CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2007年03月 | Main | 2007年05月»
<< 2007年04月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
「ひばり」に思う [2007年04月15日(Sun)]




「ヒバリ」の画像は、ウィキペディアから転載。



 万葉の時代、ホトトギスは「霍公鳥」と表記していました。「古今集」の時代になって「時鳥」、そしてかの徳富蘆花が書いたのは「不如帰」。これは中国の故事に由来するものです。

 4月に大伴家持が詠んだ歌に「霍公鳥」の歌があります。今頃は、日本のあちこちでもうホトトギスの鳴き声が聞こえているだろうと思いながら味わっています。

  木の暗れの茂き峰(を)の上(へ)をほととぎす
   鳴きて越ゆなり今し来らしも

 ホトトギスばかりでなく、春の盛りといえば雲雀(ひばり)でしょう。

 そこで、雲雀の歌はないものかと「万葉集」をさがしました。

 ありましたよ、ありました。1300年も昔にも、雲雀は日本の空を飛んでいました。

 雲雀を詠んだ歌は「万葉集」に3首。内、大伴宿禰家持の歌が2首でした。

   ひばり上がる春へとさやになりぬれば
   都も見えず霞たなびく

   うらうらに照れる春日にひばり上り
   心悲しもひとりし思へえば

 ほかには、「天平勝宝7(755年)、二月筑紫に派遣されし防人の歌」とある「勅使紫微大弼安倍沙美麻呂朝臣」のこの歌だ。

    朝な朝な上がるひばりになりてしか
     都に行きて早や帰り来む

 家持や沙美麻呂が雲雀を詠んでいてくれたことに感謝したいくらいです。3首とも雲雀が急上昇する様子を描いたものであるのは、作者がこの鳥の特徴をとらえ、そこに美を感じただけでなく、当時既に多くの人々にそのこことが理解されていたということにほかなるまいと思います。

 雲雀のもう一つの特徴は、多くの鳥が枝にとまりながら鳴くのに対し、雲雀は空中を鳴きながら飛ぶことです。イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズはそうした雲雀の姿をイメージして交響詩を作曲しました。

 ほかにも、ハイドンの弦楽四重奏曲ニ長調「雲雀」はあまりにも有名です。

 ところで、「古今集」には春告鳥の異名をもつ鶯(うぐいす)がもっぱら詠まれていて、雲雀の歌を見つけることが出来ませんでした。しかし、その後も雲雀は大いに親しまれてきた鳥です。


 童謡には

  ピーピーピーとさえずるひばり
  さえずりながらどこまで行くか
  高い高い空の上に
  姿かくして見えないひばり

というのがありましたね。

 そして、戦後、日本が生んだ最大の歌手はご存知「美空ひばり」、まさに、空を飛びながらきれいな声で歌う雲雀のイメージはないでしょうか。

 神奈川県相模原市は1974(昭和49)年11月20日、市の鳥として「ひばり」を制定しました。あのあたりは今では大変な住宅地で人口が密集していますが、33年前は、まだ雲雀が多かったということなのでしょうね。

 私自身は、春の空を雲雀が飛びかう姿は、残念ながら、子どものころに見たという程度の記憶しかなくなってしまったような気がします。あまり考えると、人生、これでよかったのかと、深刻になりかねませんので、このくらいいにしましょう。

 そうそう、欧米人には雲雀はたいそう人気のある鳥のようです。タバコの名前にもLark(ヒバリ)というのがありましたね。タバコが大嫌いなものですから、つい忘れていました。

 春爛漫、原っぱに寝そべって、ひがな一日、雲雀の声でも聞きたいものです。

最南端で出会った花F [2007年04月15日(Sun)]

























波照間島にはまだまだいろんな花が咲いていました。ダイビングに来て海に浸るのもいいですが、野辺の花の美しさも、少しは評価されていいのではないでしょうか。

最南端で出会った花E [2007年04月15日(Sun)]
 
 日本人が暮らす最南端の島・波照間で出会った花。今回は、白い花をご紹介したい。一番上のユリは背丈が10センチそこそこ。野生であちこちに咲いている。















雅なる人と花鳥 [2007年04月15日(Sun)]



