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五木寛之氏と拙著A [2009年09月17日(Thu)]







 昨日に続き、五木寛之氏が
拙著『捕虜の文明史』を引用されたエッセイを
ご紹介したい。

    =======================

 日露戦争の開戦直後に、寺内陸軍大臣はいちはやく
34ヵ条からなる《陸軍俘虜取扱規則》を制定したという。

 この《俘虜規則》の根本精神は、
<俘虜ハ博愛ノ心ヲ以テ之ヲ取扱ヒ決シテ侮辱、虐待ヲ加ヘルヘカラス>
と、いうものだ。<虐待>は当然禁止さるべきだとしても、ここで
<侮辱>という問題をあえて冒頭においた姿勢には
感心させられるところがある。

 つづいて、
《俘虜取扱規則》、《俘虜労役規則》、《俘虜収容所条令》、
《俘虜自由散歩及民家居住規則》などの勅令や通達が
つぎつぎとだされている。

 捕虜が母国へ送る郵便料金がすべて無料サービスだったのも、
《俘虜郵便規則及俘虜郵便為替規則》によって定められたものだった。


 こうして見てくると、
明治の政府・軍部がいかに細心の注意をはらって
戦時国際法を遵守しようと努力していたかがうかがえる。

 吹浦氏の紹介ではじめて知ったのだが、
作家の小田実氏はその著作
《「民」の論理と「軍」の論理》のなかで、
日露戦争のころ出征軍人が携行した当時の
<軍隊用手帳>をはじめて見たとき、
ある種のショックをうけたと書いているという。

<軍隊用の手帳というので、まず
「軍人勅諭」でもあるのかと思ったら、
そういうたぐいのものはいっさいないので意外に思った>
 というのである。手帳を開けると最初に「戦時国際法」の条文が
でてきた。そして、
<われわれは文明国人として捕虜と非戦闘員に接するように>と、
くどいほどその取扱い方法が述べてあった、というのだ。

このエピソードを読んで、
小田さんならずとも意外な気がするといえば、
明治の人たちに叱られるだろうか。

 日露戦争に先だつ明治27、8年の日清戦争の際に、
あまりに簡単に占領できたことが、
10年後のロシアとの戦争の際の乃木軍の旅順攻撃計画に
不幸な先入観としてあったらしい。

 それはともかく、この日清戦争の旅順口占領にあたって、
日本軍は欧米各国のジャーナリズムから
袋叩きにあう不祥事を起こしている。

旅順口の清国人に対する無差別攻撃事件がそれだった。

司令官大山巌の第二軍とともに参加した第一線の国際法学者、
有賀長雄は《日清戦役国際法論》のなかに
このように記録しているという。

<市の北の入口より其の中央に在る
天后宮と称する寺(航海保護の神を祭る処)まで
道の両側に民屋連列せり。而してその戸外及戸内にあるものは
屍体ならざるはなく、
特に横路の如きは累積する屍体を踏み越ゆるに非ざれば
通過し難かりき(後略)>

 この事件の直後から、
アメリカの新聞がセンセーショナルに報道した
<6万人虐殺説>をはじめ、各国記者、観戦武官などの痛烈な報告が
世界中に打電される。

<条約改正をして文明国の仲間入りをしようとしていた
日本にとって致命的ともいえる悪評が、たちまち世界に拡がった>
と、吹浦氏はその反響について述べている。
                     (つづく)
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