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日露関係の改善に向けて [2007年04月18日(Wed)]




  2006年9月、ユジノサハリンスクでの茶会で。




  きょうは正午からユーラシア21研究所の理事会、引き続き2時から、第2回徹底討論「日露関係」、そしてそのまま9時過ぎまで外務省幹部との意見交換。われながらよく座り続けていた。

 学者・専門家と外務省OBたちの議論は、率直で、アイディア豊富で、分析は視点がいろいろで斬新だ。

  もちろん意見の違いや対立はある。しかし、国益を慮って私心がなく、終わってからさわやかだ。

  私たちの目的は、日露関係の改善である。北方四島の返還はそのための手段であって、目的ではない。だから、右でも左でもなく、国民の啓発と世論の結集が大事である。

  世界における両国の高まる重要性を考えれば、日露関係の改善はお互いになおざりにしていてはいけない。

  来年のG8サミットは、もしかして、北海道の洞爺湖畔で開催される気配だ。そのときは、世界がいやでも道東、そして北方領土に目を向ける。

  すでに「南方」領土である沖縄ではサミットを開催した。今度は「北方」地域での番でおかしくない。

  ロシアも2012年のAPEC首脳会議はウラジオストクでと企んでいるやに聞いている。東アジアに視線が集まることは結構なことだ。

  その基本は日本をはじめ、この地域の諸国の治安が安定し、人権が確保され、ステディな経済発展が見られることだ。日露両国の責任は重い。



日露戦争と捕虜 (23) [2007年04月18日(Wed)]






 「慈雲寺の桜」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。






遠来の客人
  ロシア人捕虜たちは生活面の自由を大いに享受し、日本の皇室や広く一般諸民の同情、そして在日外国人、とくに同盟国フランスの外交官など多くの人々の来訪を受けほとんど可能な範囲いっぱいの厚遇を受けた。

  その厚遇は1949年に締結された今日の『ジュネーブ条約』による待遇をはるかに超え、遠来の客人を迎えるのと見まごうばかりの優遇であった。

  内地ばかりではない。中国史学者として著名な貝塚茂樹(1904〜87 文化勲章受章者)は深く記憶に残る父(地理学者として著名な小川啄治)の体験談を紹介している。

  明治37年9月末の中国の遼陽(鞍山と瀋陽の中間地)駅頭でのできごとだ(『日本と日本人』)。遼陽には総司令部とともに野戦病院があった。駅にはロシア軍から鹵獲(ろかく)した貨車に負傷兵を満載し、苦力(クーリー:中国人労務者)に押させて後送してくる。

  その中に傷痕から病菌が入って化膿して全身ふくれ上った露兵が混じっていた。馬鹿でっかい高い露国の貨車から、看護兵が担架をほうり出すように下そうとしたのを、日本の傷病兵が目ざとく見つけた。

「そんな手荒いことをしたら、痛がるぞ。そっと降ろしてやれ」といい出すと、たちまち手足の不自由な連中をまぜて二十人位ほど集まってきて、大切に担架をかつぎ上げて、静かに横たえてやった。……これを見た父は思わず目頭が熱くなってきたそうである。
 
『福知山市市史』(第4巻)には、収容所内の様子を描いたロシア人捕虜下士官の興味深い手記が紹介されている。この手記は1985年8月に、三田市(兵庫県)の旧家で発見された『下士官ペー・ペー・ゼーの手記』である。

  1905年5月8日から始まっているこの手記の筆者は軍歴5年、旅順で電信手であった。

  同市史は「彼は強い影響力を持つ将校が一人もいない環境で素顔を見せた民衆(兵士)の無智蒙昧ぶりを批判」する一方、「ロシアの支配階級に対する強い憤懣と非難」を述べているとこの手記を紹介する。

 「最初日本人は俘虜を人間的に扱い、ヨーロッパの民衆のように教育があると思っていたが、やがてロシア兵はどんなヨーロッパ人であるかを知るところとなり、俘虜に治する人道性は次第に姿を消した」。

  この下士官はさらに、日本人のロシア人を扱う際の忍耐力に驚き、「もし、ここのロシア俘虜が日本人に対して見せるような振舞に接したら、ロシア政府は憚るところなく断固たる処置に出るであろう。日本人がそうしないのは、日本が文明社会において若い国家であるという意識があるからである」と断じている。

