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眼鏡のない人生とは [2006年10月11日(Wed)]



  実りの秋、挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。





  10月10日は「転倒予防の日」であるとご紹介したが、もっと有名なのは、「目の愛護デー」。こちらは、目と眉で、「10・10」を横にした形になることからというのだから、日本人のユーモア感覚はなかなかのものではないか。

 中学一年からめがねを愛用しているという私には、眼鏡のない人生は考えられない。歴史上の人物たち、近眼や老眼の人はどうしていたのだろうか。ピアニストの山季布枝先生なら、大作曲家とか名演奏家と眼鏡の関係を解説してくれるかもしれない。

 徳川家康は老眼鏡を持っていたという話を聞いたことがあるが、他に、視力で困った話や工夫してなんとかした話はなぜかあまり歴史にのこっていないように思うのだがどうだろうか。浅学非才の私にはトンと解らない。

 ポル・ポト政権下でカンボジア人のインテリは眼鏡を隠した。眼鏡をしているだけで反抗の可能性のある人物と見なされたからだ。1981年、難民を助ける会ではタイ・カンボジア国境付近の難民キャンプで、東京眼鏡商工業組合と協力して約2万個の眼鏡を贈った。米国人の医師に検眼してもらってどんどん配布した。「生き返った」「用事が足せる」と、手を握って喜びを表現してくれた。

 目といえばまた、日本人にはどうしてこんなにも眼鏡やコンタクトレンズ愛用の人が多いのだろうか。韓国と比較すれば、数倍というくらいに思えるのだが・・・。

 何はともあれ、目を大切にしよう。それにはパソコンに向かう時間をセーブすることか。あれっ、天に向かってツバしている?
転倒予防の日 [2006年10月10日(Tue)]




  秋田の版画家・勝平得之の「収穫」




「中秋の名月」が過ぎたせいか、秋たけなわの感がする。虫の声もこころなしか、淋しげに響く。

 10月10日、1964年のこの日、東京オリンピックの開会式が行なわれた。私は早稲田に在学中だったが、国旗の専門家として、財団法人オリンピック東京大会組織委員会に迎えられ、専門職員として、今の迎賓館や岸記念体育館で働いていた。

 開会式では、製作・掲揚する国旗に誤りがないか、入念なチェックをし、式典課に所属する者として国立競技場メインスタンドの下に配置された。東京五輪の思い出や秘話は山ほどあるが、それは別の機会にしたい。

 きょうは「転倒予防の日」。10(ten)と10(とう)を重ねたという解説はヤボというべき。

 私の不注意から8月19日に天城山中で昏倒し、40分間、「三途の川」でスイミングした夏だったが、ようやくきょうは少し、ワインを嗜むことが出来た。

 トシよりは「怒るな、転ぶな、風邪引くな」である。諸兄姉、そしてご同輩諸君、季節の変わり目である。御身お大切に。

 収穫の秋、きょうは秋田の新米で「きりたんぽ」をいただいた。西麻布にうまい店がある。これもいずれ紹介したい。話題が、「北朝鮮の核実験」であった以外はすべてが良かった。

ショウガ健康食私論 [2006年09月28日(Thu)]

  





写真は、独立行政法人農畜産業振興機構のHPから


 8月に昏倒して以来、この一ヶ月ほど、ショウガとハチミツを入れた紅茶にいささか凝っている。この3者、滅法、相性がいい。飽きずに飲めそうだ。

 体質改善といえば大げさだが、心身にいろんないい影響を及ぼしつつあるのではという気がするので、もう少し続けてみようと思う。これまでこの種の「こと」や「もの」に全く関心を示さなかった私であるが、さすがにこの一ヶ月、酒は一滴も飲まず(飲めず)、朝食は、ニンジン2本とリンゴ一個のジュース・・・健康第1に身を慎んでいる。

 ショウガの芳香成分は揮発油でその主成分はジンギベレーン、ジンギベロール等で、辛味成分はショーガオールやジンゲロンであり、これらは消化促進、食欲増進、健胃、発汗、解熱、菌の増殖抑制、体を温めるなどの働きがあるとされる。

 これらの効果は、ここ暫くの体験で確信できる。胃壁をいためないよう、飲みすぎたときはムコスタ錠を合わせて飲むことにしている。

『最新園芸大辞典』によると、ショウガは別名ハジカミ。古名はクレノハジカミであるとか。「生姜」「薑(百邪を強力に防ぐ意)」と書いて「キョウ」と読む。英語のGingerである。「角の形をしたもの」という意味のサンスクリット語に由来。根茎が鹿の枝角に似ているからであろう。漢名の「薑(きょう)」。

 テレビで「新ショウガ(ハウスショウガ)」のことが報じられていたので、ショウガの分類も少し調べてみた。

 ショウガには、大きく分けて「根ショウガ」と「葉ショウガ」がある。根ショウガの中には新ショウガと土ショウガ(ひねショウガ、囲いショウガとも言う)があるのだそうだ。

 新ショウガは主に酢漬に、土ショウガ(囲いショウガ=新ショウガを貯蔵庫で貯蔵した物)はすり下ろして薬味等に利用するというから、寿司屋のガリは根ショウガの中の新ショウガであり、私が紅茶に入れているのは、同じ根ショウガの中の土ショウガということになる。

