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長野、秋田、山形の県民歌 [2010年12月12日(Sun)]











 長野、横浜、京都、そして秋田の
県民歌や市民歌に、
畏れ多くも「玉」を奉って
否、怖いもの知らずで、挑戦しているのが
もうひとつの名県民歌「山形県民歌」。

 広き野を ながれゆけども 最上川
  うみに入るまで にごらざりけり

 なんと、昭和天皇の作mなのです。

 昭和天皇はまだ東宮(摂政)だった頃の、
1925(大正14)年10月14日、
荘内地方の酒田へ行幸されたのでした。

 ちなみにその時には北隣の
わが(秋田市にも行幸され、
師範学校の2階の窓から見ようとした
振動と呼ばれた(自称)このワルガキは
親父や警察官にこっぴどく叱られ、
「失礼」という単語をはじめて知ったのでした。

 閑話休題。
 この短歌は、翌年の歌会始めの
御題「河水清」に出された一首で、
酒田の日和山でのお気持ちを詠われたものと
されています。
 
 山形県はこれをただならぬ光栄として、
2年後、日和山に記念碑を建てました。

 戦後、1947(昭和22)年8月、
全国行幸の一環として山形県を訪れた昭和天皇に、
歌人・斎藤茂吉(上山出身)が詠歌につき
進講する機会がありました。

「多摩湖畔日誌」のHPによると、
<その際、茂吉が
「うみに入るまで にごらざりけり」の
表現について
「実際は降雨が続いたりすると、
ものすごい流れに変わり、
濁流滔々として天より来るの趣がある」と
講じると、
陛下は少し顔を引き締められたようだっと
いうエピソードが残る>のだそうです。

 島崎は立教大学の校歌を作曲したことで
知られる。日本音楽史上、
「オルガンの父」とでもいうような存在です。

 全国の都道府県民歌で皇族の作詞と言うのは、
山形県のみ。
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