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入れ子人形の真実 [2007年03月23日(Fri)]





 けさほどこの写真を載せて、この箱根の入れ子人形が、ロシアのマトリョーシカの原型であると書いたところ、何人ものかたから、問合せをいただきました。

「これはこけし人形と同じで単なる一本の材木を掘ったものの大小7つではないか」といった趣旨です。

 私の撮影技術の乏しさでしょうか。いやぁ、細工の良さでしょうね。切れ目が見えないほどなののです。

 箱根には寄せ木細工もあり、その細密なテクニークの伝統がここにも活かされているのです。
 
 最大のものでいうと眉の上辺りに切れ目があるのです。そして順に6つがその中に入ってしまうのです。

 みなさまも是非、横浜の人形の館にお出かけください。
冥土の土産 [2007年03月23日(Fri)]












  3月26日(月)午後6時から紀尾井ホールで開演の「山季布枝と素敵な仲間たち」にみなさま多数お申し込みくださいましてありがとうございます。心から感謝しています。

「清水の舞台から飛び降りる覚悟」か「冥土の土産」かわかりませんが、懸命に会い努める所存ですので、必ずご来場くださり、ご声援ください。 

   私は第3部からの出演ということになりそうです。したがって、7時30分以前に歌うことはないと思いますが、山季布枝先生はもちろん、他の3外国人の演奏はほんとうにすばらしいはずですので、どうぞ最初からお聞きください。

 また、ご来場くださる方々には「あ、この人」といった著名な方々も予想されます。トロント、マニラ、秋田、三重からも来てくれます。もちろん「妙齢の美女」や「元・紅顔の美少年」ばかりです。

 私の出番が急に増えて5ヶ国語で6曲というのはいかにも無理ですので、全力を尽くしますが、楽譜を見ながらでも不十分かと思います。ご厚誼に免じてご寛恕ください。

 また、周辺は桜花爛漫(一歩手前?)で人ごみが予想されます。お気をつけてご来場、ご帰宅ください。
外務省の桜 [2007年03月23日(Fri)]



 3月22日に撮影したもの。後ろが外務省。




 外務省の桜がどうしてそんなに早く咲くかについて、同じ疑問を持ったスリジエ・パリスさん(ブログネーム)から、以下のようなコメントが来ました。コメント欄では気づかないこともあろうかと思い、転載させていただきます。

 文中、伊東外相とあるのは、伊東正義のこと。大平正芳と同じマサヨシで、まさに親友という間柄でした。

 昭和38年衆院選に当選。池田派(宏池会)に属しました。

 第1次大平内閣では自民党財務委員長。第2次大平内閣では副総理・内閣官房長官を勤めました。昭和55年大平総理の急死後は臨時首相代理、続く鈴木善幸内閣で外相を務めた。清廉潔白、会津魂の塊のような硬骨漢で、「リクールート疑惑」で竹下登内閣が退陣すると後継首相に推されましたが、「われその器にあらず」と、断固断りました。

 長年、多くの政治家と付き合ってきたわが師・末次一郎が、千葉三郎、木村俊夫、坂田道太などと並んで激賞していた政治家です。

 このあと、明日あたりから外務省正面の染井吉野が咲きそうです。これまたも見ものですよ。 

   ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 外務省のサクラは、本当に不思議です。私も昨日、財務省側のサクラが満開なのを目撃し、一緒にいた同僚と、なぜにあそこだけが満開なのか、侃侃諤諤の言い争い(?)になりました。
 
 実は、2週間ぐらい前にも、外務省のサクラが咲いていると聞いておりましたので、外務省のサクラには「なにか」があるに違いないと考えていました。

 そこでネットで調べてみたところ、一年前のネット版朝日新聞(マイタウン東京)に、その答えを見つけました。朝日の記者が外務省に直接確認した情報らしいので、以下に転載させていただきます。

「一番先に咲くのが坂上の南門近くの濃いピンクの「陽光桜」。次いで財務省側の白い「伊東桜」。伊東外務大臣の時代に静岡県伊東市より寄贈されたもの。三番目に桜田通りの「染井吉野」が咲く。」
(参照:http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000140604050001)

