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やたがらす考 I [2007年03月01日(Thu)]






 平野浩氏の論考である。

 ☆━━━━…‥・ ☆━━━━…‥・


 八咫烏の正体は、下鴨神社に帰属して陰陽道をきわめ、カッバーラを知り尽くした漢波羅たちによって構成される秘密組織であり、その組織は現在もなお存続しているということを述べました。
 にわかには信じられないという方がほとんどでしょうが、断続的にはなりますが、少しずつ事実を明らかにしていきます。こういう組織が存在することで分かることは、神道にはさまざまな重要な儀式があって、そういう儀式をどのようなことがあっても守るという強い意思が働いていることを感じます。
 謎を解くひとつのカギは、下鴨神社です。既に述べたように、この神社は裏神道を仕切る賀茂氏の神社です。下鴨神社の境内には深い緑の森があります。この森は「糺の森」(ただすのもり)と呼ばれています。「糺(ただす)」というのは、身を糺すという意味であり、毎年土用の丑の日、境内の池では人々は手足を水に浸して汚れを祓い、無病息災を祈るのです。実は、京都にはもうひとつ「糺の森」があるのです。それは、右京区太秦にあるのですが、この森は「元糺の森」とよばれています。「元糺の森」も神社の境内にあり、それは次の神社です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  木嶋坐天照御魂神社
  このしまにいますあまてるみたま神社
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 この神社の摂社を「養蚕神社」(こかいじんじゃ)というのですが、この神社は呉服屋、三井家によって崇拝されているところから、地元では「蚕の社」として知られています。三井家は蚕の社の氏子なのです。
 この蚕の社は秦氏によって創建されている神社なのですが、ここには奇妙な鳥居が立っています。それは三柱鳥居といって立体的に3基の鳥居が合体しています。3本の柱によって、三角形の空間を囲んでおり、一種の結界を形成しているのです。三柱鳥居が立っている神社は全国にありますが、そのほとんどは再建されたものであるのに対し、古代まで遡れるものとしては蚕の社の三柱鳥居が唯一のものです。
 さて、蚕の社にある「元糺の森」ですが、「元」とあるようにこちらが本家であることを示しています。調べてみると、もともと「糺の森」は蚕の社にあったのですが、9世紀の初頭、嵯峨天皇のころ、糺の森は下鴨神社境内に移ったのです。いうまでもなく、森そのものが移動したわけではなく、名前だけが移動したのです。そのため、蚕の社の森は「元糺の森」と称せられるようになったのです。
 糺の森という名前が移動したといっても、コトは神社の話であり、そこに祀られている御魂――すなわち、祭神が移動したと考えるのが自然です。つまり、蚕の社――木嶋坐天照御魂神社は、元下鴨神社だった可能性が強いのです。それは、蚕の社の社紋が下鴨神社の社紋と同じ「二葉葵」であることが、そのことを何よりも証明しています。蚕の社を祀る秦氏と下鴨神社の賀茂氏との間には、表に出ない何か深い関係があると考えてよいと思います。既に述べたように、三井家は蚕の社の氏子ですが、三井家と同じ名前の三井神社は、下鴨神社の摂社なのです。そこには、賀茂建角身命と伊可古夜日女と玉依姫の3人が祀られているのです。とても偶然とは思われませんし、明らかに同族であると考えてよいと思います。
 ところで、「葵の御紋」といえば徳川家の家紋です。しかし、徳川家の紋は「三葉葵」です。どうして、徳川家がこの紋を使っているのかについては諸説があります。徳川家康は、三河の松平家の本流といわれていますが、その出自にはいろいろ、疑問があるのです。
 歴史家の村岡素一郎氏の研究によると、徳川家康はもともと松平氏とは関係のない「世良田二郎三郎元信」と称する男であり、この男が松平当主であった信康を暗殺して岡崎城主になったというのです。この真偽は定かではないですが、家康がいろいろ系図操作をしていることは確かなのです。ところで、葵を家紋としていたのは、徳川四天王のひとりである本多正信です。本多氏は賀茂神社の神官の一族であり、そのルーツは賀茂氏、その家紋は「立ち葵」です。そこで、家康は本多家にあやかって葵を家紋としたといわれているのです。
 しかし、これとても真相であるとは思えないのです。むしろ、徳川家も賀茂氏の系統で、配下に陰陽師や漢波羅を抱えていたとする説の方が説得力があります。およそ日本の歴史において、今まで権力を握ったものは、そのすべてが秘密組織「八咫烏」の力を借りているからです。したがって、徳川家康がそれと無関係であることは考えられないのです。
 さて、秦氏の創建による蚕の社の祭神が下鴨神社に移ったという事実――それが真実であれば、秦氏と賀茂氏はつながっていることになります。いや、つながっているというより、賀茂氏は秦氏そのものであることも考えられるのです。
 5月15日に京都では、平安時代の貴族に扮した人々が街を優雅に練り歩く祭礼「葵祭」があります。この葵祭を主催しているのが下上賀茂神社なのです。この日天皇の命を受けた勅使が下上賀茂神社に出向き、神殿において御祭文や祝詞、東遊舞などを奉納する社頭の儀というものが今でも行われるのです。それに加えて、5月12日に下鴨神社で行われる秘祭があるのです。これが葵祭で行われるもっとも重要な儀式となっています。
 偶然ですが、昨夜のNHKスペシャル「アジア古都物語」で、水に関して、下鴨神社のこの秘祭と葵祭が取り上げられました。ご覧になったでしょうか。
やたがらす考 H [2007年03月01日(Thu)]