  この下士官の手記には捕虜たちの日常生活が簡潔明瞭に、次のように描かれているという。

  午前中、洗面、祈祷、朝食、カルタ遊び、ロシア式野球、バーブキ遊び、兵舎内のはいかい徘徊、読書、読書と祈祷以外は喧騒、口論、日本人が収容所内に作った学校へ通う文盲たち(兵士の中に中学校生徒がいた)。午後、一部の者は横になり、大半の者は際限のない議論をはじめ、手風琴を弾く者、歌う者、踊る者もある。このようにして夕食・点呼までが過ぎる。夜、点呼後の祈祷、床に入ってから夜半まで、あるいはそれ以上続く涯しないおしゃべり。

 前述の習志野俘虜収容所の様子に似ているが、他のどこの収容所であれ、この手記で書いているあたりが下士卒捕虜の典型的な収容所生活であったと思われる。
おかしな言行録 [2007年04月18日(Wed)]






   韓国水原の民俗村で。




 おかしな言行録。

「許されない暴力団のテロ」(産経新聞4月18日社説の題)
   暴力団によるものでないならいいのか!

「公職にある者に対する暴力は誠に卑劣な行為であり、絶対に許すことはできない」
           (4月17日夜の塩崎官房長官の発言)
   「公職にない者」である私に対する暴力は卑劣ではないのか。

「すべての暴力、特に銃による暴力を絶対に認めてはいけない」
           (同、鳩山由紀夫民主党幹事長の発言)
   「銃を特別扱いしないで下さい」と家庭内暴力で泣いている人が言ってますが。

「病院には伊藤一長市長の奥様という方が入って行きました」
           (同、日本テレビの実況中継)
   ウチのカミさんは「奥様という方」か、とみんなが怒っていますよ。


192,000,000の悲劇 [2007年04月18日(Wed)]
                                                          
                                                                                                                               


 銃による米国史上最大の射殺事件、犠牲者にまずもって哀悼に意を表し、負傷者の全快を祈る。

 それにしても、米国内に192,000,000丁もの銃が「蔓延」していることが恐ろしい。

 世界には5億丁を超える小型武器があるとされるが、内、対人地雷が約1億としても、残る2億の多くは、中国、ロシア、インドなど軍事大国の軍隊や警察のものであると思われる。これはそれなりに管理されているものだ。

 日本は旧軍時代もそうだったが、武器に関する管理のすばらしさは世界一かもしれない。

 それでも長崎で伊藤一長市長が銃殺された。彼は、同じ橋本祐子(さちこ)先生の一門ということで、別の意味で胸が締め付けられる思いがする。心からご冥福をお祈りする。ただ、暴力には絶対反対だが、この事件については今少し、検証を待とう。

 米国社会が250年という建国の歴史の中で個人個人が銃を必要としてきたことは全く分からなくもない。しかし、同様の発展を遂げたカナダ、オーストラリア、さらにはロシアや中国では各家庭が銃で武装しているということははるかに少ないし、いまや米国社会は高度に管理された社会であり、全米ライフル協会の動きは、世界にはとうてい理解できない話だ。

 そしてそうした銃社会に生きることに狎れた米国人とその政府が、世界各地での戦争で、時に、異常なほど荒っぽい外交政策や軍事政策、さらには個々の将兵の不必要な武力依存の行動をとっているのではないかと思わざるを得ない。

 私は自分が訪問した国の数が80を超えるまで米国には行かなかった。それはオヤジが、第2次世界大戦の終了前夜に、わが故郷(現在の秋田市土崎港町)を空爆し、民間人72人を殺害したことを「これがアメリカだ」と教えた(刷り込んだ)からであった。

 しかし、「9.11事件」で、その数十倍の民間人を失ったことが、私には大きなショックで、それ以降ようやく米国に理解と同情をもてるようになったような気がする。

 今回の事件がアメリカ社会に大きな衝撃を与えているだろう。しかし、それでも、全米ライフル協会は「銃が悪いのではない。人間だ」といって、銃社会を守ろうとし、政治家がそれに屈服するのか。

 有り余る銃を「蔓延」させている社会の構造を是正すべきだということに、米国民はもっと真剣であるべきだ。
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