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英語での「日本」表記 [2006年06月10日(Sat)]




きょうの朝日新聞の夕刊のコラム「窓」で、「日本時間」を「ニホン」時間といいながら、「ニッポンがんばれ!」と応援する、と書いている。

 たまたま、さきほど近衞忠W日本赤十字社社長と話していたら「たしかウチもどっちかに決めたはずだ。しかし、私も今覚えていないし、皇族方が名誉総裁副総裁としてお言葉をたまわると、自然にそのときの読み方、ニホンならニホン、ニッポンならニッポンと話してしまうんだよ」と打ち明け話をしてくれた。

国名の読み方を決める必要があるのかな、と時々思う。ただ、前にも小欄で書いたが、英語表記の「Japan」はいかがなものか。

「JAPAN」は、「日本」の中国語の発音である「イーベン」「ジーペン」をマルコポーロあたりがこのアルファベット表記にしたからであろう。したがって、スペイン語のように、Jを英語のh同様に発音する場合は「ハポン」となり、ドイツ語のようにJを英語のyのように発音する場合は「ヤーパン」となる。

 台湾では北京を今でも中華民国が支配していた当時の名である北平と呼ぶ。それには気持ちは分かるとして、必ずしも賛成しかねる。

しかし、 私はセイロンがスリランカになり、オートヴォルタがブルキナファソとなり、PekinがBeijingになり、BombayがMumbaiになったように、日本の英語表記はJapanではなくNipponになってもいいと思うのだが、如何? 日本語では、ニホンでもニッポンでもいいとしたままでのことである。
「国際感覚」の定訳 [2006年06月10日(Sat)]




「国際感覚」という言葉の定訳がないというある大使の発言を、田中一生先生が引用して書いてこられたことを小欄で書きましたところ、早速、翻訳家の朝倉恵里子さんから、以下のメールがありました。

  ☆━━━━…‥・   ☆━━━━…‥・

  国際感覚という言葉で、日本人が「国際」としている対象って、一体何なのでしょう。とりもなおさず、アメリカ流=米国感覚を指しているのではないでしょうか。

  それぞれの文化、言語、感覚を持ったことを誇りにすべきなのに、独自性を捨てて、アメリカ流に近づくことを、国際感覚を身に着けたとでも言うのでしょうか。違っていることを互いに認め合うことの方が、標準化するよりもずっと国際的だと思うのです。

  それはそれとして「国際的」を指すのに用いられるのは、international, cosmopolitan, globalなどでしょうが、ネイティブの方はどのように使い分けるのでしょうか。

「感覚」はsensation, sense, feelingなどが用いられますが、国際感覚だとsenseあ
たりが「常識」という意味合いを表すのに適しているのかしら、と思います。

 international sense, international common sence, international mindedあたり
が、日本人の指す国際感覚かな。

 cosmopolitan senseなど、cosmpolitanを用いると、とらえどころのない国際性・・
・を感じてしまいます。

  ☆━━━━…‥・   ☆━━━━…‥・

「国際感覚」という言葉の定訳がないよいう話ですが、同様に「国際化」もないのではないでしょか。韓国語では「世界化」(セゲハ)といいます。Internationalizationは当然、検討しべきでしょうが、これは、国有化の対語であり、株式の国際的な解放や開放といった場合に使います。

 つまり、英米社会は、最初から「国際化」しており、「国際感覚」は、「生活感覚」、つまり日常のことなのです。したがって、「国際感覚」は「国際化」していない国の人が身につけるべきこのだと、求めるのではないでしょうか。

 したがって、international sense というより、もしかしたら、living senseであったり、social attitude でいいのかもしれません。あるいは言葉が不要なのかもしれません。みなさまのご意見をお待ちします。




  「オカメザクラ」の挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
田中一生先生からの助言 [2006年06月10日(Sat)]

 先にご紹介した、セルビア・モンテネグロからの文化勲章を受章された田中一生(かずお)先生は、多年、恒文社や文藝春秋社で編集の仕事をしていたこともおありです。それだけに拙著『社会人の社会科』(祥伝社)を、拾い読みしただけで、いろいろご助言を下さいました。ありがとうございます。

