみると納得できる。
場所は、対馬市上県町棹崎。ツシマヤマネコをはじめ、 棹崎自然保護センターの裏山といった感じの場所である。
このセンターでは、対馬には固有種や、 日本の他の島にはいないが朝鮮半島にはいるといった動物たちを 調査し、保護している、
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吹浦 忠正
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2007年夏@ [2007年08月04日(Sat)]
いつまでも殻に閉じこもって、 自由な発想のできないまま、 のうのうと日を過ごしているわが身に比べ、 セミは、苦節ウン年、 最後に脱皮して華麗に人?生を終える。
ま、そう、あまり深刻に考えずに、 夏の風物詩を楽しもう。
撮影は、今夏、八ヶ岳山麓で。
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吹浦 忠正
at 07:55 |
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