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寒波と雪が襲来 [2007年04月19日(Thu)]




 八ヶ岳山麓の「春の雪」。撮影はすべて石田良介画伯。






 「三椏」(みつまた)







「雪梅」





「春の日に」



 温暖化だの暖冬だのと言っていたのに、きょうは特別寒く、1月から35年ぶりに電車で通勤している私は大慌て。スーツの上にウィンドブレイカーを着るといういささか妙な格好で出かけました。

 難民を助ける会の相馬雪香会長は95歳という身でありながら、昨日、ワシントンでの一連の「お花見」の行事に参加し、昨日、軽井沢のご自宅に戻ったとか。

「それがねぇ、軽井沢ひどい雪なの」とのお電話。天候の激変と時差を気にするこの「青年」は、「ひとまずゆっくりご静養を」と願うほかない。

 東京でウィンドブレイカーというのもご理解いただけそうだ。

 そんなところに、八ヶ岳山麓にお住まいの石田良介画伯が「こっちも雪だよ」と、いつもの剪画でも水彩画でもなく、得意のカメラを駆使して数枚の風景を送って下さった。

「季節外れの寒さがやって来たりして健康管理が大変です。
こちらは昨夜から雪になり5〜6センチほど積もりました。梅も桜も鶯も驚いて居ります。ただ、雪の積もった花はおしゃれな帽子を冠ったようで可愛いです。アトリエから見た雪の風景と三椏、梅の花の写真をお送りしました。」とある。ご自愛専一にと言わざるをえない。

 明日は寒気を伴った高気圧が東に移動し、久々に日差しもあって暖かくなりそうだとか。

 ようやく散歩にも出られそうだ。
ボランティア入門 F [2007年04月19日(Thu)]







  入江教授の定義に従って、今日まで続いているわが国で最も伝統のあるNGOのひとつは、わが故郷・秋田の感恩講(かんのんこう)であろう。文政11(1828年)3月の濫觴、かのシーボルト事件の年である。感恩講についてはいずれ別に述べる。

  この年の5月8日に生まれたのが、赤十字の創立者アンリ・デュナン。

  1859年6月のソルフェーリノの戦いの直後、たまたま隣町のカスティリオーネを訪れ、敵味方の区別なく負傷兵を救護し、その経験から
@ 平時から戦時救護の組織をつくっておこう、A救護活動の中立を認めるなど国際的な条約をつくろうと、著書『Un Souvenir de Solferino』(邦訳は寺家村博『ソルフェリーノの記念』メヂカルフレンド社、または木内利三郎『ソルフェリーノの思い出』日本赤十字社)で訴えた。

  1863年、@が赤十字社となり、翌年、Aがジュネーブ条約となって結実した(詳しくは、拙著『赤十字とアンリ・デュナン』中公新書)。この国際的な救護組織は、Croix Rouge(クロアルージュ、すなわち英語のRed Cross)と名づけられた。

  創案者で創立時に大きな役割を果たしたジュネーブ在住のスイス青年アンリ・デュナンと、その創設に尽力したスイス政府に敬意を表して、同国の国旗「白地に赤十字」の色を反転させたものを標章とした。

  わが国に同様の組織ができたのは、1877(明治10)年。「博愛社」と名乗った。

  この年の西南の役に際し、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)らによって設立された(詳しくは、北野進『日本赤十字社をつくった人々』自費出版、または拙著『赤十字とアンリ・デュナン』中公新書)。

  佐野らはパリやウィーンの万国博で赤十字を知り、西南の役に際して「敵味方の区別なく」援護しようと建白書を提出した。

  しかし、太政大臣三条実美(さねとみ)が「十字は邪蘇(やそ=キリスト教)のしるしじゃ」と反対し、「日の丸」の下に赤い線を引いたマークとなり、「博愛社」とした。

  赤十字社を名乗るわけにはゆかなかった。西南の役後の10年近くは休眠状態だった。せいぜい孤児院の慰問という程度だったことが当時の新聞に出ている。

  しかし、欧化主義のさなかに日本はまず1894(明治19)年、ジュネーブ条約に加盟し、ついで、同条約に基づき「赤十字社」と名乗るようになった。

  国際的な活動はこの後さらに遅れ、明治の後期からと言っていい(日本赤十字社『日本赤十字社社史稿』)。
台湾が見える A [2007年04月19日(Thu)]



