90歳のブルーベリ博士 [2007年07月10日(Tue)]
挿 画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。 果物の季節です。 昨日、石田良介画伯のスケッチを2点 紹介させていただいたところ、 すばらしいというメールを お三方からいただきました。
いやしい私などは、つい、 「画餅」より、「本物の餅を」というタイプで 顰蹙を買うのですが、 そうこうしているうちに、石田画伯から、 こんなメールと絵がおくられてきました。
みなさん、食べないで下さいね。
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ブログを拝見させて頂きました。 拙画のサクランボと梅の絵が掲載されて居りまして 有難うございました。
あのザクランボは 秋田県角館町の前町長・鈴木さんが お届け下さいましたものです。
今日はまた、同じ秋田県の横手市の知人から 角館のサクランボが届きましたので、 スケッチしました。
また、今日の午前中にわが町のメンバーうちそろって、 90才になられました小尾さん(山梨県北杜市長坂町)の畑に ブルーベリーを摘みに行って来ました。
粒が大きくて甘くてとても美味しかったです。
我が家のブルーベリーも昨秋から小尾さんに、 剪定など観て貰って居ります。
90才でも全くボケてないで現役で頑張っていて、 ブルーベリー博士と言われております。
ブルーベリーの生育の指導と相談で 茨城や栃木、神奈川、長野まで出かけて居ります。 まさに超人です。
そのブルーベリーをスケッチしましたので 添付させて頂きました。
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石田画伯を通じ、小尾さんの元気を頂戴しました。 ありがとうございます。
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Posted by
吹浦 忠正
at 23:04 |
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日本人の矜持として [2007年07月10日(Tue)]
北海道礼文島で読売新聞(7月5日付)に、「ビザなし」訪問団員として国後、色丹両島を訪問した黒見周平記者の報告「進む開発、遠のく返還」が載っている。同記者の結論は、
<ロシアは近年、好景気を背景に莫大(ばくだい)な予算を投じて北方領土の開発を進めようとしている。このため「ロシア人島民の意識も、自立志向が強まっている」と感じた。このままでは、停滞している日露の領土交渉を促進するのは容易でない>というものである。
記事の概要は以下の通り。
■韓国製品も目立つ (6月)29日早朝、訪問団が最初に上陸した国後島。島を縦断する幹線道路は未舗装で、幅も片側1車線程度しかない。大半の道路が雨が降ればぬかるむ状態だ。
それでも、島民の多くは「生活は向上している」と口にした。
訪問団が「国後銀座」と呼ぶ島内唯一の商店街。店は15軒程度だが、最近、食料品店と衣料品店が新たに開店した。店舗数は毎年のように増えているという。
品ぞろえも意外と豊富だ。食料品店にはロシアの食品だけでなく、韓国の菓子や中国の調味料などが並ぶ。電化製品はサムスンのテレビなど韓国製が目立った。「国後島では、以前は北海道から運んだ日本製品が多かった」と聞いていたが、日本製はソニーのラジオが目に付いた程度だった。
漁業関係者を中心として根室との経済的なつながりが深い一方で、サハリン経由の取引が活発になっているという話も耳にした。
北方領土に詳しい訪問団関係者によると、1994年の北海道東方沖地震の後、3万人近かった4島の人口は1万4000人程度まで減ったが、最近は1万7000人程度に回復。島民たちも「人口は増加傾向にある」と口をそろえる。
視察先の一つ、ベーロチカ幼稚園は、30人余の児童が入園待ちの状況だった。ワドネワ・ワレンチーナ園長代行は「島は今、ベビーブームだ。従来の水産業のほかに、建設業の仕事が増え、若者の数が増えているためだ」と説明した。
■モスクワへの期待 ロシア政府の巨大な投資計画が、島を活気づかせつつあるように思えた。 ロシアのラブロフ外相は今年6月、旧ソ連崩壊後初めて外相として国後、色丹両島などを視察し、島の開発に意欲を見せたという。
我々を夕食に招いてくれた公務員の男性は、「政府は最近、極東開発を重視している。外相訪問はその表れだ」と語った。
色丹島で1日に開かれた歓迎会では、南クリル地区のダネーリヤ・ショートビッチ副議長が「政府は今年から9年間で約180億ルーブル(約860億円)をかけ、北方4島を含むクリル(千島)列島の『社会経済発展計画』を進めている。色丹島でも、桟橋や道路、病院、発電施設などを建設する」と胸を張った。
■強気の発言 29日に国後島で開かれた対話集会では、ロシア側出席者から領土問題で強気の発言が相次いだ。
「島を渡せば、第3次世界大戦のきっかけになる」「日本人は4島から追い出されただけで済んで満足すべきだ。本来なら北海道も失っていたはずだ」といった具合だ。
「4島は固有の領土」と主張する日本側が「何を言っているんだ」と声を荒らげる一幕もあった。
豊富なエネルギー資源を武器に強気の外交を展開するロシアが今、日本に歩み寄る動機は少ないと見られる。ロシア政府の投資が本格的に島に行き渡るようになると、経済協力などを絡めて領土交渉を進めるという日本側の戦略はますます難しくなる。
「元島民もどんどん高齢になっている。時間はロシアを利するだけだ。何とかしてほしい」 ある訪問団員の言葉が重く感じられた。