「カワラヒワ」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




 春たけなわ。

 こうなるとわが故郷の銘酒「爛漫」をサクラの下で飲もうなどとたくらんでしまいます。しかしそれは、俗人たるゆえ。誘惑を断ち、とりあえず、いい気候に魅かれて駒沢公園を全力の早足で2周、散歩してきました。花はきれいでした。新緑も良かったです。

 残念ながら、小鳥たちのさえずる声までは聞こえませんでしたが、帰宅してメ−ルを開くと、小欄でおなじみの石田良介画伯がすばらしい野鳥の絵をおくってくれていました。

 それにしても、小鳥の声って何て嬉しそうに聞こえてくることでしょう。小鳥の声を聞くと心がウキウキして楽しくなります。

 また木に隠れて鳴く声をたよりにあちこち木の間をさがすのも興があります。

 ところがこの武骨者には、鳥の姿を見つけても何という鳥か分からなくて興ざめするのがおちです・・・鳥の種類がわかる人が羨ましいかぎりです。

 ところで、「古今集」の春の歌には桜がたくさん詠われていることは周知の通りです。それもさまざまなタイミングのサクラを詠んでいます。桜花爛漫も、また散り際も。

 今のような散り際なら、まず、花吹雪もおさまり、その折の絢爛たる幻影を貫之が詠んでいます。

 桜花散りぬる風のなごりには
    水なき空に波ぞたちける

 また、春は桜ばかりが花ではないと、よろづの花を詠んだ歌にこの歌があります。
「春の歌とてよめる」と詞書をした良岑宗貞の作です。

 花の色は霞にこめて見せずとも
    香をだにぬすめ春の山風


 他方、「新古今集」に桜は過ぎて行く春の友だと詠んだ歌があります。
「無風散花といふことをよめる」とある大納言忠教の歌です。

  さくら花過ぎ行く春の友とてや
    風の音せぬ世にも散るらむ

 同じく「新古今集」の皇太后宮大夫俊成の次の歌は今頃の素晴らしさをあますところなく伝えてくれる大好きな歌です。

  照る月も雲のよそにぞゆきめぐる
   花ぞこの世の光なりける

 美しいものは天上の月と地上の花といい、花をさらに素晴らしいと讃えています。

 このあと、また、しばらく波照間島の花の写真にお付き合いください。そして石垣島、与那国島、宮古島、下地島と紀行は続きます。


最南端で出会った花D [2007年04月15日(Sun)]


 日本人が暮らす最南端の島・波照間では野辺にえもいわれぬ美しい花が咲いていた。この武骨者にも、多少の物思う心があると見え、懸命に花を追いかけてしまった。しばらくお付き合いいただきたい。

 名前を知っていたのは、ブーゲンビリア、ハイビスカスくらいのもの。あとはご勘弁を。















最南端で出会った花C [2007年04月15日(Sun)]



















最南端で出会った花B [2007年04月15日(Sun)]

















  昨4月14日付朝日新聞の別冊「be on Saturday」では「愛の旅人」シリーズとして、「瞬く星に面影さがして」の題で波照間島のことを書いている。歌手の森山良子さんが作詞した歌「涙(なだ)そうそう」をモチーフにした小説の結末を思わせる、波照間南端の絶壁を撮影した素晴らしい写真も大きく掲載されている。

「岬に立ち、幻の島で楽しく暮らしている亡き兄に思いを馳せる妹」、これが小説のモチーフなのだという。

 最南端の絶壁もいい。そしてその島は日本で唯一、南十字星をすべて見ることの出来る場所でもある。が、私は引き続き、波照間で出会った美しい花を紹介したい。
最南端で出会った花A [2007年04月15日(Sun)]


















 日本の最南端の島・波照間(はてるま)で出会った花の続きである。東京でソメイヨシノが満開という4月の始めに、波照間ではこんな花たちが迎えてくれた
最南端で出会った花@ [2007年04月15日(Sun)]














