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SAPIOで中曽根元首相が末次先生を語るA [2011年10月06日(Thu)]



 


  1970年代末、キエフで末次先生と私




発売中の「SAPIO」に掲載されている、
中曽根康弘元首相が語る
わが師・末次一郎先生についての
インタビューの(小欄での)2回目です。

是非、同誌をお買い求めの上、
全体をご覧ください。

  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾


──しかし、一筋縄でいく相手ではない。
中曽根 確かに、冷戦時代のソ連は
西側諸国との対立が激しく、
状況的にも厳しかった。

実際、ソ連は並々ならぬ相手でした。

そもそも向こうに、
北方領土問題が「問題」だという認識がない。

一方、末次君は四島一括返還という主張に
微塵も揺るぎがない。

議論だけならば永遠に平行線です。

末次君はそんな状況だからこそ、
ソ連側要人や学者との信頼関係の構築に
努めたのです。

 末次君の人に対する評価軸は
一定していました。

自分の国を愛しているかどうか。

たとえそれがソ連、
ロシアの人間であっても、
立場や考えが異なる人間であっても、
愛国者同士ならばその1点で話が通じた。

ヤコブレフ(ゴルバチョフ政権時代のナンバー2)や
プリマコフ(エリツィン政権で外相、首相を歴任)
との信頼関係もそうです。

──具体的にどのようにして、
ソ連の要人たちと信頼関係を
結んだのでしょうか。

中曽根 プリマコフにこんな話を
聞いたことがあります。

「『ミスター北方領土』からもらった
般若心経の掛け軸は、今でも
大事に自宅に飾っています」。

 末次君に聞くと、
プリマコフの奥さんが亡くなった際、
哀悼の手紙と一緒に、
自分で写経した般若心経を
贈ったのだという。

きっと末次君は、
般若心経の中身も教えたことでしょう。

それは『日本人はこういう考え方をする』
ということをレクチャーしている
ことにもなります。

プリマコフは、「『般若心経』の掛け軸を
毎日眺めては、
日本人を理解しようとした」と言っていた。

日本人についての理解を深めさせることは、
ひいては、
今後の交渉や関係作りにもプラスになる。

実際、ヤコブレフやプリマコフの発言は、
徐々に日本にとってプラスの方向に
変わっていきました。
              (つづく)
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