 平野浩氏の論考をさらに続けたい。

 ☆━━━━…‥・ ☆━━━━…‥・


 それでは、秘密組織八咫烏は、何を目的としていまもなお存在しているのでしょうか。
 八咫烏の使命は、「この国――日本を存続させること」あるのみです。天皇を裏で支え、神道を根幹として霊的な呪術をはりめぐらすのです。この秘密組織の一団は、下鴨神社を拠点としてひそかに活動しているといわれます。皇室の存続と神道の擁護のために彼らは働いているのです。あなたは、信じられますか。
 ところで、神社には「鳥居」があります。鳥居は文字通り「鳥が居る」という意味です。何のために居るのかというと、それは不審者が入ってこないよう監視しているのです。家の中の部屋の門というべきものに「鴨居」があります。これまた「鴨」――鳥が登場します。神社の参道にはいくつもの鳥居があり、家の中にもいくつも鴨居があるように、奥の院、奥の部屋にたどり着くには、いくつものトビラを開かなければならないわけです。それらのいくつものチェックポイントで、八咫烏が目を光らせているわけです。
 この八咫烏の存在を知ったうえで日本史を調べると、そこにはぜんぜん別の歴史が展開されているのを知ることができます。少なくとも日本の歴史においてかつて権力を握ったものは、この八咫烏のめがねにかなった人物だけなのです。日本最古の神社のひとつに、奈良の大神(おおみわ)神社というのがあります。大神神社には本殿はなく、ご神体は三輪山にあり、山そのものを遥拝するために拝殿があるのみです。そして、三輪山の麓に鳥居が立っているのです。
 この鳥居は非常に変わっています。3つの鳥居が横一列に合体しているのですが鳥居の足は4本しかないのです。中央の鳥居だけは大きく、左右の鳥居は小さいのです。これを「三ツ鳥居」と呼んでいます。なぜ「三ツ鳥居」なのかというと、大神神社は三神を祀っているからです。三神とは次の通りです。
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       和魂 ・・・・・ 大物主神
       幸魂 ・・・・・ 大己貴神
       奇魂 ・・・・・ 少彦名神
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 正面の一番大きな鳥居が大物主神、向かって右の小さな鳥居が大己貴神、左の鳥居が少彦名神です。それでは、「和魂」、「幸魂」、「奇魂」とは何でしようか。神道では、神の御魂を次の二つに分けています。
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    和魂(にぎみたま) ・・・ 神の和やかな魂
    荒魂(あらみたま) ・・・ 神の荒らぶる魂
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 「和魂」というのは神の和やかな魂のことです。自然界における恵みや幸といった人間を祝福する側面です。人間が神社を参拝して神に願い事をし、感謝を捧げる対象としての神です。「荒魂」というのは神の荒らぶる魂のことです。自然界における嵐や暴風雨、天変地異という激しい破壊的な側面です。このうち、「和魂」は、さらに次のように2つにわかれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   幸魂(さちみたま) ・・・ 目に見える物質的側面
   奇魂(くしみたま) ・・・ 目に見えぬ精神的側面
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 「幸魂」は、動植物が成長し繁栄していくことを示す、物質的側面のことです。これに対して「奇魂」は目に見えないもの――人間のもっている愛情や動植物の生命力、または死んだ人の霊魂をつかさどる御魂です。この大神神社の氏子のひとりに「サントリー」の創業者、鳥居信治氏がいたのです。鳥居姓は大神神社の三ツ鳥居にあるのですが、社名の由来は次のように決まったといわれます。
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      三ツ鳥居 ⇒ 三鳥居 ⇒ サントリー
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 実はこの「3」という数が八咫烏に大いに関係があるのです。
鳩山由紀夫の限界 [2007年03月01日(Thu)]



