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ボランティア入門 E [2007年04月16日(Mon)]





「神代桜」。山梨県北杜市にある樹齢千年もの桜。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。






 前回も書いたが、NGOはもちろんNon-Governmental Organizationの略。しかし、これにはなかなか名訳がない。

 広義には政党、宗教団体、企業、労働組合、私学、同窓会、趣味の会、シンクタンク、町内会までが入り、家族をも含むという人もいる。

 しかし、一般には「個人が自らの意志(または志、信条)で参加し、営利や政治活動を当面の目的としない組織」(入江昭教授の「読売新聞」1998年6月10日付への寄稿)とされている。より、狭義に「海外救援活動や国際協力を行う民間団体」という捉え方も日本では多い。

「国家エゴを超えた市民による新秩序づくりへ。国際NGOは20世紀の財産」の題で右の寄稿をしておられる入江教授は、国際法学にこの人ありといわれた碩学の人、故・入江啓四郎先生のご令息。

 大学院時代啓四郎先生に親しくご指導いただいた者として、かねてから昭教授の所論には注目してきたが、この一文には、NGOに関わる者として身の引き締まる思いがした。

 啓四郎先生は早稲田の「客員」教授だった。そのため、大学に研究室も与えられていなかった。

 しかし、日本の大学最大の蔵書量を誇る早稲田の図書館の中の一室にこもっておられ、いつも、21時40分発の最終バスで高田馬場駅に帰られる。

 車内でしばしばお見かけした。決まったようにパン2個と牛乳を座席で召し上がられる。黙礼でご挨拶はできても、お声をかけるスキがなかった。時間の節約、プロとはこういうものかと、教えられた。

 さて、昭先生。まず、20世紀を「戦争の時代であり、人類がお互いの繁栄や福祉のためではなく、武器や軍隊のために貴重な資財を使い、自然環境までも破壊させてしまった時期」であると論破し、「国家中心、国益中心の見方があったことも確かである」と見る。

 そして、現代はEU(欧州共同体)に代表される地域共同体や国連その他の国際機構などが「国益中心主義、国家エゴの支配する世界での緊張を少しでも緩和するために作られ」「20世紀の歴史の別の面、すなわち、人類の望みを代表する性格をもっているといえる」としている。

 ここで、昭先生は「さらにまた、NGOの発展と活躍も、現代史の重要な一面である」と論じておられる。そしてNGOはノン・ステート・アクター(非国家団体)であり、「国家や政府とは別のレベルでの人間集団」であると規定する。

 アメリカの政治学者ガルブレイス教授は「政治とは可能性の芸術である」(千田恒『佐藤内閣回想』中公新書)と述べているそうだが、NGOもまた「可能性の芸術である」。民主的社会にあっては市民が無限の可能性を持つからだ。

 とまあ、高らかに歌いあげるのはカラオケならずとも気持ちのいいものには違いないが、現実に日本のNGOを見ると、遺憾ながら、そう大きな力を持っているとはいい難い。第一、欧米とは規模が違う。アメリカ最大のNPO(非営利組織)といわれる「全米退職者協会(AARP)」の96年度の支出は約4億5000万ドル。わが難民を助ける会の同じ時の支出は約4億5000万円(ちなみに98年度は約5億2000万円。2007年度もほぼ同額)。

 規制づくめで生涯一環雇用型の日本。忠孝の誠はやがて粗大ゴミや産業廃棄物と言われるまで、否、そういわれてなお愛社精神が定着していて、己れを呪縛する、そういう社会でのNGOの発展、日本社会のマイナス要因を数えればきりがない。

 それでも、10年前と比べれば、20年前を思い起こせば、私は希望にほおが紅潮するほどだ。落ち込むまいぞ、と歯を食いしばって来たし、今夜も、現役の若者たちにそう伝えて杯を挙げた。
波照間島の風景 @ [2007年04月16日(Mon)]


























  日本の最南端・波照間島には花があるだけではありません。少し町の様子をみていただきたい。

  登録人口は550人ほどですが、本土からかなりの数の若者がダイビングや就労のためにやってきています。

  「伝統文化の継承者がそだたない」と土地の人は心配します。風習、言葉、共同体感覚がどんどん内地化されてゆくかもしれませんね。

  最南端の小学校、最南端の中学校でも、PTAに出てくるお母さんたちの多くが内地の出身者だとか。
ロシアが騒いでいる [2007年04月16日(Mon)]





