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日本とウラジオストク [2011年07月26日(Tue)]








    1860年にウラジオストクが開港したことを示す
  記念碑がウラジオストクの埠頭の脇にある。2010年9月撮影。









     第1回ウラジオストク・フォーラム。同上撮影。






 「ウラジオストク・フォーラム2011」が
9月27、28の両日、東京の日本財団ビルで
開催されることが正式に決まった。

これは、
安全保障問題研究会(安保研、
会長=袴田茂樹青山学院教授)と
ユーラシア21研究所(筆者が理事長)とが
ロシア沿海州政府との協力により
開催されるもので、
昨年9月にウラジオストクで開催された
会議についで通算2回目。

事前に交換する論文と充実した討論を通じ、
相互理解の推進に大いに
役立つものと思われる。

安保研では1996年以来、
サハリン州行政府と通算10回にわたり
「サハリン・フォーラム」を開催してきたが、
諸般の事情で2009年以降、
休止している。

「ウラジオストク・フォーラム」は、
極東地区との対話を促進しようという意図で、
その後釜のように発足したもの。

地域柄、極東情勢、とりわけ、
日本海、朝鮮半島、中国問題などに
力点を置いた内容になっている。

いうまでもなくウラジオストクは
約150年前から
ロシアの東の窓口となっている港湾都市で、
太平洋艦隊の基地として発展してきた
歴史を持つ。

また、来年に予定されている
「ASEAN首脳会議」を前に、
インフラ整備が急速に進められ、かつ、
ロシアの中では格段に
親日的な市民が多いところといえよう。

ただ、日本とは富山、新潟、秋田など
日本海沿岸の都市との文化交流が
それなりに続いているが、
航空便1つをとっても、全く低調であり、
このまちの発展は日本とどう付き合ってゆくかに
かかっているといっても過言ではあるまい。

今夏、そのウラジオストクを、
東日本大震災で被災した
岩手、宮城両県から33人(内、中学生が32人)の
生徒が訪問、
日本海に面する青少年育成施設「オケアン」で
8日間、合宿して
ロシアの同世代の子供たちと交流する。

日本側から参加するのは
岩手県野田村立野田中学校、
岩手県釜石市立釜石東中学校、
宮城県石巻市立渡波中学校の
いずれも吹奏楽部を中心とした一行。

私が理事長を務める社会福祉法人さぽうと21
が震災で失った楽器を寄贈したことが縁で、
外務省の依頼により、
人選を進めさせていただき、
ユーラシア21研究所の柴田良彦事務局長が
団長として、他の5人の引率者とともに
ウラジオストクに向う。

このプロジェクトは、3月21日、
在モスクワ日本大使館を訪れ、
東日本大地震の犠牲者の
冥福を祈ったときの、
メドヴェージェフ大統領夫人の発言から
始まったもの。

同夫人は、小雪の舞う中、
日本大使館前に設けられた献花台に
花束をささげて祈り、
「すべての日本の人たちにお見舞いと
お悔やみの言葉をささげます。力強さ、
勇気、不屈の心で被害を乗り越えられるよう
祈ります」と記帳した後、
河野雅彦駐露大使夫妻と懇談し、
「今回の災害に対してロシア国民の一人として
できるかぎりの支援をしたい。
被災地の子供たちを
ロシアで休ませてあげたい」と申し出たのだった。

この話はさらに、
G8首脳会議の機会に5月27日、
フランスで行われた菅・メドヴェージェフ首脳会談の
「共同声明」にも「両国の共同事業」として
明記されたものである。

このように、対話と交流を積極的に進めることで、
日露間の広範な理解と協力が
進捗することを願いたい。

 安保研とユーラシア21研究所としては、
おそらく来春、東京での開催に
なるであろう、
1973年以来、通算29回目の
「日露専門家対話」で、従来どおり、
ロシア側に、北方4島の返還の早期実現を
迫るとともに、
それによる日露平和条約の締結を
目指してゆくことに変わりはない。
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