 中列・左から3人目が鳩山由紀夫民主党幹事長。




 昨年、すなわち日ソ共同宣言で両国が国交を回復して50周年になったことを記念して、ロシア側から日ロ協会(鳩山由紀夫会長)に贈られたのが、2月28日に除幕した鳩山一郎元首相の銅像である。

 除幕式後の記者会見で孫に当たる由紀夫氏は、「4島一括返還と言っていたのでは千年経っても島は返ってこない」と述べたとされる。

 私は鳩山一族を持ち上げ、日本の世論を分裂させようというロシアのネライがあまりに露骨過ぎることに嫌気がさし、安倍、フラトコフ両首相が去る一分ほど前、おそらくは出席者の最初に会場を去ったので、正確にこう発言したかは断言できないが、各紙とも概ね、そのように報じているのであるから、少なくともこれに近いことを述べたに違いない。

 だとすれば、「なんと軽はずみなことよ」と嘆じるほかない。まんまとロシア側に乗せられた「お坊ちゃま」の限界を見たというほかないではないか。

 由紀夫氏の祖父は、@日ソ国交回復、A日本の国連加盟、B千数百人の抑留者の帰還を実現した功績、実に偉大なものがある。しかし、我が国があまりに非力であったが故に、領土問題をきちんとすることができないまま、平和条約ではなく共同宣言を締結したのである。それによって条約交渉を継続協議とした。

 その状況は今日まで続いているのである。よしんば、4島をとりあえずは2島でよしとして、平和条約を結んでしまえば、ロシアが国後、択捉の返還交渉を継続するとでも思っているのか。

 祖父の時代と現在とでは両国の地位や力関係がまるで違うことをなぜ、理解できないのか。

 まさか、祖父の遺功や威光をかさに、自己の政治的な浮上を狙うほど姑息な政治家とは思えないが、日本人としての矜持も誇りも感じられない、国益を損なう発言と断じざるをえない。猛省を促す。

 銅像となった祖父と厳粛に対面し、自己改革を図るべきである。
やたがらす考 G [2007年03月01日(Thu)]







 平野浩氏の「やたがらす」論は、佳境に入りさらに続きます。

  ☆━━━━…‥・  ☆━━━━…‥・


 下鴨神社は実質的に神道の総元締めのような存在であるという話をしました。今回の古代史の話は「八咫烏(ヤタガラス)」の話から入っていますので、ときどき話を整理しながら、八咫烏と結びつけていきます。
 実は下鴨神社は八咫烏を祀っているのです。下鴨神社の主祭神の1人「賀茂建角身命(かもたれつねみのみこと)」は賀茂氏の祖先であり、この主祭神が八咫烏なのです。賀茂建角身命は神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)の父親に当たります。ということは、神武天皇の祖父に当たるわけです。神武天皇が八咫烏に助けられたという神話は、神武天皇の祖父が八咫烏となって孫の神武天皇を助けたということになります。
 下鴨神社は、漢波羅の本拠地ですから、その神社が祀る賀茂建角身命は漢波羅の親玉的存在ということになります。つまり、大漢波羅というべき存在です。ここで、留意していただきたいのは賀茂建角身命だけが八咫烏というわけではなく、代々引き継がれて、それはある集団を指すようになってきていることです。
 つまり、八咫烏とは、下鴨神社に属して陰陽道をきわめ、カッバーラを知り尽した漢波羅の集団の名称と考えるべきなのです。もっと具体的にいうと、漢波羅の中でももっとも優秀な漢波羅が構成する秘密組織なのです。そして、重要なことは、この秘密組織は昔存在しただけではなく、現在もなお存在するということです。もちろん、秘密組織ですから、ひそかにそれは存在するのです。
ラオスという国 A [2007年03月01日(Thu)]