以下にそれを転載させていただきます。

☆━━━━…‥・    ☆━━━━…‥・

  この中で「京都議定書」とありますね。小生は大略知っていますし、新聞に出るときは解説も載ったりしますが、ふと、この本に索引があって、本書の中で分の流れやスペースの関係で一言言い足りない場合は、索引で補足されるとさらに便利なのだが、と思ったことでした。

現在はコンピュータ処理で索引は簡単に作成できますし、ページ数も4ページくらいでしょう。読者はあたかも英単語の自己確認と同じ要領で、まず索引をチェックして自分が社会人として社会科を試験すると何点になるか知るよすがにもなるでしょう。再版の際にはぜひご一考願います。

いずれ祥伝社さんも、吹浦さんの本に味をしめて、『社会人の国語(日本語特有の表現ですね、これも)』とか、『社会人の日本史』『社会人の世界史』などシリーズ化するかも知れない。その時は初めから索引と自己チェックの要領を末尾に付けるよう、提言してください。

森鴎外は大好きでもちろん『かのやうに』も何度か目を通しています。しかし、「国際」という単語が使われていたことを初めて教えられました。改めて読む楽しみが増えた、と負け惜しみを述べておきましょう。

同項102ペイジの@に「反映」とありますが、「繁栄」の変換ミスで、2刷の時に訂正されんことを。

これは余談ですが、「和平と平和」の空海のエピソードではないけれど、漱石の用語法にしばしば今と逆の熟語が出て来て、前々から疑問に感じていた。明治の人は漢籍に日夜親しんでいたから、日本語に定着していないか、定着していても漢文の方が、より身近に感じられる江戸の文化の中に居た人は、別段、違和感もなく使用していたのだと教えられたことでした。

☆━━━━…‥・   ☆━━━━…‥・

 文 中、「国語」は日本語特有の表現とありますが、先に小欄でも述べましたように、ベトナム語も、「国語」なんです。「クックグー」と発音しますが。中国語ではなんというのでしょうね。また、例の、わが社の「妙齢の美女」に教えてもらおうかな。



   森鴎外の鴎は正しくは、「へん」の「メ」のところが「品」なのですが、文字化けしてしまいますので、こkのように表記させていただきました。あしからず。
W杯、緒戦でドイツ勝つ [2006年06月10日(Sat)]




  サッカーW杯。「よくわからないけど昂奮気味に日本とドイツとアンゴラを応援している」私と、「サッカーとドイツ事情に通じている<妙齢の美女>」との、緒戦の評価。

 私「W杯、開幕戦でドイツがコスタリカに勝ちました。4対2、まずはおめでとうございます。私は前半を見てこれは勝てると確信し、寝てしまいました。だって、いきなり入れましたでしょう。しかし、そのあと結構、大変な試合をしたみたいですね。お疲れ様でした。これで、ドイツ語とドイツへの若者の関心はつながりますね。あとはみんなでトンカツでも食べて優勝を日本と争うよう願をかけるしかないですよ」。    

通「すぐ同点にされた時は<4:3>ぐらいのゲームになるかと焦りましたが、負けるわけにいかない開幕試合で勝てて、とりあえずヨカッタです。1点目の入り方、フリンクスの4点目のシュートなどを見てますとドイツ、決定力は日本より格段にありますねえ、こんな選手が日本にもいれば!と思いました。ドイツの課題は守備ですね、やっぱり。コスタリカ、チャンスほとんど無かったのに2失点ですから・・・不安がつのります」。

私「さっきサッカーに詳しい友人に聞きましたら、残念ながらドイツノ守備は優勝できるチームじゃない、ですって。当分、この人とのお付き合いは考えます。もはや、気合だぁ!の世界なんですから」。

通「うーん、その方の御意見、正しいと思います、残念ながら(笑) でもW杯は運も大事ですので。奇跡が起こらないとは誰にも断言できませんし。日独そろって何とかベスト4ぐらいまで行って欲しいと切に祈ってます。4年前の<誤診・審判買収疑惑>の反省か、今回は開幕戦からクリーンな、そしてまともな審判で、上々のスタートです。この調子で良い試合がたくさん観られれば、とも願ってます。

