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チベット問題への提言 [2007年04月27日(Fri)]






 首都ラサにそびえるポタラ宮殿。2007年4月、信頼する友人ののA氏撮影。この記事に使わせていただく場合にご迷惑をおかけしたくないので、あえて匿名にさせていただきました。
     
   


 東京財団の2006年度研究事業の1つに「アジアの人権」があった。
プロジェクトリーダーは35年来の友人・山田寛嘉悦大学教授。
読売新聞にこの人ありと言われた記者で、
サイゴン、バンコク、パリ、ワシントンで働いた人だ。

 余談だが、東大時代は野球部で大活躍、
あわやリーディング・ヒッターというところまでいった人だ。

 その研究プロジェクトの一員に、
ペマ・ギャルポ桐蔭大学教授がいる。
ダライ・ラマの駐日代理人というべき、
その精神を強く受け止めておられる方だ。

 まずは、この研究プロジェクトのうち、
ペマ・ギャルポ教授が中心になってまとめた
、チベット問題に関する提言を列挙しよう。

 ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃

提言T.中国の人権抑圧に対し、
日本が非難決議を採択することは難しいであろう。
まず「EUや米国の決議を支持する」
という決議を採択することが望ましい。

提言U.日本がアジアでリーダーシップをとるには、
まずアジアの問題に勇気を持って発言することである。
その対象が中国であっても、基本姿勢を貫くべきだ。
それが、国際社会から尊敬される重要な条件である。

提言V.チベットに鉄道が通り、
日本のマスコミでも取り上げられている。
鉄道開通は決して悪いことではないが、
それでチベット人が得るもの、
失うものに関心を持ってほしい。
関心を持つことも、
中国の植民地化に対して警告を発する一歩である。

提言W.先進7か国では、
日本以外、ほとんどの首脳がダライ・ラマ法王と会っている。
日本の首脳もまず法王との会談を実現してほしい。

(オーストラリアなどは、
首脳が法王と会った際に中国から国交断絶とい
う脅しを受けた。
しかし、今日に至るまで大使の引き上げはなく、
外交の断絶もない。
そのことを日本政府も十分に認識してほしい。)



NGOの特質と手法 [2007年04月27日(Fri)]








 1997年、対人地雷全面禁止運動ノリーダーとしてノーベル平和賞を授与されたジョディリアムズさんと。2006年4月、早稲田大学での講演を前に椿山荘の庭園を散策したとき。
ジョディはパソコン1つで世界を動かしたといっても過言ではない。




 
 拙著『NGO海外ボランティア入門』を引っ張り出し、加筆修正して、NGOの特質ないしそれゆえの心がけるべき手法について前回の続きを書きたい。

 第3は、マスメディアの協力であるが、これにはもちろんNGOが直接マスメディアを持っているわけではなく、取材や記事化について強制力がないという限界がある。しかし、人的なつながりとともにインターネットによる発信の拡充は、この限界に大きな風穴をあけることになるのではないか。

 NGOの手段の第4は、国単位の外交では接触しにくい相手との関係を持てる、つまり、NGOは、国益中心のGO(政府機関)と違い、“人類益(人類共通の利益)”に立つことのできるので、政府の枠を超えて、国際的な協力ができるということである。確かに、NGOは国益より“人類益”“地球益”を考える道義外交を展開できる。

 特に、近年、武力紛争が主権国家単位に行われないことが多くなり、国の威信やそれまでの政府への信頼が低下する傾向が多く、NGOの役割やNGOへの期待が大きく浮上している。国連やASEANといった地域機関、政府機関などは、反政府団体、反政府勢力とは接触しにくいからだ。

 私自身、ベトナム戦争の終盤にICRC(赤十字国際委員会。スイスのNGO。25名の委員は全員スイス国籍)の駐在代表として北ベトナム軍やベトコン(南ベトナム解放民族戦線)勢力と接触を持ち、NGOならではとの実感を強くした。