 現在のラオス人民民主共和国の国旗。
 メコン川の岸辺に立つ筆者の写真も撮影したが、都合により、明日以降に掲載する。




 ラオスはかつて王政の国であった。国旗は赤地に白で3頭の像を描いたものを掲げていた。

 1975年4月30日のサイゴン陥落でベトナム戦争が終わり、ラオスでは同年12月2日、王政から、人民革命党の一党独裁制となり、今日に至っている。

 ラオスではわずか10年後の1986年、市場経済化や外国からの投資を歓迎する政策に変わり、一見して社会主義国家であることを忘れさせる雰囲気である。

 しかし、未だにマルクス・レーニン主義を前面に掲げているのは、世界広しといえども、北朝鮮、キューバとラオスぐらいのものである。私にいわせれば、中国やベトナムはタテマエはともかく、もはや「自由なき資本主義」国家である。

 報道、結社、言論などは厳しい統制下にあり、民主主義の基本である政治的自由がいっさいない。

 テレビはほとんど党や政府の宣伝番組ばかりだそうだ。そこで、人々はタイの放送を見聞きする。いかんせん、首都ヴィエンチャンではメコン川をさはんで、手の届くようなところにタイの中堅都市ノンカイがある。

 タイとの国境はその大部分が、このメコン川である。19世紀後半にフランスが植民地化したときに川を天然国境にしたからだ。

 1970年代、夜陰にまぎれてこの川を泳いでわたり、多くの人々がタイ領に逃れ、日本に定住した人も千数百人人近くいる。

 泳ぎの苦手なアイタイ氏もその一人。自動車のタイヤを浮き輪の代わりにして逃げたところ、銃撃にあってタイヤが破れ、空気を入れながら向こう岸にたどり着いたと語ってくれたことがある。

 人民革命党の時代になっても、小乗仏教への信仰は厚く、いまでも、街中で黄色の僧衣をまとった托鉢僧を見ることが出来る。このあたりは一党独裁をしいた他の共産諸国とは違う点だ。

 ややこしいのはこの国と主要国や周辺国との関係だ。それについては次回に触れる。


面積等分論に反対の理由 [2007年03月01日(Thu)]





 サハリン州の旗。中央下端には、「北方4島」が描かれていることにご注目を。




 毎日新聞が2月26日付で、北方領土の「2島+α」返還論の岩下明裕・北大教授が当面「沈黙」を決断した理由について次のような解説記事を掲載している。

☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

◇学者として問題提起十分にした あとは実務家が団結、交渉を

 北方領土問題の議論で昨年来、今までの4島一括返還論や2島先行返還論とは違う「2島+α」返還論が目立っている。火付け役とみられるのが、岩下明裕北海道大教授(ロシア外交)の『北方領土問題』(中公新書)だ。だが、当の岩下教授は東京・日本記者クラブで開いた15日の講演を最後に、北方領土関連の公での発言を少し控えるという。この講演を前に、岩下教授は「学者がすべき問題提起は十分にした。あとは実務家が団結してロシアとの交渉にあたるべきだ」と話してくれた。
 岩下教授の考えは「フィフティ・フィフティ」論ともいわれる。たとえば、面積最大の択捉島以外の3島を返還させるなど、日露双方の国としてのメンツ、国益、地元や旧島民の利益などを考量した上で、「島を分け合う」政治決断で問題を解決するものだ。これを現実的な妥協線だと説く論拠は、(1)日ソ国交正常化の過程では2プラスαで交渉をした(2)日本が4島返還を国論にしたのは1960年代と遅い(3)日本の関係者は択捉島以外の出身が多く、ロシア人は同島を中心に住んでいる(4)旧ソ連、ロシアは一度も4島返還を正式な政策オプションにしていない−−など多岐にわたる。
 岩下教授の著書に影響を受けたのか、昨年、麻生太郎外相は日露が4島の面積を半々で分ける解決案を示唆した。ロシアでもこれに興味を示すような高官の発言があった。
 この動きを見た一部の論者は「岩下教授が4島返還の大原則を崩そうとしている」と批判する。対する岩下教授は「日露双方に受け入れ可能な解決策の一つを事実関係に基づいて示しただけで、交渉の論理は別」と応える。(以下略)

☆。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 岩下教授とは政府系の同じ研究会でしょっちゅう顔を合わせる仲なので、もちろん、直接お話ができるわけだが、この際、小欄で「なぜ私が面積2等分論」など「中間的」といわれる案に反対かをはっきり述べておきたい。
 
