海外からの支援に感謝 [2011年05月19日(Thu)]
![]() 以下は、英語、中国語、ロシア語に翻訳され、 Japan Echoとユーラシア21研究所の HPに掲載されるものの日本語原文です。 ☆☆☆ ★★★ ☆☆☆ ★★★ 去る3月11日、 東日本を襲ったマグニチュード9という大地震は 、これに起因する原発事故を伴って、 今も日本を窮地に追い込み、 日本社会全体があらゆる面で 沈うつな雰囲気に覆われている。 特に、被災地復興と電力不足への対応が 急務である。 しかし、諸外国からの力強い支援に感謝しつつ、 多くの日本人が古来伝わる善意と助け合いの精神で、 この困難を克服しようと懸命に努力の日々を続けている。 日本人の脳裏にあるのは1945年の 米軍による全国主要都市への空爆、 とりわけ広島・長崎への原爆投下と、 一夜にして10万人の市民が犠牲になった 同年3月の東京空襲であろうか。 1995年の阪神・淡路大震災では 神戸市を中心に6千人以上の死者という 大きな被害があったが、 今回はこれまでのところ、 死者・行方不明者を合わせて約2万4千人という 多数であり、被災範囲も太平洋沿岸の 本州東北部で南北約500キロに及ぶ 広範な地域となっている。 孤立していない日本 今回の地震は、マグニチュード9という 巨大地震そのものの被害もさることながら、 加えて 「想定外」の巨大な津波(一部地域では高さ38m)と、 それによる原子力発電所の事故、 そして農作物や海産物に対する 風評被害が発生したことなど、 従来の大地震とは違った特徴がある。 これに対して、 救援面でも新しい大きな動きがあった。 日本国民が挙げて義援金や支援金を拠出し、 ボランティアが連日被災地に駆け付けたことは 言うまでもない。 それに加えて、この国難に対する 外国からの支援は実に大きく、 日本が世界で孤立しているのではないという印象と 自覚を強く持たせ、知らしめてくれたのが 大きな特徴であろう。 同盟国アメリカは日本語で「トモダチ」作戦と称して、 軍人約8,000名+救助隊144名+専門家2名+8名=8,154名、 救助犬12頭からなる救援隊を長期間派遣し 、空母ロナルド・レーガンまでを動員、 空港の確保から遺体の捜索、 果ては5人程度に分かれた軍楽隊による 被災地激励コンサートまで、 大小さまざまな協力をしてくれた。 日頃、必ずしもアメリカ軍をよく言わない人を含めて、 日本人はこの厚意に 最大の感謝の気持ちを抱いている。 日本への支援申し入れは 142の国と地域、39の国際機関からで あった。(4月20日18時現在、外務省発表) 5月9日現在で、外国からの救援隊が到来したのは、 アメリカ、イギリス、イスラエル、イタリア、インド、 インドネシア、オーストラリア、韓国、シンガポール、 スイス、タイ、中国、ドイツ、トルコ、ニュージーランド、 フランス、南アフリカ、メキシコ、モンゴル、ヨルダン、 ロシア、台湾の22の国と地域。 この他、戦乱のアフガニスタンをはじめ、 多くの開発途上国からも心温まる支援をいただいていている。 感謝に堪えない。 「北の隣国」ロシアからは 原油の供給量を増やすという申し入れがあった。 中には、 1994年の北海道東方沖地震で 支援してもらった(私は民間の資金を中心に、 外務省や北海道にも働き掛けをし、 その最初の3隻の船に救援物資を満載して率い、 色丹島と国後島を訪問した)から 今度はお返しをしたいと、 募金をしているロシア人もいれば、 「この際、お見舞いとして北方領土を 日本に引き渡すべきだ」と発言した リリヤ・シェフツォワ露カーネギー財団 主任研究員のような人もいる。 中国からの支援にももちろん感謝しているが、 昨今の「超大国」ぶりから言って、 人的、物的協力はこれまでのところ 意外に少ない。 むしろ注目すべきは、台湾からの支援である。 約200億円という浄財は、 日本国内ではあまり大きく報道されなかったが、 海外からの最大の資金支援であり、 「南の隣国」の 大きな存在を感じさせるものであった。 同時代に存在しているという連帯感 地震、津波、原発事故と続いては、 在日中国人が一斉に帰国したのは 気持ちとして分かるが、 その中には何人かの日本人経営者の 文字通り命懸けによる行為で救われた中国人もいた。 『人民網日本語版』2011年3月16日付や 『新京報』3月17日付といった中国のメディアが 詳しく伝えているように、 宮城県女川町の佐藤水産という会社には、 中国人女性20人が研修生として滞在していたが、 同社の佐藤充専務が裏山に登るよう懸命に働き掛け、 研修生は助かったものの、 妻と娘を探しに行った佐藤専務自身は 津波に巻き込まれ、そのまま戻らなかった。 このように、大災害には 悲しみの中に国際的な協力の素晴らしさや 感動的な話がたくさんあり、 同時代に同じ地球に存在している者としての さまざまな連帯感を再確認させてくれるのである。 日本人は被災者であるなしに関わらず、 諸外国からの救援・支援への感謝を 語り継ぐであろう。 1923年に東京・横浜を襲った関東大震災のときの支援、 そして第二次世界大戦直後、 日本が苦境のさなかにあったときの、 直前まで敵国だった諸外国からの支援を、 今でも私自身が感謝の気持ちで覚えているように。 (5月9日 記す) |