  クレムリン


「プーチンのいないロシアを!」をスローガンにデモが行われるなど、ロシアで連日、政治的な「騒ぎ」が起こっている。

 モスクワ、サンクトペテルブルク、ニジノノブゴロドの3大都市で反プーチン派のデモが相次ぎ、数百人の逮捕者を出した。プーチン政権の初代首相だったカシヤノフ氏や元チェス世界チャンピオンのカスパロフ氏も参加、カスパノフ氏は一時拘束された。デモの終着点であるツルゲーネフ広場での集会には約千人が参加したが、その4分の1が逮捕されたというから荒っぽい話だ。

 政権側は9000人もの警察官を動員し、毎日新聞の杉尾直哉記者が記者証をつけ、カメラを持っていた姿で、警察官に殴られ頭部に軽傷を負った。

 他方、ロンドンでは元ロシア財閥の巨匠でユダヤ系のベレゾフスキー氏が「プーチン大統領の命を狙う」とまで公言している。

 アメリカの世論はロシア国内ないしその関連に見られる強権政治の潮流に幻滅し、旧ソ連邦構成国への露骨な対応に唾棄している。

 おそらくあと数ヶ月、夏までには来年3月で任期の切れるプーチン大統領の後継体制が決まるのではないか。その意味で、連休(5月1日のメーデーから9日の対独戦勝記念日)前はロシア政治のひとつのピークになろう。

 しかし、麻生外相は、国会の都合とはいえ、そのさなかにモスクワを訪問するという。決して賛成できることではない。日本で言えば、ロシアの5月上旬は、暮れから正月にかけてのような気分の時期である。

「どうしてもその時期に来たいなら、それなりのお土産があってのことでしょう」。

 ロシアからはそんな声が聞こえてくる。ここはできれば訪問を延期したほうがいい。今の状況で日本から持ってゆくお土産はないし、妥協もないからだ。
ボランティア入門 D [2007年04月16日(Mon)]



「春の野辺」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




 難民を助ける会は1998年、国連経済社会理事会(ECOSOC)のカテゴリー2(スペシャル・コンサルティヴ)ステイタスという特別資格を取得した。

 これは「国連憲章」第71条「経済社会理事会は、その権限内にある事項に関連ある民間団体と協議するために、適当な取決めを行なうことができる」に基づく。この訳の民間団体、英語では、Non Governmental Organization(NGO)なのである。

 今日、広く用いられているNGOという言葉のほとんど初出といっていい。

 さらに、同理事会は決議(1296 XLIV)で資格、協議取決めの目的と内容などについて詳しく定めている。NGOはこの資格によりニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンの国連本部や事務所に公式代表団を送ることができるほか、国連機への同乗など国連のしかるべき便宜を受けられる。

 海外での活動の際、当該国政府とNGOが協定を結ぶような際にもこのステイタスは便利であろう。

 他方、4年ごとに活動報告書を国連に提出し、審査を受けなければならないという義務も課される。国連は世界の2000近いNGOに1から3までの協議資格を認めている。
 
 日本のNGOは、世界的水準での活動に邁進し、一層の責任を自覚するとともに、自ら発信することによって多方面で、より大きな役割を担って行かねばならないと考える。


朝日新聞と民主党 [2007年04月16日(Mon)]




「春の野辺」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




 朝日新聞は大丈夫か、そして民主党は大丈夫か、と思う。「国民投票法」をめぐってである。

 4月14日の朝日新聞「社説」によれば、

「ある特定の時点での多数派の思惑や、単なる選挙目当てで進められては困る。少なくとも野党第一党の賛成を得ることが望ましかった」

というのだ。まったくその通りだ。

 しかし、「ある特定の時点での少数派の思惑」は許されるのか、その少数派が「単なる選挙目当てで進め」るのは、困らないのか。

「社説」はまた、
憲法問題をめぐる「各党間の7年の協調がこれで崩れてしまった。その責任はまず、選挙の思惑を持ち込んだ安倍首相にある」という。

 公平に見て、「7年の協調」が崩れたのは、安倍首相と民主党の双方にあるというほかない。安倍首相は堂々と「憲法改正を参院選でも訴えたい」といっているのであり、こういう重要課題を国政選挙の争点にするのは当然である。争点にしないで後から突っ走られたら、国民はたまったものではない。