 しかし、一般的には、ビザの取得、事務所開設の許可、無税による機材の搬入、通路の安全など、現実の主権の壁をどう克服するかが、少なからぬ課題だ。

 それでも、わが国にもチェチェンとの関係で一定の成果をあげ、予防外交の研究で成果を挙げ、99年6月、「日本予防外交センター」を立ち上げ、早速、人材育成に取り組む日本国際フォーラム(現在はまったく別組織)、旧ユーゴから北朝鮮問題にも取り組む日本財団、日ロ関係の改善に多年、役割を担っている安全保障問題研究会などさまざまなNGOがあるが、赤十字にあきたらず分離してできたMSF(国境なき医師団)、国際援助NGOとして世界最大の予算規模を有しているOXFAM、緊急時の予防外交のみを主眼とするインターナショナル・アラート(英)、アフリカのほとんど全部の国に支部を構え、知恵と工夫で平和と和解を目指しているサーチ・フォー・コモン・グラウンド(米)、NGOの特性を生かして積極的な予防外交にあたり、紛争発生後には、その解決に努めるアコード(南ア)、元米国大統領の信頼と力を背景にしたカーター・センター(米)、国連の平和外交を実践し、人材の育成にもあたっているピアソンPKO訓練センター(カナダ、ノーベル平和賞受賞NGO)は、この意味で世界に範たる活躍をしているNGOといっていいだろう。

 なお、海外NGOと紛争処理やPBOの実態については、クマール・ルペシンゲ(吉田康彦訳)の『地域紛争解決のシナリオ』(スリーエーネットワーク)、首藤信彦東海大学教授の「ピアソンPKO訓練センター研修体験レポート」(「外交フォーラム」98年8、9月合併号)を参照されたい。

 第5は、同様の理由で、同じ理想、志を持つ人々との人脈がNGOの力の源泉であるということだ。NGOにとって大きなカードは長期間にわたる活動で築いた内外の政、財、官、学、言論、女性、青少年、宗教、労働、法曹等各界の有力者との濃密な人的関係、人脈である。人脈は信用となり、NGOの宝である。

 6番目は、NGOならではの融通無碍(柔軟性の高い組織)な点である。臨機応変、キメ細かさ、柔軟な発想と考え方が、人道的救援・支援活動や国際協力活動の推進には特に必要である。これが時に「国」や「官」と衝突する場合、ないしは齟齬を来たす場合もなしとしないが、NGOにとって融通無碍は運営の基本であるといっていい。


■資料リンク
NGO・海外ボランティア入門―難民を助ける会20年の軌跡から
NGO・海外ボランティア入門―難民を助ける会20年の軌跡から
アラームでごめんなさい [2007年04月27日(Fri)]


 わが愛用の携帯電話。海外でもそのまま使えるのがありがたい。もっとも、それで先般は親友の高野國夫氏からの電話がラオスにかかってき、「今、東京駅にいるけど今晩どう?」。きのうは反対に私がドイツにいる高野氏を、もう帰国したころと思って電話し、真夜中にたたき起こしてしまった。紳士たらんとするもの便利さを礼節とマナーで味付けしなくちゃね。





 東京からはどこに行くにも新幹線が便利だ。ただ、高崎、宇都宮、静岡辺りに行くときには、心配で眠れなった。それがいまや「文明の利器」、携帯電話はまことにありがたい。

 これで到着時間の1〜2分前にアラームを設定しておく。隣のお客にはさぞご迷惑かとは思うが、「旅の恥は掻き捨て」とばかり、重宝させていただいている。あしからず。
長野、仙台、新潟、名古屋 [2007年04月27日(Fri)]



 昨今、仙台といえば「牛タン」。新幹線のホームでこんな表示を見た。 







 以前は、「笹かま」「萩の月」が定番。今は駅の売店でも、3つが並んでいた。我が母は、仙台といろいろご縁があったようだが、「笹かまは阿部に限る」といっていた。「mother tongue」が、私の場合は、「母国語」ではなく、文字通り「母の舌(味)」となっている。





 急に用事ができて仙台に行ってきました。近いですね。帰りはノンストップで東京駅までわずか96分(1時間36分)でした。私のような古い人間には、夢みたいな話というほかありません。

 ところで、都内から主要都市である、名古屋、新潟、長野、仙台、どこが一番近いでしょう?

