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北方領土のサッカー少年 [2010年08月25日(Wed)]



















 今回、択捉島を訪問して、
とても珍しいものをいろいろ拝見しました。

 日本時代の遺品の蒐集家と出会ったからです。

 このメダルは
択捉島の別飛(べっとぶ)付近で発掘したものだそうですが、
「東京府中等学校体育協会蹴球部」の優勝メダルです。
表側にはなかなかしっかりした
サッカー少年の姿が浮き彫りになっています。

 2596という数字は、いうまでもなく日本の暦、
すなわち紀元2596年、昭和11(1936)年の大会です。

 以下は私の想像ですが、この島の網元か何かの御曹司が、
東京に勉強に行って、その頃では珍しいサッカー部に
入ったのでしょうか。

 どこの中学か名前を知りたくなり、
日本サッカー協会、東京都サッカー協会、
日本中学校体育連盟、東京都中学校体育連盟と
次々に紹介されましたが、
どこもまったく当時の記録はお持ちではありませんでした。

 あとは、国会図書館にでも出かけて、当時の
東京の新聞でもめくるほかないのでしょうが、
ごめんなさい、私にはその時間がありません。

 どなたか昔のサッカー事情に詳しい方が
おられましたら教えてください。

 蒐集したロシア人は、同じ場所からもう1つメダルが発掘された
といって、「明治神宮体育大会」「昭和十二年」とあるものを
見せてくれました。

 北方領土にはこういう青年(少年)が、いたのです。

 強制的に引揚させられたとき、本人や家族は、どんな思いで、
こうした栄誉のしるしを置き去りにして来たのでしょうか。

 我が家のことで恐縮ですが、
私の次兄・忠橘は軟式テニスで戦前戦後、
全国的に名を馳せていました。このころ既に神宮大会にも
出場していました。択捉島でそれを思い出して、
胸の詰まる思いをしました。

 北方領土の1日も早い祖国復帰を、あらためて切望します。
(つづく)


                    (同様の遺品の紹介をしばらく続けます)
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