 私が反対しているのは、@こうした提案を日本側で発表するのは、1993年の「東京宣言」で、「歴史的法的事実」「両国の間で合意の上作成した諸文書」「法と正義」に基づいて領土問題の解決を図るとした「橋頭堡」を自ら捨ててしまうこと、A自らの手の内のカードを全部さらしてしまうのは、外交プレイヤーに制約を課すものであり賢明とはいい難いこと、B学術研究が国益にそぐいにくい場合の公表の仕方について責任が持てるのか熟考されたか、C中ロ国境問題と北方領土問題の違いをどこまで検討されたか、といった点である。

 諸兄姉のご高見を承りたい。
開所式ご出席者名簿A [2007年03月01日(Thu)]








<文化・芸術・教育関係>
石田 良介  日本剪画協会会長
梅田 八主守 陶芸家。元電通幹部
ウーロン亭ちゃ太郎 洗足学園講師。オペラ落語家
河合 麻子  日本語教師
酒井 智章  実相寺住職
紀久子   同令夫人、寺子屋実相寺主宰
鈴木 正秀  クラシックライブを楽しむ会副会長
飛田 浩昭  青山学院大学初等部教頭
川奈 千恵  オフィス織音製作統括
三遊亭金八 落語家真打、歯舞群島2世(司会)
山季 布枝  ピアニスト
(3月26日、紀尾井ホールで公演、吹浦も出演)
山元恵理子  日本語教師、北方領土問題研究者
清水 巌祐 (学)日本航空学園法人事務局長


<実業界>
稲岡   稔   潟Cトーヨーカドー常務執行役員
岩岡   隆  滑竕ェ商店社長。旗屋さん
岡田 年史  大阪新樹会役員。(株)トロージャン社長
郷農 彬子  バイリンガル・グループ社長
小浜 正幸  グローバルMK社長。ブッシュ大統領の個人的友人
古木 謙三  グローバルユースビューロー社長
小宮 健吉  三井住友海上駿河台オフィスマネージャー
奥村 卓也   兜桾博ミ長(旗屋さん)
垣平 通世   東洋熱工業且謦役
菅  茂雄  信越化学元役員、元小坂徳三郎衆院議員秘書
仙場 才也   褐仙代表取締役社長
中村  崇   実業家、元末次事務所スタッフ
深谷 友尋   (社)日本遊戯関連事業協会会長
人見 哲爾  元ブリヂストンタイヤ幹部
本庄 俊男  彩鳳堂画廊代表取締役。日本屈指のワイン収集家
三上 和幸  (社)日遊協専務理事、元九州警察本部長
三好 正也  元経団連事務総長


<NGO/国際協力>
武  永賢 ベトナム難民出身の医師(ヴ・ダン・コイ)
大久保純夫 (社)協力隊を育てる会参与,元JICA幹部職員
大塚 正明  (独)国際協力機構青年協力隊事務局長
小倉 一春   潟<aカルフレンド社社長、
        (財)国際看護交流協会会長
長 有紀枝  NPO法人ジャパン・プラットフォーム代表理事
小久保茂昭 (社)日本ウォーキング協会常務理事
近衞 忠W 日本赤十字社社長
小松 博史  (社)海外鉄道技術協力協会技術本部長
尚代  同上  令夫人
菅  光代  東京都生活文化局外国人専門相談員
祐成 善次  (社)日本青年奉仕協会会長
中山 三男  社会福祉法人アゼリア会理事長
平野  偉  (財)日本国際協力センター シニア・アドバイザー
松井  巌  (財)国際看護交流協会事務局長
望月  久  東京ビジネスサービス褐レ問、元JICA理事
竹田 倫子  (財)東京コミュニティカレッジ常務理事
堀江 良彰 認定NPO法人難民を助ける会事務局長
柳瀬 房子 認定NPO法人難民を助ける会理事長
山野 幸子  (財)日本国際協力センター総務部長


<そのほかのご来賓>
海東 英和 滋賀県高島市長
田中 公久 本四架橋公団元幹部
谷川 真理 市民マラソン指導者、前日の東京マラソンで第2位
森山 裕子 故・末次一郎長女

<ユーラシア21研究所役員>
木村 汎  ユーラシア21研究所理事(北海道大学名誉教授)
児玉 泰子  同 監事、北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長
西原  正  同  理事(前防衛大学校校長)
兵藤 長雄  同  理事(元駐ベルギー大使)
吹浦 忠正  同  理事長
宮本  昇  同  事務局長
吉岡 明子 同  常務理事