 撮影はYonehama Tamaeさん。




 台湾が見える日本の領土・与那国島。ここはそのまた最西端に立つ西崎灯台。

 わずか111キロ。私が働く虎ノ門のユーラシア21研究所から東名高速で御殿場インターまで行くより少し近い。

 台湾には雪(シュエ)山(3884m)や玉(ユイ)山(3997m)など富士山より高い山がある。玉山は日本統治時代には「新高山(にいたかやま)」と呼ばれた。

 1942年12月8日(日本時間)に真珠湾(パールハーバー)の奇襲を命じた暗号電報は、「新高山登れ」。与那国から直接、玉山を肉眼では見ることができないが、この写真で見る山々は台湾の花蓮市の方角。最高峰は雪山かもしれない。
沖の鳥島東小島 [2007年04月19日(Thu)]





 とりあえず写真のみです。小欄では以前、詳しく書きましたので。最南端の日本の領土は北緯20度25分です。20度線と東経135度線、すなわち日本の標準子午線の交わる点のすぐの北北東に位置しています。

 北回帰線、台湾本島の最南端や太平洋上のミッドウェイ島よりはるかに南に日本の領土があるのです。

 さて皆さん、ハワイのホノルルと沖の鳥島、そしてインドのコルコタ(カルカッタ)、どこが一番南でしょう?
日本の最南端比べ [2007年04月19日(Thu)]


 日本の最東端である南鳥島(マーカス島)






 南硫黄島(東京都の自然の宝庫)







 日本人が定住している最南端の波照間島。撮影は大塚勝久氏。






 沖の鳥島北小島。他に同緯度に東小島がある。





 日本の最南端について、福岡の「妙齢の美女」から質問がありました。「波照間島を最南端だと書いているが、沖の鳥島、南鳥島、南硫黄島のほうがもっと南ではないか」。

 お答えします。

 まず、日本の領土の最南端は確かに沖の鳥島(東京都小笠原村)です。北緯20度25分のごく微小な島です。人が一人か二人立つことができる程度ですが、今はあらゆる手段を使って防護しておりますから、事実上、「上陸」は不可能です。

 次に、ご指摘の南鳥島(マーカス島)ですが、こちらは、都心から1950キロも離れた、太平洋上に浮かぶ孤島。東経53度58分で、日本の最東端です。気象庁、海上保安庁、海上自衛隊の職員約30人が40日交代で勤務しています。詳しくは、来週、海上保安庁の専門家をお尋ねすることになっていますから、その後でご報告しましょう。

 3つ目の南硫黄島、日本人の上陸例はほとんどありません。自然の宝庫といわれています。これについても詳しくは近々ご報告しますが、波照間島よりほんの少し北なのです。数字で比べてみましょう。

 南鳥島    北緯24度17分
 南硫黄島  北緯24度14分
 波照間島  北緯24度03分
 沖の鳥島  北緯20度25分
 
 したがって、日本の最南端は沖の鳥島です。但し、人間が居住している最南端は波照間島ということになります。

 
台湾が見える島 @ [2007年04月19日(Thu)]






 日本の領土で直接外国が見える場所が4つある。

 @日本の最北端・択捉島の北端カムイワッカ岬から得撫(ウルップ)島が、
 A日本人が居住している最北端・宗谷岬(北海道稚内市)からサハリンが、
 B長崎県対馬から朝鮮半島の南部が、

見える。そして、

 C日本の最西端与那国(よなぐに)島(沖縄県与那国町)から台湾が見える。

 もちろん、いつでも見えるというわけにはいかない。「晴れたらいいな」である。

 それでも、肉眼で日本から見える外国というのはさまざまなことを考えさせる場所である。

 おっと、間違えないでほしい。納沙布(のさっぷ)岬(北海道根室市)やその周辺から手が届くように見える歯舞群島の貝殻島、水晶島、そして大きく見える国後(くなしり)島などは「外国」ではない。わが国固有の領土なのだが、今は遺憾ながらロシアの支配下にあるということだ。

 その与那国島に行った報告を少し書いてみたい。
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