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日露戦争と捕虜 (22) [2007年04月14日(Sat)]




 
      




最大多数の浜寺は下士卒のみ

  一方、浜寺の収容所に滞在したのは陸軍の準士官1名、海軍の準士官が50名で他の22,325名はいずれも下士卒(陸軍1,6753、海軍5,572)であった。ロシア軍の兵卒の多くは文盲ないし文章を綴るという習慣のない者であっただけに、捕虜自身が記録したものはほとんど残っていない。

  浜寺の収容所は現在の高石市と一部堺市にかかる場所にあった。

  2003年5月、収容所跡地に、泉州21世紀協議会が駐日ロシア大使館の協力を得て現代ロシアの著名な彫刻家であるウソフ氏による「日露友好之像」を建立した。

  小泉首相(当時)の揮毫になる像の名と、プーチン大統領が寄せた「ロシアの勇猛果敢なる子が永遠に人々の記憶にとどまらんことを!」のメッセージが二人の署名とともに銅版に刻まれている。

  浜寺で亡くなった捕虜89人のお墓は現在の泉大津市春日町にあり、市民ボランティアや教会関係者などによって、清掃、献花されている。
  
  逆に、名古屋の収容所にはロシア軍の将官が集められた。

  名古屋の平和公園には同収容所でなくなった15人の下士卒の墓石と、ロシア正教の複十字架を石塔の頂に置き、「双頭の鷲(ロシアの国章)」の付いた石塔形の記念碑がある。各墓石にはなぜか普通の十字架が彫られている。

  刻まれた文字を辿ると、この中の9名もがポーツマス条約締結後に亡くなっているのが痛ましい。

  建立したのは、捕虜として収容された「戦友」そこにはロシア語で「1905年に亡くなった15人のロシア人捕虜、ここに眠る。主よ、天国においてこの人たちの魂に安息をお与え給わんことを!」とある。おそらくは将官たちが中心になって醵金したのであろう。


石垣島への異国船 [2007年04月14日(Sat)]





 石垣島から西表島を臨む







 波照間島に行く機内から見た石垣市の市街






 日本への「黒船」は1853年のぺリー来航に始まるとされる。

 1852年3月に東インド艦隊司令長官に就任したペリー提督は、同年11月、日本の開国を迫るアメリカ大統領の親書を携えてバージニア州ノーフォークを出航した。

 ミシシッピ号を旗艦とし4隻から成る艦隊はケープタウン、シンガポール、香港、上海を経由し、那覇、父島(小笠原諸島)に立ち寄り、1853年7月8日(嘉永6年6月3日)浦賀に入港した。
 
 ここまでは、小学校以来、耳にたこができるくらい聞かされたし、読まされた日本人の常識。

 ところが、これより早く、石垣島の宮良湾に英国の軍艦サマラン(Samarang)号が、1843、45年に琉球と長崎に来航し測量を行っている。

 1840年にアヘン戦争が起こり、42年の南京条約で香港が割譲されるという騒擾続きの険悪な時期であった。同号には234人の将兵、25人の船員、そして中国人通訳が一人計260人が乗り込んでいた。艦長はエドワード・ベルチャー。沿岸測量の専門家とも言うべき英国海軍士官である。

  1835年、新しい水路測量に関する著作をものにし、それまでは天文学者がやっていた、六分儀、経緯儀、クロノメータなどを用いて天体観測と三角測量を組み合わせた実践的な測量術を編み出し、これを測量士官自身がおこなうことを英国海軍に普及した人とされる。

  ベルチャーは1840〜41年、アヘン戦争に参加、攻撃艦隊の水先案内、あるいは上陸地点を決定するための測量を行うなどして、イギリス海軍の勝利に尽くした。

 45年には長崎に来航した。鎖国を行っていた時代であり、長崎奉行は測量の拒絶、伊王島にのみ上陸を許した。しかし、ベルチャーは、これを無視して、同島の経緯度を観測した。また警備する日本側をごまかして短艇を出し、推進の測定などもおこなった。 

  ところで、石垣島にやってきたサマラン号からは10人ほどが小船で岸に近づき、やがて浜辺にテントを張り、勝手に測量を開始したのみならず、さらに島内に入り込む様子だった。結局、大きなトラブルにはいたらず、来島の目的もはっきりしないまま、事なきを得たというのが史書の教えるところである。

 実は、浅学非才の私は石垣島訪問で、この史実をはじめて知ったのであった。
温家宝首相の訪日 [2007年04月14日(Sat)]



   




 著名な国際派ジャーナリストP氏から久々にメールが来ました。基本的に私と同じ考えですが、私の感想は2,3日中に小欄に書くつもりです。とりあえずは、転載してご紹介します。


  ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆

温家宝・中国首相の訪日は
両国にとって成功だったと思います。

慰安婦問題での安倍総理の軽率発言にも
中国側が眼をつぶるだけ
国内基盤を固めた時だっただけに
運が良かったと
思います。

安倍総理は
これを機会に

大局的にモノを見、
歴史事実と、国際社会の認識をきちんと勉強して

余計なことは言わないよう習慣付けることが必要です。

自らの発言で
わざわざ慰安婦問題を大きくした安倍総理ですが
慰安婦のような
人道上の問題には
細かい歴史事実などで争うのは”愚の骨頂”であり

指導者としての品格、人格、徳を
示すためにも(それが尊敬される道ですが)

被害者(と自称する人たちも含め)への
同情と配慮を示すのが
一番良い対応です。

間もなく行われる訪米が
当面の課題で
慰安婦問題は(残念なことに日本政府・与党内に時折失言をする人が絶えない以上)

たとえ訪米中に持ち出されなくても
これからも火山の噴火のように
時折噴出するでしょう。

日中関係を安定したものに出来れば
アメリカにも一目置かれ
日米関係にも
そしてアジアでの日本の主導権再確立にも
良い基盤作りになるでしょう。

これが出来れば
安倍総理はしっかりとした業績を残すことが出来ます。

いずれにしても
年内に予定されている
安倍総理の中国訪問が期待できます。
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