 このほか、東洋英和女学院大学大学院、早稲田大学鵬志会、慶応義塾大学法学部のみなさまに、特段のご協力をいただきました。

 逸名の方があれば、ご容赦の上、お知らせください。
開所式ご出席者名簿@ [2007年03月01日(Thu)]


 当研究所自慢の「世界一」(?)のマトリョーシカ。28個の組み合わせ。見においでください。



 去る2月19日に行われたユーラシア21研究所の創立記念レセプションには多くの方々がご出席くださいましてありがとうございます。

 日ごろ、ご厚誼をいただきながら、会場となった海洋船舶ビル10階のキャパシティの関係でお招きできなかった方には本当に申しわけなく思っております。また、ご多忙で欠席でしたがお祝辞を電報その他でお寄せくださった方々には深甚なる謝意を表します。

 みなさまから、「あの方はどなたでしたっけ」といった質問や、メディアの方々から「どんな方が出席したんですか」といった質問やお問い合わせをたくさんいただいております。本来、公表されてはご迷惑な方もあるやも知れませんが、掲載させていただきます。ご寛恕ください。

 皆様のご支援、ご期待に沿うべく努力することをお約束します。

●設立記念懇親会出席者  (分野別50音順)

<特別来賓>
枝村 純郎 元駐インドネシア、スペイン、露大使
笹川 陽平 日本財団会長
末次 清子 末次一郎夫人。長女・裕子さんがご一緒
中曽根 康弘 元総理

<国会関係>
吉良 州司 衆議院議員
坂上 博二 衆議院議員前原誠司秘書
塩川 正十郎 元財務相
塩崎 恭久 内閣官房長官、(代理出席)
島村 宜伸   衆議院議員、元農水、文部科学相
武正 公一   衆議院議員(坂本和之秘書代理出席)
橘 康太郎 日ロ協会理事長。元衆議院議員
長島 昭久 衆議院議員(中締めの挨拶)
中川 博登 吉良州司衆議院議員秘書
羽田  孜 民主党最高顧問、衆議院議員、元首相
原田 義昭 自民党国会対策副委員長、議運筆頭理事
古川 元久 衆議院議員
宮腰 光寛 衆院経産委筆頭理事、自民党政調副会長
前原 誠司 衆議院議員 前民主党党首

<外務省>
阿曽村 邦昭 吉備国際大学大学院教授。元ベネズエラ大使
大河原 良雄 (財)世界平和研究所理事長、元駐米大使
岡崎 久彦 岡崎研究所理事長。元駐タイ、サウジアラビア大使
黒河内久美 元フィンランド大使
黒河内 康   元駐スイス大使
茂田 宏 日本財団特別顧問。元イスラエル大使
島 肇久 外務省参与、元NHKニュースキャスター
田中 義具 元ハンガリー大使、小さな親切運動会長
谷口 智彦 外務省参事官、外務副報道官
丹波 實 (財)日本エネルギー経済研究所顧問。元駐ロ大使
角崎 利夫 国連高等教育機構専務理事。前カザフスタン大使
堂之脇 光朗 日本紛争予防センター理事長。元駐メキシコ大使
都甲 岳洋 三井物産戦略研究所特別顧問。元駐ロ大使
松田 邦紀   外務省欧州局ロシア課長 
藤井 宏昭 国際交流基金前理事長、元駐英大使
村田 良平 元駐米、駐独大使、元外務事務次官
柳井 俊二 国際海洋法裁判事、元駐米大使、元外務事務次官
渡邊 幸治 元駐ロ大使

<外国人>
金  明守 在日本朝鮮人総聯合会中央本部参事。
       朝鮮総連中央本部前国際局長
許  世楷 台北駐日経済文化代表処代表(次席が代理出席)
  永 コリア国際研究所首席研究員
セルゲイ・ザクレフスキー ロシア連邦外務省付属ロシア国際
        文化科学協力センター在日代表部二等書記官
アレクサンドル・アンドラハノフ 早大博士課程大学院生

