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母の随想 [2006年08月10日(Thu)]





  左が四兄・忠晴、中央の筆者の「かわいらしさ」から推定して、1942(昭和17)年の夏頃の撮影かと思われる。場所は秋田市土手長町の我が家の北側、県庁、警察署の向かいの川べりかと思われる。


  東京とは違って、故郷秋田では今からがお盆の季節。おのずと両親や縁ある人たちのことに思いが及ぶ。

 わが母は1902(明治35)年9月1日、秋田市土崎港町相染町の18代続く商家「三國屋」に生まれた。屋号がそのまま実家の姓になった。先祖はおそらく、今の福井県三国地方から北前船ででもやって来ていついたのではないか。

 ここに転載するのは「消灯前」と題する、母のエッセイ。地元紙「秋田魁新報」に寄稿したものを同社が「随想集・続 一人一文」として1938(昭和13)年5月に刊行したものに収録されている、それを私が現代仮名遣いにして転載したものである。

 この本の装丁が気に入ったのは、各著者にはその人の随想が掲載された日の新聞を表紙にした特別装丁版を贈呈していることだ。

 母35歳、父が前妻を病気で失って1年ほどたったとき後妻として嫁いだばかりのはずだし、このエッセイ掲載日から4ヶ月もしないうち、四兄・忠晴(父との最初の子)を出産、私が生まれたのはさらに3年後である。

 戦後も母は地元のアララギ派の一人として作歌に努め、かなり長期間、NHKの短歌の選者をしていた。

 末っ子(五男)の私の詩心の歌心のなさは、どうしたものだろうか、とわが身を恥じる。

☆ ―――― ・・・ ☆―――― ・・・

 一日に一度不愉快なこと、腹立つことがあってもそれは生存税だと思えと、あるお友達からおしえられたことがあった。何にも税のかかる非常時である。生きて行く間毎日楽しいことばかりは勿論ないはず。けれど愚鈍な私は1日のうちにも愉快なことには満足して感謝することを忘れ、不愉快なことばかり考えて不平を嘆き悲しむ。

 こんな時古人でも現在の人々のでも好きな歌などを思い出して、不平を忘却の彼方に追い出して、優れた作歌の世界に寸時なりと心を遊ばせる時、多少なりと作歌に趣味を持ったことを幸福と思い有難く思う。満足な作品など勿論出来なく、想ふと寂しく幾度歌道から遠ざかった自分であることか――。

 何処の家の主婦も秋は選択に漬物に忙しい。殊に商家の主婦は大家族の冬の準備に暇なく、昼は読書の時間など容易に得られないことと思うが、一日の仕事を終えて眠る前の一時間なら割合に得られるのではないかしら・・・夕餉を終えて茶の間の縁側から、あるいは寝間の窓から、春夏秋冬、その日その日の異なった空を仰ぎ眺め、あるいは接した友人・家族の温かい心情に触れたことなど省みることは限りなく楽しく、また明日の人生行路の幾分なりと教えられることではないでしょうか。

 殊にこの頃から冬までの澄みきった空に星や月の美しさ、私は年中窓のカーテンを引かず、障子を閉めずに眠る週間になっている。時間と金に追われて年中俗雑な生活をしている私はせめて眠る間の夢は美しく浄らかであれと念じつつ眠る。そして一ヶ月に一首なりと作れたときの嬉しさ――。

 人々は夢を、空想を好む女と嘲笑うかも知れない。だが私はどんな不幸な境遇の時にも、悲しい生活の中にも歌に依って心を救われて生きて来たことか、何なりと一つの趣味を持つことの有難さを思うのである。ひねくれず、優しく素直な心情からのみよき歌が作られるのでないか知ら、雄大な作品など私如きに出来そうもないし、美しい夢を描くことを私は悔いまい。

 人に誇る知識を何一つ持たない小さな細やかな自分の生活、その時々の歌さえ怠り、満足なものが作れず、捨ててしまおうかと幾度思うことがあっても、ともかくも捨て切れずにいる拙歌近詠を5,6首書いて、貧弱な随想の責をお詫び致したい。

 裏川の浅瀬に夜毎ヤスを突く
     人影動くカンテラの灯に

 物を乞う母子にわずかの金を遣り
     かかわりなきごと食堂に入る

 両親と四人の子ある人に嫁ぎ
     睦みあいつつ心足らえり

 興奮して一日遊べる競馬場の
     ひとところ青々と麦伸びており

 磯村の砂利熱き路歩み来て  
     海おだやかに飛ぶ魚をみつ

 竝びいる沖の汽船に灯ともりて
     凪(な)ぎ静まれる海昏(くら)み来ぬ

 ふくろうの子の夜毎きこゆる森のこと
     子らに語りつつ早く蚊帳吊る

 異母兄姉多く卑屈に育ちたる
     我が幼きに子よ似るなゆめ

 秋の夜の時雨はげしく遠雷の
     聞こゆる街を兵ならび往く



 (御園さんは秋田県に於ける知名の閨秀歌人です。本名吹浦妙子、秋田市会議員吹浦忠治氏の夫人、現住所秋田市長町。写真は御園さん)
   昭和12年10月24日
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コメント
お母様の腕の中に抱かれた写真、今と少しも変わらないあどけない笑顔(失礼!と怒るなかれ、嬉しいのです)が、幸せな幼児期を彷彿とさせます。
やはり素晴らしい、素敵なお母様だったのですね。お母様の愛にはぐくまれ、今もその教えの通り純粋に生きていらっしゃると、心から感動しました。
また、お母様の文章を読ませていただき、胸の中にあたたかいものがあふれました。なぜか「ありがとう」と、言葉が口をついて出ました。私まで、「優しい子になるのよ、素直に生きるのよ」と教えられた心地がしました。これからどれほどの命を生きるのかわからないけれど、多くの人に必要とされる生き方をしたいと思いました。
Posted by: 元「妙齢の美女」B  at 2006年08月10日(Thu) 20:30

みたみた〜〜〜。

忠正お坊ちゃま、幸せそうに大笑いしてますね。かわいい。
目から額にかけて、今の面影がはっきりと残っています。それにしても、お目目はどこにいったの?というくらい、大好きなお母様に抱かれて幸せいっぱい、天真爛漫な笑顔ですね。
お兄様はお洋服なのに、お坊ちゃまは着物なのね。
そうそう、お兄様はお母様に似ていらっしゃいます。
パソコンの宝箱に保存しちゃいました。

Posted by: 妙齢の美女A  at 2006年08月10日(Thu) 13:20