 最短時間で単純に比べれば、
 長野   85分
 仙台   96分
 新潟   97分
 名古屋  98分

となります。なんと、仙台、新潟、名古屋がそれぞれ1分違いなのです。ですから、難民を助ける会の相馬雪香会長(95歳)が軽井沢からしばしば上京されるのも納得できるし、前の文部科学大臣小坂憲次衆院議員が「おとといなんて長野との間、2往復しちゃったよ」というのも、現実にありうるのである。

 但し、そういう電車がそう頻繁にあるわけではなく、平均(頻繁に走っている所要時間の短い列車の標準的な所要時間)でいうと・・・
 長野   101分
 仙台   102分
 新潟    135分
 名古屋  100分

  名古屋からは品川に停車する列車も多いが、それでも1、2分しか変わらない。目黒の住人である私にはほんとうに助かる。

 わが学生時代には故郷の秋田から急行で11時間50分もかかった。それが特急列車が走るようになって8時間40分、それが、新幹線の「はやて33」号ではなんと3時間50分(230分) 東京→大宮→仙台(こまちと併結)→盛岡→大曲、そして終点秋田である。

 交通・通信の進歩・発展というのはもちろん20世紀の大きな特徴であるが、2冊読めるはずだった本が1冊がようやくだった。かくもすごい時代になったとは、いまさらながら感心してしまった。
  
日本の灯台 [2007年04月27日(Fri)]


「納沙布岬」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。






 日本財団広報室からのメールで、資料展示室のある「見学できる灯台」は以下の14であるとのこと。

★入道崎灯台(秋田県男鹿市)
★塩屋崎灯台(福島県いわき市)
★犬吠埼灯台(千葉県銚子市)
★野島崎灯台(千葉県南房総市)
★観音崎灯台(神奈川県横須賀市)
★初島灯台(静岡県熱海市)
★御前崎灯台(静岡県御前崎市)
★安城崎灯台(三重県志摩市)
★大王崎灯台(三重県志摩市)
★潮岬灯台(和歌山県串本町)
★出雲日御碕灯台(島根県出雲市)
★角島灯台(山口県下関市)都井岬灯台(宮崎県串間市)
★残波岬灯台(沖縄県読谷村)
★平安名崎灯台(沖縄県宮古島市)


 そのうち、私が昇ったことのあるのは、入道崎灯台、犬吠埼灯、観音崎灯台、御前崎灯台、潮岬灯台くらいかな。入道崎灯台には、小学校のころの臨海合宿や中学一年の時の修学旅行で訪れたし、昨年も訪問した。

 7月に、宮古島に行くので、今度は平安名崎灯台をたずねたい。

 外観を一番多く見たのは、納沙布岬灯台(北海道根室市)とそこから見える貝殻島灯台)。
貝殻島灯台は納沙布岬からわずか3.7キロ。北方領土の1つ、歯舞群島の貝殻島に1936年、日本が建立した。多少、かしいでいるとはいえ、今も立派に機能している。

 2つの灯台で、潮流の激しいごようまい海峡を通する船舶の安全を期してきた。

 それでも昨年8月16日には日本の漁船が銃撃され、若い漁船員が亡くなった。

 2006年4月1日現在で全航路標識総数は5,600基、うち灯台だけで3,337基となっている。

 一昨日、海上保安庁を訪れる機会があったので聞いてみたら、 2006年11月12日、日本で最後の職員滞在灯台であった女島灯台(長崎県五島市男女列島の1つ)が自動化され、全国の全ての灯台が無人化されたということだった。

 これを最後に、全国の灯台すべてから灯台守が姿を消した。そこで、当時の新聞を見てみたら、海上保安庁交通部の枡田一彦部長が、長崎海上保安部航行援助センター五島事務所で記者会見し、「最盛期の1953年には約1100人の灯台守がいた。多くの先人が苦労を重ね、船舶交通の安全のため、日夜努力してきたことに敬意を表したい」と話したとある。

 女島灯台は灯台守を主人公にした、木下恵介監督の代表作の1つ「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の一つとなったところであり、あのころが、灯台守のもっとも活躍した、大事にされた時期だったのかと、映画のシーンを思い出した。


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