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猪木正道先生逝く [2012年11月07日(Wed)]


猪木.jpg

   猪木正道先生



猪木正道先生が逝去された。享年96。安保問題の論客として知られた。京大名誉教授として、高坂正尭、木村 汎、矢野 暢、西原 正、五百旗頭 真といった逸材を指導し、そのまた弟子に、中西輝政、前原誠司などを輩出している。防衛大学校校長としても大きな足跡を遺し、1986年には勲一等瑞宝章を受章、2001年に文化功労者に選ばれた。

戦後すぐから一貫して民主的社会主義の大切さを唱えた。政治権力の正統性や独裁権力を分析する一方、新聞、雑誌に精力的に論評を発表。日独の独裁政治研究は全3巻の「評伝吉田茂」(78〜81年)にまとめられたが、これは戦中戦後の日本を知る上で、必読の書となっている。

防衛大校長を辞任後は平和・安全保障研究所を創立その理事長(引退後は高坂、西原などがその任を継ぐ)でいらした。

私は猪木先生がわが師・末次一郎の主宰する安全保障問題研究会(安保研)の共同座長(今一人は佐伯喜一野村総合研究所社長)でいらした頃から京都に転居されるまで、特に防大校長時代以降、大いに「可愛がられた」。なんども横浜のお宅に伺い、教えを請い、時には微力ではあったがご協力申し上げたこともある。

そんなときには帝国ホテルやホテル・オークラにお誘いくださり、特大のステーキをご馳走してくれた。「日本人はもっと肉をくわなきゃいかん」。最晩年まで大好物のステーキを食べ続けたとのことだ。

熱烈な読売ジャイアンツのファンで、何度かいっしょにロシア各地を回ったときでも、毎日、その日の試合結果を電話で取り寄せてはご報告させていただくのが私の日課だった。その勝ち負けで、少なくとも表面的にはご機嫌が変わったのが、この大学者先生の人間味だった。

70年代の中頃、クレムリンにコスギン首相を訪ねたときのことも忘れられない。緊張している日本側に、同首相がいきなり「よくいらした。私は1時間ほど時間がある。何を話そうかね。それにしても諸君は若い。猪木さんというのかね、いくつかい? ほう60、若いね。まだコムソモールだ」。

これで双方すっかり打ち解け、率直に、北方領土問題と日ロ平和条約について話し合った。

また、安保研として80年代にグルジアで会議をしたとき、そのリーダーぶりから、日ソ双方からグルジア語の「タマーダ」(愛すべきボス)と呼ばれて親しまれた。ただし、ソ連との厳しい議論では一歩も譲らず、鋭い舌鋒と温かい包容力には多くを学ばせていただいた。

日本の安全保障政策については「平和憲法の理念を守りつつ、自国の防衛軍を明確に保持できるようにするべきだ」と改憲論を打ち出す一方、リベラリズムの立場から、教育勅語や戦前の軍国主義を批判した。旧民社党の理論的支柱となり、佐藤、大平、中曽根各首相についてはブレーン役を務められた。中曽根首相の強い「引き」で、定年前の京大法学部から防大に籍を移された。中曽根も叙勲その他でその功を讃えた。

先月は岸田純之助元朝日新聞論説主幹が亡くなられ、これでわが安保研の創立以来のメンバーは全て他界された。

今、この研究会は袴田茂樹新潟県立大学教授を会長に宿願の、北方4島の返還と対露関係の抜本的改善をめざして、灯火を継いでいる。同志とともに深甚なる謝意を表し、ご冥福をお祈りする。
                           (敬称略)
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