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この記者はたぶん若く、従来あまり北方領土問題に関わってきていないという印象だ。 観察の甘さもさることながら、最後の部分が私には不賛成だ。
まず、「ロシア政府の投資が本格的に島に行き渡るようになる」のはいつのことか。こうした話は今までも何度もあった。今度は多少はインフラへの投資もあるかもしれないが、それもどれほどのことかと疑っているワケ知りのロシア人島民は多い。
「元島民もどんどん高齢になっている。時間はロシアを利するだけ」とあるが、申し訳ないが、私など旧島民のために返還運動をしているわけではない。日本と日本人の矜持として取り組んでいるのであり、法と正義が国際政治に十分反映されるべきであるとしてやっていることだ。
返還運動は、孫子に引き継いででも、というのでいいのだ。
こういう、私にいわせればいささか短絡的な記事が外交交渉をあせらせ、政治家にあやしげな発言を促してしまうのだ。
ソ連崩壊から15年余り。領土を取り戻すにはあまりに短い時間だ。思い出してほしい。アメリカとメキシコがリオ・グランデに浮かぶ中州エル・チャミザール(猫の額)の帰属を決定するのに83年もかかったことを。
あせってはいけない。苦しくとも耐えることだ。努力と工夫と忍耐が肝要である。
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技法が違う家づくり [2007年07月10日(Tue)]
『北方領土ー高校生が聞いた202話』 (根室航行散り研究部編、日本教育新聞社)の 連載です。北方領土問題の原点をご理解ください。
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これは、斜古丹(しゃこたん)で大工職をしていた 布川栄吉さんの話です。
ソ連軍が色丹島に上陸してから半年以上もたってのこと。
そのころ、 色丹島にはソ連軍の国境警備隊が大勢入っていて、 兵舎づくりをやらされていました。
ソ連兵は馬の扱いに慣れていて、 4頭立てで山から木を切り出してきては 「早くやれ、早くやれ」と命令しました。
島には木工場がないので、 鋸(のこぎり)で木を切り、手斧で削り、 鉞(まさかり)と鑿(のみ)で切り込みを入れるのですから、 目に見えてというほどには家は建ちません。
ソ連兵は、「早くしないと牢に入れる」と脅し、 布川さんたちをせきたてました。
1本でも柱を立てると納得するのですが、 技法の違う日本式の家づくりを ソ連兵はわからないのでした。
布川さんたちは、木材の切り込みが終わって、 いっせいに建前をするのです。
「私たちを信用しなさい。今に一気に建てます」と説明しても、 なかなか信用しませんでした。
それから半年くらいして、一挙に兵舎の棟上げをしたところ、 ソ連軍将校も「ハラショー、ハラショー」と大喜びで、 それ以来、布川さんらを建築技術者と認め、 たいへん待遇が良くなった、ということです。 (色丹島)
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スターリン愛飲のワイン [2007年07月10日(Tue)]
普段は酒豪の松本仁一さんお、この日は、歯の治療のため、「キンズワラウリ」を眺めるだけ。ありがとうございました。 ラベルの表示はロシア語 こちらの壜のラベルは、まず英語、次にロシア語。政治の流れを反映している。 「タマーダ」は、私が知っているほとんど唯一のグルジア語。「トップ」「親玉」といった意味か。1970年代にソ連科学アカデミーとの共催で「日ソ専門家会議」をモスクワで開催、その後グルジアを訪問した。その際、政治学の泰斗・猪木正道教授をソ連・グルジア側はこぞって「タマーダ」と読んだ。爾来、同教授は私どもの間では、「タマーダ」である。90歳を過ぎてなお、お元気に、京都のご自宅で学究に努められておられると聞く。 「キンズマラウリ」と再会した。
このワインをご存知でしょうか。
なかなか美味であり、私好み。真っ赤な血のような色。だから?、かのスターリンが愛飲したとされる、彼の出身地(国)グルジアの名産として、世界的に知られている。
日本ではめったにお目にかかれない。 だから、私など、モスクワに行くたびに何本か買って密かに?宿舎で味わったり、持ち帰ったりしてきた。私だけかと思っていたら、同行の神谷万丈防大教授も同じだったので、それだけで、幸せを分け合ったような気分になった。
それが、グルジアとロシアの関係がご承知のようなことになり、ついにロシアはグルジアに経済制裁、キンズマラウリはロシアで入手できなくなった。
先日、朝日新聞の松本仁一編集委員(本年度日本記者クラブ賞受賞ジャーナリスト)に、「妙齢の美女」お二人と共にご馳走になるという機会に、新宿・歌舞伎町のロシア料理店「スンガリー」で、再会したのである。
松本記者はアフリカ報道が専門という60台半ばで現役という人。昨日小欄で紹介したカラシニコフ氏とあった最初の?日本人記者で、今回の受賞はそのカラシニコフ銃に関する連載によるもの。「妙齢の美女」はお二人とも、小型武器に詳しく、お一人は前国連大使夫人、他の一人は関連NGOのトップ。話題の大半は、小型武器とアフリカ支援。
本来は酒豪の松本記者はあいにく歯の治療中で一滴も飲めず、前大使夫人と私とで痛飲させていただいた。
スンガリーは歌手の加藤登紀子さんの兄上の経営。これからも通いそうだ。
みなさまも、グルジアを励ますという大義名分を掲げて、お通いあらんことを。
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Posted by
吹浦 忠正
at 07:55 |
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