私「日本人の審判もなかなか好評のようで、結構ですね。きょうはこれから、ヨーヨーマのコンサートです。少々眠いけど、まあ、勝ったんですから。よしとしましょう」。

これでドイツが勝ち進み、日本が12日のオーストラリア戦に勝ったら、「愛国心教育」の議論もずいぶん、見通しが明るくなるのかな。それとも、「愛国心教育不要論」が出てくるのかな。
剪画展へのお誘い [2006年06月10日(Sat)]



 NPO法人日本剪画協会の展覧会は前評判、上々。結構なことです。こういう日本文化があるんです。すばらしい迫力です。

  24日(土)から28日(水)まで、JR大崎駅から山手線の外側に廊下伝いに行った、O(オー)美術館です。

  小欄でおなじみの石田良介画伯(日本剪画協会会長)の「富士山」は圧倒的に見ものですよ。いや、ほかの会員さんのもなかなかです。

  かくいう私は末端会員。作品を製作して評判を下げることを「遠慮」して、自称「4文字の名取・石田不良介」と名乗っていますが、剪画鑑賞家/剪画愛好家として、堪能させていただいております。

  24日の3時には、私が埼玉県立大学教授だったころのゼミ生たちも、私に会いに・・・ではなく、石田夫妻や愚妻に会いにやってくるとか。

  みなさんも、騙されたと思うが思うまいが、「行ってらっしゃ、見てらっしゃい」。気に入ってもいらなくても、満足しようがしまいが、入場無料。楽しいグッズもいろいろあるのがいいですね。

 来春2月、国連本部で同じ展覧会があるのです。「NYまでの費用をはらいますか、それとも山手線の電車賃で済ませますか」。だんだん脅迫めいてきた。
「国際感覚」の訳語は? [2006年06月10日(Sat)]



   挿画「北岳」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




 世の中って不思議ですね。ちょうど田中一生先生(セルビア・モンテネグロから文化勲章を授与された文学者)のことを小欄で書いて、ドイツ/コスタリカ戦での寝不足を取り戻すべく昼寝しようとしたところに、ご本人から、丁重なお手紙です。なんと拙著『社会人の社会科』(祥伝社)を、ご高覧いただいたのです。光栄です。

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『社会人の社会科』を拾い読みしているのですが、驚嘆しているところです。もちろん吹浦さんの博識ぶりを知らなかったわけではないけれども、ここまでとは?!というのが正直な感想です。これからが楽しみで、座右の書に加え、いろいろ確認の際に立ち戻って再読、三読する所存です。

「国際化とグローバリゼーション」の箇所で連想したことがあります。知人の外交官が、今、ある本を書いていて、書き出しの章で「国際感覚」というのも我が国特有の表現であって、いったい英語でどう言えば良いのか、ネイティヴに問うても、十人十色で、未だ定訳がなさそうだと書いていました。

 日本で発行されている英字新聞でも調べれば、いずれ(日本語で発行されている)本紙の、例えば、社説が英訳されたものですから、定訳が定まってゆくのでしょう。

 しかし、日本語だけで発想している一般大衆は、まだこのあたりの悩みを知りません。面白い項目だと拝読した次第。

☆━━━━…‥・  ☆━━━━…‥・

「国際感覚」という言葉の定訳がない、「なるほどそうだ」とはっとした。

 どなたか名訳を教えてくれませんか? 

 元サイマル・インタナショナル社長の村松増美氏は、つい最近まで、毎年、私がチェアを務める国際シンポジウムの同時通訳を自らしてくれた。「あんたの進行と表現に挑戦してんだよ」とおっしゃって、「俳句でも諺でも、気にしないでしゃべっていいよ」という、凄腕通訳である。

 私は司会をしながらレソーバーを離さない。一昨年も、東京財団がアメリカ大使館との共催でジョン・ボルトン現・米国国連大使の講演会を行なったが、大使館の名通訳と、某有名通訳会社のかたが通訳を担当していて、LybiaとLiberiaを混同していたため、講演を中断して説明したことがある。