<防衛省・自衛隊関係>
洗   堯 NEC顧問、元陸自東北方面司令官
井筒 俊司  航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長、一佐
大串 康夫 元空自護衛航空隊総司令官
岡ア 欽一 陸上自衛隊関連雑誌「修親」刊行事務局長
岡本 智博 NEC顧問。元統幕事務局長、元空将
柿原 国治 防衛省航空幕僚監部防衛課防衛班一等空佐
徳田八郎衛 浦安市国際交流協会会長。元防大教授
二宮 健郎 航空自衛隊元幹部
松井  健 且R田洋行顧問、元空将補
三好 健治 防衛省陸上自衛隊3等陸佐
古澤 忠彦 三井造船褐レ問。元海自横須賀司令官


<学者・専門家>
阿久津 博康 岡崎研究所主任研究員
渥美 正洋 海外電力事業協会主任研究員
伊藤 憲一 (財)日本国際フォーラム理事長
稲垣 大紀 南京事件若手研究者
潮 匡人 軍事評論家
惠谷  治 軍事評論家
小川 和久 国際政治・軍事アナリスト
小山内 高行 外交評論家
河合 弘之 さくら共同法律事務所弁護士
菊池  豊 前内閣調査室参事官
斎藤 元秀 杏林大学総合政策学部教授
坂本 正弘 日本戦略研究フォーラム副理事長。元中大教授
佐瀬 昌盛 前拓大教授。国際安全保障研究学会前会長
里深 文彦 東京農工大学大学院教授
澤 英武 大陸問題研究協会理事、元産経新聞モスクワ支局長
寺家村和子  フランス語塾塾長
寺家村 博 拓殖大学助教授
菅原 出  東京財団リサーチフェロー
田代 秀敏  日興コーディアル証券分析部部長エコノミスト
手塚 和彰  千葉大学大学院教授
沼田 安弘  沼田法律事務所弁護士
花岡 信昭  政治評論家、慶應義塾大学院講師
堀口 健治  早稲田大学政治経済学術院教授。早大副総長
三好 枝理可 三好内外国特許事務所会長夫人
宗像 隆幸  台湾独立建国聯盟中央委員、「台湾青年」編集長
山田  寛   嘉悦大学教授。元読売新聞ワシントン総局長
湯浅   剛 防衛省防衛研究所主任研究官
吉崎 達彦  椛o日総合研究所取締役副所長 主任エコノミスト
吉原 恒雄  拓殖大学教授国際学部・大学院教授
渡部 恒雄  三井物産戦略研究所任研究員


<メディア・出版関係>
秋野 範夫  福井放送東京支社営業部長
朝倉恵里子 ジャパンエコー社スタッフ、翻訳家
井川 一久  大阪法経大学客員教授。元朝日新聞ハノイ支局長
石川 慎介  NHK報道局国際部記者。前モスクワ特派員
伊奈 久喜  日本経済新聞社論説副主幹
井上 樹彦  NHK政治部長
井上 敏治 日本文化チャンネル桜取締役
大内 佐紀  読売新聞社渉外課長兼国際部記者
岡部 康彦  鰹ヒ伝社書籍出版部副編集長
笠松  巌  中央公論事業出版顧問。前社長
斎藤  勉  産経新聞東京本社正論調査室長・論説委員
佐良土佳子 フリーアナウンサー。元NHK
下村 俊文  滑C竜社常務取締役
下村のぶ子  滑C竜社代表取締役社長。
白川 浩司  文藝春秋常任監査役
白戸 直人  中央公論新社中公新書編集部次長
田 直彦  テレビ金沢東京支社長兼報道部長
高成田 享  朝日新聞社論説委員、元テレビ朝日キャスター
田辺 信  福井放送常務取締役
力石 幸一  徳間書店出版局次長
名越 健郎  時事通信社編集局外信部長
西島 大美  読売新聞編集局文化関連事業事務局長
野村 正育  NHKチーフ・アナウンサー
平林 敏男 中央公論事業出版社長
宮川 純一  学陽書房編集部員
本間 浩昭  毎日新聞社報道部記者。根室に17年間在勤
眞壁 仁美  「選択」出版(株)編集部員
本村 忠大  (財)ラヂオプレス副理事長
良本 和惠 MOKU出版副編集長


<ロシア・北方領土関係>
伊倉 敏彦  根室市東京事務所長
井上 達夫  独立行政法人北方領土問題対策協会理事長
加藤 順一  日本対外文化協会専務理事、事務局長
佐藤 文美  (独)北方領土問題対策協会北方四島交流担当専門官
長峰 義博 NPO法人日本・ロシア協会専務理事
蓮池 攻 北方領土の返還を求める都民会議代表
藤井 弘 日本対外文化協会専務理事