 他方、昨今、国政における民主党の動きはまことに明確でない。参院選で対決色を出さなくては、存在意義がないくらい、力不足をさらしている。そこで明確な対決色を出そうという思惑からの「反対」もありうる。もしそうであれば、これぞ「ある特定の時点での少数派の思惑」であり、「単なる選挙目当て」といわれてもしかたあるまい。

 去る4月8日の都知事選挙でもしかりだった。民主党は都政をどうするのか、政策すら出せなかった。応援した浅野史郎候補も同じだった。反対するだけで、「こうする」がほとんど印象に残っていない。

 朝日新聞と民主党、諸般の事情がおありなのはわからないでもない。ただ、少々、おかしいのではありませんか、と申し上げたい。
胴体着陸は神業か [2007年04月16日(Mon)]



 4月2日に石垣島から与那国島まで搭乗したボンバルディア機。38人乗り。高知空港で胴体着陸したものと同型機である。






 石垣島から波照間島まではもっと小さい8人乗りの飛行機だった。「手荷物を持ったまま体重計に乗ってください。その重さ別に座席を決めますから」というチェックインの時の青年の声が忘れられない。正直、ちょっと緊張した。




 尊敬し信頼する友人に花岡信昭氏がいる。長年政治部の敏腕記者で、産経にこの人がいると永田町でも大いに注目されていた。最後は産経新聞論説副主幹のまま、故郷・長野の知事選挙の準備に入るため、退社した。諸事情、諸情勢から結局は不出馬となったが、ご本人はいまや「売れっ子」政治評論家であり、いくつかの大学で後進の指導にも当たっている。

 ところで、今朝ほど彼から来たメルマガの前段には、以下のように書いてある。

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 3月13日午前、高知空港の上空で車輪がある前脚が出なくなった全日空機が、同空港へ胴体着陸を成功させた一件は記憶に新しい。テレビ中継もされたから、多くの国民が、それこそ手に汗を握って見つめていたのではないか。

 だが、この日の各紙夕刊で起きた「異変」にどれだけの読者が気付いていたか。東京発行の各紙夕刊のうち、この見事な胴体着陸を成功させた機長の名前を掲載したのは、毎日新聞だけであった。

 事故を起こしたボンバルディア社製の航空機は、国産プロペラ機「YS-11」の後継機として導入されてきたが、これまでもトラブルが多かった、といったことは克明に報じられた。だが、いったん着陸を試みて前輪がやはり出ないのを確認し、上空で燃料を費消したあと胴体着陸を成功させた機長の名前が出なかったのはなぜか。全日空が「個人情報保護」をタテに公表を避けたからである。

 毎日新聞は独自に機長の名を割り出して報じ、他紙も翌日朝刊からは実名報道した。だが、全日空はその後も公式には機長名を明らかにしてはいない。操縦ミスといった機長に責任のある背景があるのなら、まだ分からないでもないが、神業的な着陸を敢行し60人の生命を救った「ヒーロー」の名を公表しない神経が分からない。事情通によれば、組合の批判を回避したかったためともいわれる。

 結局、全日空が発表したのは、「1970年6月生まれ、36歳、男。96年副操縦士、2003年に機長。中日本航空出身。機長として3000時間、事故機には900時間乗務」ということだけだった。本来ならば、会見にこの機長が出席して晴れがましい成功の弁が聞けたはずなのだが、当然ながらそれも実現しなかった。

 ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜ 

 以下、花岡氏は、「全日空は民間企業ではあっても、公共交通機関の雄として社会的存在であることを忘れてもらっては困る。記者会見で報道陣がどう迫ってもプライバシーをタテに頑として機長名を明かさなかったというのだから、これははっきりいって常軌を逸している。公的機関であるという意識が欠落している」と全日空の姿勢を糾弾している。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 さて、私はもう少し違った見解を持っている、否、もう少し検討すべきことがあるのではないかと思っている。

 操縦士に数人の友人がいる。全日空の幹部にも親しい人が何人かいる。その人たちの意見では、どうやら、あれは「神業」でもなんでもないことのようだ。

 車輪が出ない場合の操縦については十分、学習しているはずで、今回の着陸の仕方は
「せいぜいかろうじて合格点にすぎない」
「いや、あれは恥ずかしくてJALの連中は笑っているよ」
というのである。

 つまり、「正常な後輪だけでもっともっと滑走し、最後の最後にちょっと前の部分を下ろして停まるべきであった」というのだ。それでなくては機体の破損も大きいし、それだけ原因究明が難しくなるというのである。