 ヒネショウガは「陳生姜」と書くと、『日本語大辞典』にある。初めて知った。「じゅうぶん成熟させてから収穫した根しょうが。薬味や香辛料として、料理・菓子・飲料などに用いる」。なるほど「陳」は「陳腐」の陳なのか。

 今では関西のショウガのほとんどすべてのシェアを持っているのが和歌山市とその周辺。和歌山市内でショウガの栽培が始まったのは大正時代と言われ、ハウス栽培が始まったのは1970年頃で、現在では加温ハウス栽培、無加温ハウス栽培、露地栽培を組み合わせ5月から10月まで新ショウガ(根ショウガ)を出荷していると、中洲出荷組合のHPにはある。

 いずれ歴然たる効果があれば詳細を報告したい。別に、生姜屋からもリンゴやニンジンの生産農家から頼まれているわけではないので、公平中立に、わが身で人体実験をしてみたい。


オシム監督の初勝利 [2006年08月10日(Thu)]





  イビチャ・オシム監督は、歳が同じと言うこともあって、私には妙に気にかかる存在だ。王貞治監督、金正一「将軍様」、横綱・大鵬、そしてわれらが小泉純一郎首相は、いずれもほぼ同じ歳。

 そのオシム監督、8月9日に行なわれた新ナショナルチームを率いての緒戦・トルニダ-ド・トバゴとの大戦で、三都主の巧みな2ゴールでとにかく勝った。

 しかし、今朝の「スポニチ」紙には次のように出ている。

  ☆ ――――――・・・  ☆ ――――――・・・

 歓喜にわく青一色のスタンドとはあまりにも対照的な光景だった。オシム監督は終了の笛を待たず「トイレに行く」との言葉を残し席を立った。そして初勝利の瞬間はベンチ裏で迎えた。控室での表情も勝利監督とはほど遠く、みけんのしわが消えることはなかった。

「選手たちが走る力を持っている間は良い試合ができた。しかし、気がかりなのはサッカーは試合時間が90分ということ。きょう出場した中に90分走ることのできない選手がいた。(日本人は)1対1の点では不利。相手よりどれだけ多く走れるかで勝負しなければならない。きょう得た大事な教訓は走るということ。これが感想です」。2点を奪うまでは良かったが、徐々に足が止まった。後半は惨敗したW杯ドイツ大会を思わせた。その点を厳しく指摘した。

  ☆ ――――――・・・  ☆ ――――――・・・

 W杯ドイツ大会で「体力が続かない」という、かくもみっともない負け方をした日本、監督を代え、選手を大幅に入れ替えてもこのザマというなら、Jリーグ全チームの問題のはずである。各チームは徹底的に、後半でもバテない、運動量の多い選手を育ててほしい。
以前は小柄でもそういう「走る選手」がいろいろいたではないか。

 まさか、日本の他の社会分野のように、甘やかせているわけではあるまい。
 
 とまあ、大きく出たが、わが身を振り返ってみると、「90分」の散歩もしていない。さあ、PCを放り出して散策に出よう!
少年老い易く歌なり難し [2006年05月06日(Sat)]



  右手の中指が痛いというだけで、パソコンのミスタッチが激増するのには参りました。おかげで予定していた半分も書けませんでした。

 ややオーバーですが、あらためて、障害を持つ辛さに思い至りました。恩師・橋本祐子(さちこ)先生は、「ない機能や天分を数えないで、ある機能を生かすことです」と、障害を持つ弟子たちをはげましておられた。

 そこできょうは、「2本立て」の映画を観賞したわけでしたが、明日は、近く行なわれる恒例の(といっても3回目だが)リサイタルの総合練習に出かけることになりました。

 リサイタルといっても、尊敬する友人の弁護士とのデュオ、招かれた人は大迷惑。「ありゃ落語の『寝床』の世界だ」とはいみじくも言ってくれたものです。それでも限定60名の席は、「立錐の余地なし」(ご迷惑をおかけします)。

 わが身をかえりみず、われら二人は健気に、否、怖いものしらずで、体力と健康だけで挑戦するのです。機能も天分もないのに懸命なのは、これぞ自己満足の極み。恩師の教えにも反しているようで、少々、弱気になってきたのがホンネです。げに「少年老い易く歌なり難し」。



   挿画は「北岳」、日本第2の高峰です。石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
心だってマッサージ [2006年05月02日(Tue)]





「心だってマッサージ」と呼びかけている、「音体操」の佐々木菜穂子(風雅こまち)さん(http://www.otoasobi-school.com)は、実にいろいろ工夫して、老若男女の心と健康づくりにがんばっている。きょういただいたメールはこんなだ。きのうきょうと寒暖の差が極端なときなど、つい、思い出して自分でもやりたくなるのが「音体操」だ。