 日本の最南端・波照間島(沖縄県)で出会った花々をご紹介したい。

 先日、ラオスで出会った花を紹介したところ、尊敬する友人から「手抜きブログが続いたので、どこかに旅行でもしているのかと思った」という、辛らつ?なメールをいただいた。洞察力に参った。

 昨日は確かに都内での葬儀と宇都宮大学へ出かけた。このため終日、PCの前にいなかったが、きょうは以前小欄でも書いたセルビア文学の泰斗「田中一生先生を偲ぶ会」に出かけるくらいのもので、「手抜き」をするため、花の写真で誤魔化す?わけではない。

 日本の南や西の端では、こんなにきれいな花たちがふんだんに咲き誇っていることをお伝えしたい一心である。

 そして波照間島ではそんな花たちと共に、心穏やかな人々が暮らしている美しい島(ちゅらしま)であることをお伝えしたいのだ。
ボランティア入門 C [2007年04月15日(Sun)]




 「実相寺の桜」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。





  NGOがどれだけ根付いているかは民主主義のバロメーターではないかと思う。中国や北朝鮮の例を見れば想像がつく。

 NGOはその世界的連携で新時代を切り開くことがしばしばあるが、日本の国内においてネットワークをしっかり構築するには、自由意思による活発な寄付文化が定着していない社会の実態は、それを決して容易なものにはしてくれないようだ。

 そもそも、NGOの原点は、国(政府)や地方公共団体とは別の次元で、市民が自発的に何らかの組織を創出して活動することにある。

 したがって、国や地方公共団体と、時には協調し、補完したり、時には反発したりすることはあっても、その下に従属するという関係ではない。重要なことは「自発的に」ということ、つまり、イニシアティブを持って活動を展開するということだ。

 今日でいうNGOに近い形の民間組織はヨーロッパでもわが国でも必ずしも近代市民社会の成立後に初めて現われたものではないが、しかし、NGOが個の発意の連鎖で社会的存在になるという意味では、民主主義や近代市民社会の発展と密接な関係にあるのはいうまでもない。

 これについて、「(そんなことは)既に1830年代にフランスの思想家トクヴィルが『アメリカの民主政治』で指摘している」と入江昭・ハーバード大学教授(早稲田大学客員教授)が「読売新聞」(1998年6月10日付)に次のように書いている。

 アメリカの民主政治を最初に分析した、そして今日でも説得力のあるこの本によれば、アメリカ人は年齢や職業に関係なく、「いつもグループを作っている」。そのような自発的グループは多数存在しているということは、アメリカ人が決して自己中心的な個人主義なのではなく、かといって国家や上流社会の人たちを頼りにして自分たちの問題を解決しようとしているのでもない。国と個々の市民たちとの間に存在する各種のグループが、アメリカ民主主義という政体の中で文明を栄えさせているのだ、とトクヴィルは指摘した。

 昨今、NGOは何番目かの新しいジャンルを切り開く社会的存在であるかのように注目され、前述のように、国連をはじめ、多くの国際会議で政府代表とは別の独立した席を与えられ、意見を開陳できるようになった。

 また、最近の対人地雷禁止条約を推進した<オタワ・プロセス>やリオデジャネイロや京都での環境会議のように、NGOが地球規模ともいうべき国際的なネットワークを活用しながら、各国政府を動かして人類的課題に果敢に挑戦し、実績を上げている例も増えてきている。

「トクヴィルが米国社会について述べたことが、世界全般についてもいえるようになったからで、国に頼らず、あるいは政府の指導を待たずに、各国の人々が自発的に組織を作り、横の連絡をつけることによって、国際的市民運動へと発展させていく」ようになったことが今日のNGOの特徴であると入江教授は指摘する。

 それだけに、まだまだ「結んで開いて」の発展途上段階にある日本のNGOもそれぞれの自立と成長に努め、「お手てつないで」新たな国際的市民運動へと発展させていかねばならない時期にきていると考える。

 但し、寄付文化が確立されているとはいいがたい日本において、浄財というパイは限られているし、所詮は、良質とはいえ「馬賊の親分」的雰囲気を持つリーダーが多い中で、その連携は実に至難なものがあるは事実であろう。
| 次へ