 したがって、技術や事情をよく知らない記者たちを前に、「記者会見でほめられたり、英雄扱いされたのでは、話が逆だから困ってしまう」「晴れがましい成功の弁などはとんでもない」というのだ。

 花岡氏の論旨は、むやみに個人情報だからといって名前を伏せるなということであり、その本旨はまったく同感である。しかし、どうやら、以上のような見解もあるらしいのである。


 
自由人逝く [2007年04月16日(Mon)]

 

 追悼の言葉を述べるイヴァン・ムルキッチ駐日セルビア共和国大使。







 
 苦楽を共にし、田中氏のすばらしい業績と生き方を支えた千寿子夫人。
 参列者に「平服で」とご案内し、線香台もご遺骨も置かない簡素な祭壇であったのも田中一生氏にふさわしいと、参列者が納得していた。ご遺骨の一部はバルカンで埋葬されたと聞く。





 10年余りにわたっていろいろ教えていただいた、旧ユーゴ文学研究家で翻訳家の田中一生(かずお)氏の偲ぶ会が、きょう4月15日午後、千代田区の日本教育会館で行なわれ、私も出席した。

 田中氏については小欄で何度か紹介したので詳細を省く。

 昨年の今頃、セルビア・モンテネグロ(当時)政府より、日本の文化勲章に相当するヴーク・カラジッチ勲章を授与された。

 そのことをきっかけに、両陛下に旧ユーゴ文学や現在の情勢などをお話しする機会が与えられ、諸般の関係から私が付き添って吹上御所に参上した。

 そこでも真の自由人たる面目を十分発揮された。両陛下、とりわけ今上陛下はバルカン問題にお詳しい。以前も、コソヴォやボスニア・ヘルツェゴヴィナを担当している難民を助ける会の関係者を案内したときも、そうだったが、現地の地理や歴史、文化、民族感情に精通しておられるといっても過言ではない。

 田中氏は陛下からの専門的ともいえるご質問に、多少上気しつつも、縦横無尽に回答し、時に4人で真剣に考え込んだり、破顔一笑したりして一時間あまりを過ごした。

 別れたのは坂下門の前。「また近く、メシでも・・・」と言いいあったのがつい先月ぐらいのことに思えてならない。

 生粋の自由人、田中一生氏が亡くなられたのは、3月9日。本人の希望で、モーツアルトの「レクイエム」を聴きながらの昇天であったという。享年71歳。惜しみても余りある。

 以下に、田中氏の発言の一端を紹介して、偲びたい。

 ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆

 ●翻訳家の中で、私にとって常に最高峰、師と仰いでいるのは森鴎外です。森鴎外の翻訳は、まさに貞淑な美女です。これはめったにありません。私の目標として、森鴎外を常に心の中に留めておいて、翻訳が上手く出来ないときは、森鴎外の書物をポッと開いて、読んで、自分自身また発奮するというようにしています。
   北海道美唄市ニコニコBOX親睦委員会における講演より

 ●大国の政治力学に翻弄され続けてきたがゆえに、旧ユーゴの作家が編み出す言葉には、苦悩する人間に通じる珠玉の輝きと知恵と洞察力がある。
   2006年5月2日付 朝日新聞「ぴーぷる」欄のインタビューに応えて

 ●文学には、政治学から見えない民衆の心が映されている。
 なじみの薄い文豪の作品をどう判り易く伝えるか。それが(翻訳の)原点です。
   2006年4月29日付 北海道新聞「ひと」欄のインタビューに応えて

 ●(ノーベル文学賞受賞者イボ・アンドリッチの作品は)いずれも訳者が愛惜してやまない作品である。
   2006年5月24日付 朝日新聞「天声人語」に

 ● “サラエボの銃声”が第1次世界大戦を引き起こし、バルカンが世界の火薬庫といわれてたかだた百年です。そのはるか昔から、ここは少数民族による多層な文化が共存した貴重な地域なんです。紛争の悲劇は現代史の一コマであり、もっと長い目で眺めてほしい。
   2006年7月20日付 日本経済新聞「うたた寝」欄のインタビューに応えて

 ●経済的には苦しくとも、在野の自由な立場で好きな作品の翻訳にあたるのだ、好きなことをするにはそれだけの覚悟がいる。
 3食を2食にしてでも、文献の蒐集に努めること。
   2007年4月刊行の田中一生著『バルカンの心』(彩流社)に寄せた柴宜弘東京大学大学院総合文化研究所教授(田中氏の弟子)の「解説に代えて」より。


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