バングラデシュのこと [2012年03月04日(Sun)]
 在日バングラデシュ人たちのつどいでいただいた 感謝状です。40年前の”貢献”への感謝と 3月26日の独立記念日に拙著『血と泥と』の ベンガル語版が出版されることが記載されています。 2月26日、都内・赤羽のBIVIOで 「国際言語の日記念在日 バングラデシュ人のつどい」が開かれ、 席上、思いがけず、 私は「感謝の楯」をいただきました。 まさに想定外。だってそうじゃありませんか。私が かの国で何かしたというのは 1971年から翌年にかけてのことで、もう、 40年も前のことになるのですから。 当時は東パキスタンと呼ばれ、 まるで西パキスタンの植民地のような 状況でした。 そこで、私は国際赤十字の駐在代表として、 難民や、捕虜、戦争犠牲者への支援などを していました。 帰国後、『血と泥とーバングラデシュ独立の悲劇』 という題で、読売新聞社から出版した拙著が、 NHK海外放送部の渡辺一博さんという ベンガル語の専門家の目に留まり、 翻訳されて、昨年秋から、 NHKの海外放送で連続して紹介されたのでした。 それがバングラデシュでも評判になったらしく 今回の出版となりました。 当初は2月26日までに刊行の予定でしたが、 最終的に、3月26日(独立記念日)に 出ることになりました。 40年前の独立戦争の時、私は30歳で、 ヘリやスピードボート、4WDの自動車なども 装備していましたので、結果として、第3者的に 各地をまわり、それなりに状況を把握していました。 「バングラデシュにはそういう人がもう、 ほとんどいないんです」という出版社側の声を 聞くと、「多少でもお役に立てるならどうぞ ご自由につかってください」と、感謝しつつ、 応諾したのでした。 その後も多少のかかわりがありましたが、 思いのほかの感謝状にすっかり恐縮しています。 席上、東京にベンガル人の子弟のための 学校をつくるという話が出ていましたので、 私もおもわず、貧者の一灯を献じてきました。 最近は、日本をはじめ各国から、 アパレル関係を中心に労働集約的な企業の 進出が急増し、経済が上昇傾向にあります。 バングラデシュのさらなる発展を祈ります。 ただ、日本は少々、この国を 軽視しているのではないのかな、 と思わざるを得ない出来事が 1月31日の参院予算委員会でありました。 山谷えり議員「日本のPKO部隊は南スーダンで どこの舞台に守ってもらうのでしょうか?」 田中直紀防衛大臣「知りません」 そこで、渡辺周副大臣が助け船をだし、 防衛相「バングラデシュであります」 いまさら言うのも恥ずかしいほどですが、 なんとも頼りない大臣です。恥を知っているなら なぜ、辞任しないのでしょうね。 自衛隊はイラクのサマワでは イギリス、オーストラリア、オランダの軍に守られ、 今度の南スーダンではバングラデシュの陸軍に 守ってもらっているのです。 ところで、私は1970年代の終わりに、 バングラデシュの北部、 マイメンシン県の孤児院を応援しました。 募金600万円を集め、 いろいろ打ち合わせを重ね、 脱穀、籾摺り、精米機と 種付け牛をおくり、 それが孤児院の収入を大きく増やし、 財を産み、それまでの倍の 800人もの孤児を受け入れて 今日に至っています。 孤児の多くが集団生活を きちんとしていることから、 軍に入って昇進する様子に、 何となく快哉を叫ぶわけにもいかない 複雑な思いがなかったわけでは ないのですが、 無能な田中防衛相のことはともかく、 その軍に、日本の自衛隊が 守られているとなると わが思いは さらに複雑になってしまいます。
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Posted by
吹浦 忠正
at 17:49
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難民・国際協力
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