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丸の内ってどこ? [2006年07月31日(Mon)]
  


  挿画「夏」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。



 7月28日付朝日新聞の夕刊を見ていて少々疑問を感じた。好評の「ニッポン人脈記」ハワイの風Cで、「東京・丸の内の日劇で」と出ている。

 ちょっと待ってよ。あそこを書くなら「数寄屋橋の」か「有楽町の」ではないのかな。今の有楽町マリオンのところにあった。旧朝日新聞とは隣り合わせのビルだったから、朝日が築地に移ってからも、マリオンの6回には朝日新聞記念講堂がある。

 今の表示でも、中央区有楽町2−6である。感覚的に丸の内というのは、東京駅丸の内口の周辺といって言いのではないか。4年前に改築された丸ビルはその中心である。周辺企業の協賛で「日の丸リムジン」が運航している丸の内シャトルバスも、丸ビルから、北は産経会館、読売新聞、お堀端を通って日比谷の交差点から晴海通りに入り、有楽町電気ビルのところから丸の内仲通りを通過、丸ビルに戻るというコース(逆もあり)である。

 日劇は戦前から「帝都」の舞台芸能の中心の1つだった。戦時中は、「ニッポン人脈記」にもあるように、「風船爆弾」の製造工場に変身した。戦後は、再び劇場に戻り、ラインダンスの名所であり、付属する(日劇)ミュージックホールは、外国人や女性を伴って見に行ってもなんの問題もない、品のいいストリップ劇場だった。私はさすがに女性といった記憶はないが、外国人とは要人を含めてなんどか足を運んだことがある。

 記事を書いた林美子さんは「妙齢の美女」であろうから、日劇にはなんの覚えもないのだろうが、朝日新聞としては「記憶にございません」という場所ではないはず。それとも、「丸の内」といいたい事情でもあるのだろうか。

 先週、私は映画「バルトの楽園」を「丸の内Toei(東映)」で観賞した。第一次世界大戦の捕虜についてはかなり精通しているつもりだったが、バルトがbart(ヒゲ)であり、「楽園」は「がくえん」と読むのであるとは、見るまでわからなかった。立派なヒゲを蓄えた、松平健扮する松江豊寿板東俘虜収容所長が収容所を音楽の園にした(おそらくは「らくえん」を兼ねたネーミング)にした話だ。

 それはさておき、この「丸の内Toei」は銀座3−2−17にある。プランタンのすぐ近くといったほうが解り易いかもしれない。この映画館に行くたびにへんだなと思っていたが、さきほど電話して聞いてみた。「昔からそういっていた」というほかには知らないという答えだった。

 おそらく「丸の内」の範囲が変わったのか、「丸の内」で働く人たちを客としてよびたいご町内意識か、そういった事情があるかもしれないので、これ以上は詮索しないが、一般客の一人としてはいささか迷惑な話である。「丸の内」だからといって、丸ビル周辺でタクシーを降りたなんていう人が、「私以外にも」結構、いるんじゃないのかな。
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