<競艇・日本財団関係>
秋山 昌廣  海洋政策研究財団会長、元防衛事務次官
伊藤 隆規 椛「舶ウエブ代表取締役社長
今川 啓一  (財)日本ゲートボール連合事務局長
遠藤 容弘  (財)日本ゲートボール連合専務理事
大島  渉  全国競艇施設所有者協議会専務理事
大橋 慶一  (社)日本モーターボート選手会企画部長代理
岡嵜 修平  海洋政策研究財団総務グループ長
小関 悦男  日本音楽財団常務理事
加藤 秀樹 東京財団会長
金子  明  日本財団総務グループ長
金子 光夫  (財)マリンスポ-ツ財団理事長
川口  斎 (社)日本モーターボート選手会企画部長
日下 公人 東京財団前会長
工藤 栄介  海洋政策研究財団常務理事
小柳津浩之 技能ボランティア海外派遣協会
佐藤 英夫 日本財団国際協力グループ長
塩見 和子  (財)日本音楽財団理事長
志氣 英勝  (社)日本モーターボート選手会副会長
柴崎 治生  東京財団総務担当常務理事
庄村 文明  (財)海上保安協会海守事務局チーフ・スタッフ
鈴木 和正  鞄結档rー・エム・シー専務取締役
鈴木 浩司  船の科学館常務理事
関 晃典  笹川平和財団理事長
玉造 敏夫  (財)競艇保安協会理事長
寺島 紘士 海洋政策研究財団常務理事
鳥井 啓一  日本財団参与、元フジTVキャスター
西本 克己 鞄結档r-・エム・シー代表取締役社長
野村由布子 笹川平和財団広報室スタッフ
萩原 廣治  (社)日本中小型造船工業会専務理事
原田 秀夫  (財)笹川医学医療研究財団事務局長
福田 泰三  日本船舶輸出組合専務理事
藤川  務  鞄本レジャーチャンネル社長
船越  眞  (財)競艇情報化センター常務理事
益子エレン栄子 東京財団奨学事業担当常務理事
松浦 道夫 (社)日本海難防止協会理事長
松本 源二  (財)笹川記念保健協力財団事務局長
三浦 一郎  日本財団常務理事
三浦 翔太  (財)海上保安協会 海守事務局
宮武  豊 (社)日本モーターボート選手会広報部長
森 絵里沙 文学博士、東京財団リサーチフェロー、
        ベトナム出身(ヴ・ティ・キム・スアン)
森田 文憲  日本海事科学振興財団理事長、船の科学館館長
山下  暁  (社)日本舶用工業会専務理事
横山 道雄  社会貢献支援財団専務理事

ラオスという国 @ [2007年03月01日(Thu)]


 首都ビエンチャンのイタリアレストラン・オペラの窓から。





 首都にはこんなホテルもありました。





 ラオスについて。インドシナ半島の中央にある細長い国。面積は日本の本州とほぼ同じでありながら、人口は約560万人。一人当たりのGDPは約500ドルであるから、総合的な経済力は日本とは比較にならない。

 周辺国との数字を対比してみよう。

南隣のカンボジア:人口約1300万、GDP約400ドル
西隣のタイ:人口約6400万、GDP約2600ドル、
東隣のベトナム:人口約8200万、GDP約700ドル、
北部で中国の雲南省及びミャンマー(ビルマ)と僅かながら接している。

 要するにタイはラオス経済の70倍もの規模を持っており、タイの貨幣であるバーツ経済圏に入っているということである。外国との貿易、通行もほとんどタイの港や空港からメコンを越えて行なわれる。

 ラオス側に言わせれば、タイには約1500万人のラオス人がおり、1259年にチェンマイに成立したランナー・タイ王朝はラオ族の王朝であるということになる。本来の国境はメコンの先までであるべきなのに、19世紀、フランスがインドシナを植民地化したときに、メコン川までとしたので、今も、メコン川以西にはラオスの領土はほんのわずかしかない。

 ラオス人はタイ語をほとんど理解できる。だからテレビもタイからの放送を楽しむのが普通だ。

 社会主義人民共和国という「昔なじみ」の名前であるが、仏教が依然、大きな力を持ち、僧侶は毎朝托鉢にまわり、人々の尊敬を集めている。
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