   ☆―――・・・  ☆―――・・・

29日は午前中は曇りで青空教室は大盛況。
6日の毎日新聞に「歌の教育の変遷」の中で青空教室が紹介されます。
世代交流で歌い継ぐ唱歌や童謡の活動がどんな反響になるか楽しみです。

昨日は源氏前小学校の4年生と茶摘みと新茶づくり。
ご近所のお庭に分散しての茶摘みでした。出発前には茶摘みの手遊びで盛り上げ、
3〜4年は茶道が市民科に入っています。
今日からは運動会で花笠音頭(音体操版)米の成る木がおじぎする〜
「急須」という言葉も知らない子供もいるのです。
歌と身体表現で意識にあげる活動の重要性をひしひしと感じています。

11月2日が品川区源氏前小学校の研究発表会。
11月3日が文京区第五中学校の文化祭の講演会が予定されています。
「あそび」が勉強なのですから、いい仕事ですよね(笑)。

市川海老蔵らによるオペラ座の歌舞伎が実現するそうです。音体操では能もバレエも演劇も共通に創作の根源を探っているのですが、日本の精神文化は世界に誇れるもので、文化戦略こそ日本の生き残りだと思います。
そろそろ仕事に出発です。

   ☆―――・・・  ☆―――・・・

 文京区立の小学校教師の出身だけあって、あの手この手の工夫がすばらしいし、エネルギッシュに活動を展開している。NGOでやるのかと思っていたら、「会社法改正で起業3年目からは正式に株式会社代表取締役になります」という。

 楽しくてためになる、こんないい「遊び」業ってないですよね。
散歩で知った歴史 [2006年04月16日(Sun)]




  きょう、久しぶりに散歩したところ、我が家のすぐ前に区が立てた標識があって、なんと拙宅のあるマンションは、播磨(現・兵庫県南部)の国「三ケ月藩」の「上屋敷」があったところだそうだ。品川区には「下屋敷」はそこそこにあったが、「上屋敷」があったのはこの藩だけだったそうだ。

 歩くと思わぬ拾い物?があるということだ。

私は散歩について書く資格はない。家族は言うに及ばす、友人、知人、医者、日本歩け歩け協会(現・日本ウォーキング協会)幹部などから何度、勧められたことか。

 歩かない最大の理由は、怠け心。そして多忙、用事がないのに無目的に歩く気分がしないこと、歩かなくとも人間ドックのデータが、我ながら惚れ惚れするものであることなど。
 
 ドックに行くと、医師に必ず「太りすぎに気をつけましょう」と言われるので、あらかじめ、「先生、それは禁句です。分かってるんですから」と煙幕をはれば、今度は「体重を減らしましょう」と来る。そして「まず、散歩です」。

 それが、この3日、まるで人が変わったように歩きたくなった。

 空母キティホークを見学するのに、事実上の引率責任者である65歳の私が最初にへばったらどうする、という心配が最初だった。結果的には、何の苦もなく、緩急374段の階段を上り下りできた。これですっかり自信?回復。

 昨日は、広尾のJICA「地球ひろば」まで、そして今日は、目黒の「林試の森公園」まで行ってきた。

 3日間に共通なのは、目的があったこと。昨日、初めてデジカメを購入したので、いろんな花を撮影してみたくなったのが、きょうの散歩の目的だった。

 30年ほど前、日本歩け歩け協会を創立した金子智一先生(なんと、山形県遊佐町吹浦=ふくら出身)から、散歩を続けるコツとして3つ教わっていた。@今から少しずつ暖かくなるという時期から始めること、A最初は短い距離で、なんだもう終わりかというくらいで止めること、B最初の一ヶ月間に10回は散歩するということを自分に約束すること、の3つだ。

 この3つで適っているのは@だけのようだ。あすも、なんとか短い距離でもあるいてみよう。依然多忙だし、用事がないのに無目的に歩く気分がしないというのも、以前とあまり変わらないが、とにかくやってみたくなっている。

どなたかおだててくれませんか。それとも、「ブログがつまらないから、そのヒマがあったら散歩に行け」と叱ってくれませんか。



  写真は、 「三ケ月藩」の「上屋敷」があったとの標識と目黒川沿いの八重桜並木。4月16日、筆者撮影。
いいのかな、これで・・・ [2006年01月30日(Mon)]
週末、埼玉県立大学時代のゼミ生たち4人(女性三人、男性一人)と横浜で再会した。卒業して3年経っているが、ときどき5人で会っては、積もる話をする。老元教授は、みな元気に、それぞれに懸命に働き、人生を送っているのがうれしい。

JRの桜木町駅までの車中は、全員が座れるくらいすいていた。大森駅で80歳くらいの女性が乗ってきた。昔からの習慣のようなもので、私は当然のごとく、席を譲った。

  しばらく本を読んでいて、ふと気がついた。見回したところ、車内では私がその女性に次いで高齢であることが、一目瞭然だった。いいのかなこれで。