 こんど、絶対に「国際感覚」を使ってみようっと。去年はたまたま私は司会をしなかったが、村松さんも来なかった。どこか具合でも悪いのかな? まさかそんなことないよね、村松さん。
田中一生先生の半生 [2006年06月10日(Sat)]




 ライフワークのバルカン研究が顕彰された田中一生先生。



  6月6日に「ミに祝賀会」と称して、いろいろ教えていただいた、田中一生(かずお)先生のことである。

  このほど、セルビア・モンテネグロから、同国の言語学者の名にちなんだ文化勲章「ヴーク・カラジッチ章」を受章した。ずっしりと重いメダルとその付属品を手にとれせていただいた。

「ライフワーク」と言う言葉は、この人か牧野富太郎のためにあるのではないかと思われるくらい、田中さんは1960年代に7年近くユーゴスラビアに留学したのをはじめ、その半生を「ヨーロッパの火薬庫」といわれたバルカンに傾注し、バルカン文学の紹介に努めてきた。

  著書は『バルカンを知るための65章』(明石書店、2005)はじめ9冊、論文は「南スラヴにおけるイリリア主義」(『東欧史研究3』 1980)はじめ3、翻訳は、アンドリッチの『サラエヴォの鐘』(恒文社、1997)はじめ14、そのほか、「ドリナの橋−アンドリッチと橋の哲学」など小論文や事典の関連項目の執筆など、小論文やエッセイは数限りなしという、日本には類まれなバルカンの専門家だ。

  アンドリッチはドイツ軍のベオグラード進駐により蟄居を命じられ、「その間の1945年に、いわゆる<ボスニア3部作>といわれる『ドリナの橋』『ボスニア物語』『サラエボの女』を書き上げた」(田中)。1961年にノーベル文学賞を授与された。ユーゴスラビア(当時)最高の文学者。田中さんの数々の翻訳がなければ、日本人のほとんどがその高度に洗練された高いレベルの文学に接することが出来なかった。

「文学には、政治学からみえない民衆の心が反映されている」と、文学を通じた民族研究にこだわってこられた。

  彼の地には、アンドリッチ、カラジッチのほかにもうひとりニェゴシュという、モンテネグロの詩人がいる。その代表作『山の花環(はなわ)』は、外国語への翻訳は不可能といわれていたが、田中さんは、「7年かかったが、なんとか満足できる翻訳が出来た」。

  巧みな語り口で、田中さんの翻訳作品を2つしか読んでいないわでも、バルカン文化への急臣をそそられた。7月25日12時半から、東京財団虎ノ門DOJO(道場)でその研究の一端をご披露いただくことになっている。
早大同級生の人生に学ぶ [2006年06月10日(Sat)]






  挿画、「百名山」のひとつ「八ヶ岳の権現岳」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。



  早稲田の小さいけど活発なクラス会「野太郎会」が開かれた。年齢は65歳。小中学校のクラス会もそうだが、意欲満々という現役のバリバリ組もいれば、老妻との船旅や海外隠遁生活をして優雅に暮らしているのもいる。孫との戯れと町会の世話に熱心というのもいる。

「バリバリ組」の話は正直言って私には、そんなに興味がない。類似の話を日常的にいくらでも聞くことができるからだ。それでも50年近いつきあいだから、「紅顔の美少年たち」のさまざまな人生から学ぶことは、実に多い。

 ざっと見渡してみよう。

 Yくんは実業界で大いに活躍した人だが、定年後、かねて準備していた日本語教師の道を歩み、近くチェコに指導に行くと夢を語る。ほとんど自費というのがすごい。われわれも「貧者の一灯」を送り続けてバーチャルにチェコと日本語教師を体験しようじゃないかと提案した。

「野太郎会」永久幹事のKくん、毎回のお世話には頭が下がる。早稲田の125周年を祝って、長崎から早稲田までの「1250キロウォーク」を来春実行すべく夢中だ。各地の稲門会(早稲田の同窓会)を糾合するのだそうだ。

