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尖閣諸島と古賀辰四郎@ [2010年10月08日(Fri)]















     古賀辰四郎氏(着帽の人)







 1979(昭和54)年7月に私が編集した本に
『世界の領土問題―北方領土の復帰を求めて』
(日本健青会発行)という、
われながらよくできた「いい本」がある。世界の
さまざまな領土問題について、
専門家が手分けして執筆し、それを合せたものである。

 尖閣諸島のことについては
「尖閣列島研究会」がまとめた
「尖閣列島と日本の領土権」という
すばらしい論文があるので、
そのサワリだけを紹介しておきたい。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★


領有権原確定までの経緯

 政府は尖閣列島中の魚釣島、久場島、南小島および北小島四島の八重山郡所属後国有地に指定、国有地台帳に記載した(注 魚釣島および久場島は農林省所管、南北二小島は内務省所管とされた。なお久米赤島は面積の小さいこともあって国有地への指定が遅れた。同島は大正10年7月25日内務省所管とされ、島名を大正島と改称、また地番2394とされた)。

 沖縄県もまた上記四島を石垣島役場の土地台帳に記載するとともに、明治34年(1901年)5月臨時沖縄県土地整理事務局による最初の実地測量(明治36年1月の人頭税廃止に備えての地籍算定)と各島嶼別の縮尺図の作成(明治35年12月)が行われた(注 尖閣列島に対する実地測量はこのほか大正4年日本水路部、大正6年海軍水路部、大正9年海軍水路部、昭和5年沖縄営林署によってもおこなわれている)。

 魚釣島など四島に対する国有地借用願はすでに明治17年(1884年)からこれらの島々で漁業などを営んできた古賀辰四郎氏によって、明治29年(1896年)列島の八重山郡所属確定直後内務大臣宛提出された。右の申請を受けた政府は尖閣列島の開拓を奨励する必要があると考え、同年8月同氏に対して期間30年の無料貸与を許可した(注 列島に対する借地申請は明治27年と明治28年にもなされている。ただしこのときは列島の帰属が不明であるという理由で認められなかった)。

 国有地の借用許可をえた古賀氏は翌明治30年(1897年)以降大規模な資本を投じて尖閣列島の開拓に着手した(注 列島開拓のため古賀氏は最初の4年間、すなわち明治30年に35人、明治31年同じく50人、明治32年29人、明治33年男13人・女子9人の労働者を列島に派遣した)。

 すなわち、同氏は魚釣島と久場島に家屋、貯水施設、船着場、桟橋などを構築するとともに、排水溝など衛生環境の改善、海鳥および鳥卵の保護、実験栽培(穀物、甘蔗、野菜類)、植林(樟苗、松、杉、柑橘類)、開墾(六十余町歩)、牧畜、養蚕などをおこなってきた。その結果、明治42年には248名(99戸)の移民が列島に定住し、開拓事業に従事していた。その功績によって政府は同年11月22日古賀氏に藍綬褒章を授与した。
                                  (つづく)
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