 現在満開なのは、「伊東桜」なのですね。ナットク。

   ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

  このところ、とかく元気のない外務省ですが、このくらい華やかに復活してほしいものと、私は期待しています。


27個のマトリョーシカ [2007年03月23日(Fri)]










   先に「もしかして世界一」かもという、27個組のマトリョーシカがわがユーラシア21研究所にあるとお伝えしたら、千客万来、ありがたいことです。

  たしか1992年ころ、モスクワの雀ヶ丘(レーニン丘)で80ドルくらいで手に入れたものです。我が家には赤い色を基調とした同じマトリョ−シカもあります。

  日露友好のシンボルにもなりうるこのマトリョーシカ、学校の文化祭などで展示するなど、大事に扱ってくれる団体の場合には、無料でお貸しします。
マトリョーシカの起源 [2007年03月23日(Fri)]










マトリョーシカの原型ともいうべき、箱根の入れ子人形「七福神」。横浜の人形の家所蔵




 以前小欄で、もしかして世界一のマトリョーシカ(28個組)がユーラシア21研究所にはあると書いたところ、多くの方から問合せや情報の提供がありました。感謝します。

 また数日来、拙著『捕虜たちの日露戦争』(NHK出版)の抄録を連載していますが、それを読まれた方からは、マトリョーシカは日露戦争(1904〜05)の時の松山捕虜収容所のロシア兵が愛媛県の郷土玩具「姫だるま」をまねて作ったのではないかという説があるとおしえていただいた。

 そんなことが重なったので、すこし調べてみようと思った。

 早速、ウィキペディアでみると、なるほど、松山にいた捕虜が起源という説を最初に取り上げ、1900年にパリ万博のロシア館で陳列されたところ、大いに人気者となり、銅メダル獲得したという事実と時期的に合致しないと否定している。

 日本ユーラシア協会の解説が一番詳しいようです。それによると・・・

    ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃

 現存する最古のマトリョーシカは、1890年代半ばの制作といわれる8人組の物でロシアのザゴールスク玩具博物館にあります。

 1890年代といえば日本では明治時代。箱根ではお土産として箱根細工の入れ子人形が売られており、福禄寿の胴の部分が上下に二分され、中から幾重にも神様が出てくる「七福神」がありました。当時、箱根の塔ノ沢にロシア正教会箱根避暑館があり、多くのロシア人が出入りしていました。その箱根にロシアの富豪マモントフ夫妻が訪れた折りに入手したのか、または、箱根に来たロシア人(「ロシア正教の修道士」という説あり=吹浦)を経て「七福神」はロシアに渡ったのです。

 S・I・マモントフ夫人はモスクワ郊外のアブラムツェボにサロンを作り芸術家の支援をしていましたが、夫人の発案で、画家S・V・マリューチンとセルギエフ村のろくろ師V・スビョズドチキンによって作られた説が有力です。


    ☆━━━━…‥・  ☆━━━━…‥・


 いずれにもせよ、箱根細工の入れ子人形(「こけし」「だるま」「七福神」)がロシアに渡ってマトリョーシカになったというのは正しいようである。

 マトリョーシカという名前は、ロシア女性の名前マトリョーナの愛称(アレクサンドルがサーシャ、タチアーナがターニャになるが如し)からきている。

  3月18日、私は結婚披露宴の帰り、横浜の人形の家を訪問、久しぶりで箱根の入れ子人形の代表格ともいうべき「七福神」を見てきた。7個組のこの人形からマトリョーシカに発展した「国際交流」、ロシアに携わる者として、やはりじっと、そしてうっとりと見つめないわけには行かなかった。

 今度、ロシアに行くときには久しぶりにザゴルスク(モスクワから北に250キロ程度)にも行って、この最初のマトリョーシカを見て来たいものだ。

  なお、ユーラシア21研究所のマトリョーシカは書棚に並べてあります。関心のある方は、どうぞ、いつでも覗いて見てください。
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