『チビクロサンボ』が黒人差別だと朝日新聞に叩かれ、担当常務として詰め腹を切らされた形でS社を追われた?Iくんは、ようやく東京に戻り、何とかという会社の社長になった。「それよりも、『チビクロサンボ』が瑞雲社から再刊され100万部も売れていること、社会がそれだけの許容度をましたことがうれしい」。

 都庁で誠実に公務員生活を続けたHくんは、クラスの中で私が最も尊敬する一人。何たって「100名山」はとっくに登り終え、いまは、愛する東京の町並みを、毎日、あちこちひたすら観察して周っているという。東京の問題点を地面から観察し続けているというのだ。

 大新聞の記者をしていたMくんは、杖道の錬師。棒をつかって、眼前で寸止めするのだそうだ。恐ろしくて、Mの目が潰れていないか、両目を見つめて確認してしまった。「殴れるものならどこからでも殴って来い」とうすぶく?から、「次回は、ぜったい、ポカリとやってやろう」とみんなで決めた!。

 保険会社の労組委員長だったDくんは、中小企業の労務管理や年金の相談業務をしているが、その中から学んだ知識を近く出版すると意気込んでいる。期待しよう。

 出版といえば、昔、商社員としてモスクワで活躍し、今は山小屋だかペンションだかをやっているTくんの人柄にはいつも敬服している。これまた、「エッセイのいいのを書き溜めたから、オマエ、どこか出版社を紹介しろ」。「はいはい」と返事。来週、会いに来るそうだ。

 献血運動といえばこの人といわれたKくん。「吹浦がクラスで赤十字や献血の活動をしていたのにつられて人生を誤った」と笑う。数年前、介護のこともあって退任、先日、小欄で紹介した「海軍の反対を説得して、厚木でマッカーサーを迎える諸準備を果たした国士」安藤明を研究し、出版した。「緑のダイヤモンドを独占的に売りさばいている」というから景気はいいんだろうな。

 明治学院教授のNくんは、若い頃はまさか学者になろうとは、私は思わなかったが、外務省を経て、イスラエルに留学、その道の大家になった。近著『上海のユダヤ人難民』は、先日の朝日新聞(拙著『捕虜たちの日露戦争』の次の週くらい)に同じく大きく紹介されていた。そのときに購入して拝読したが、素晴らしい研究だ。

 早稲田の副総長をしているHくんとは、先日も、ノーベル平和賞を受賞したジョディ・ウィリアムズさんをお連れした時、ごいっしょし、白井総長主催の晩餐会でもいい話をたくさん聞かせてもらっていた。「副総長」というと偉そうだが、口さがない同級生は「オマエ、俺たちといっしょに政治学科を出たはずなのに、なんで経済の先生なんだよ」という、難しい質問をする。御しがたきは同級生なり。

 細川首相の秘書官をし、挙句は、証人喚問までされた苦労人のMくんは、これまた偉い。専門商社を経営しながら、今もラグビーの現役選手。深刻な教育問題や政治家の不勉強には舌鋒鋭く批判する。

 グリークラブ出身のKくんは、日中関係、特に旧満鉄の図書48万冊や文書をマイクロコピーにして、日中共通の文化遺産にしようと懸命である。人と資金が大変だろうが、意義は大きい。いい仕事に挑戦している。

 ほかにもいろいろ元気なのがそろった。

 さてはて、共通しているのは何だろう、とふと考えた。まず健康、この話は置くとして、政治や社会への関心と自分の意見を持っていることではないか。私はいわば、永田町周辺に35年もいたわけで、未だ政治家や官僚との付き合いは大いにある。だから日常的に、国づくり、まちづくりとは深い接点があるし、それなりの意見や感想も持っているつもりだ。

 しかし、わがクラスメートは、年齢こそ小泉首相や小沢党首と同じだが、必ずしも政治家や政治との接点がない人もいる。ただ、こういう人が世論形成に大きく関わっているという実感を確認した。この層に支持される政治家とはどういう資質の人か、次期首相候補の人物判定の話など、思わずメモして聞いてしまった。

「吹浦、オマエが断然若い!」と何人かにいわれ、それだけで、すっかりご機嫌。再会がまた楽しみである。
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