「NPO」という言葉 [2006年05月04日(Thu)]
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Non Profit Organizationのイニシャルである「NPO」を日本経済新聞が初めて使用したのは、1990年8月14日付ではないかと思われる。 すなわち、同紙の朝刊文化欄に、「欧米に見るメセナの底流 (2)整備されたシステム―非営利団体のネット充実」という見出しの記事があり、当時「山海塾」の事務局長だった市村作知雄氏が米国で「アート・ネットワーク」という非営利団体を設立した理由を説明する中で、「非営利団体(NPO、ノン・プロフィット・オーガニゼーション)」との記載がある(川上慎市郎『NPOとジャーナリズム』で記載されているのに従い、検証)。 他方、山内直人は『NPOデータブック』で、「NPO」という言葉は、「86年に1度、88年1度、89年に2度使われている」と指摘している。私と埼玉県立大学のゼミ生たちはまざまな方法で検索に努めたが、残念ながらこの使用例を直接、見出すことはできなかった。 関係者へのインタビューによれば、「NPO」への注目は、80年代を通じて徐々に日本社会で始まっていた。 行政も企業も出来ないような公共的サービスの第3の担い手としての独立した民間非営利機関としての期待を込めた注目であった。 また、松原明の『NPO法に至る背景と立法過程』によれば、1950〜70年前半にかけて、市民活動やボランティア活動などの非営利団体(今日NPOと呼ばれる団体の前身)は行政の補完的位置付けにあり、多くは、一定の目的を果たせば終了する一時的なものであったとのことである。 実情は必ずしも行政に対する補完的な役割だけではなく、しばしば政策提言(アドヴォカシー)に努める活動もあったが、確かに目的ないし一定の目標を達成すれば、組織を解体ないし休眠状態に置くなどする例が多かった。 ベトナム戦争が終結した1975年以降、インドシナ3国から国外に逃れる人々が相次いだ。 とりわけカンボジアからは、1979年、ポル・ポト政権が首都を追われ、全土を掌握できなくなった。これを機に、多くの人々が隣国タイに逃れた。また、社会主義政策が急激に推し進められるようになったベトナムからは大量の「ボートピープル」が出るようになった。 70年代末から80年代初頭にかけて、わが国で、相馬雪香を会長とする「インドシナ難民を助ける会(現・難民を助ける会)をはじめとする、インドシナ3国からの定住難民への救援支援活動を目的とするNGOが相次いで創設された。 また、他の分野でも次第に市民による内外での相互扶助活動を行なおうとする団体が活発になった。 そうした中で、一般市民の間で、自らが地域や外国の困窮者に対する援助やサ―ビスに主体的に関ろうと言う認識が進展した。この認識は「アフリカの飢餓」が叫ばれた80年代半ば以降、さらに発達し、普及した。 こうした流れの中で、田中尚輝は『ボランティアの時代』を著し、「1980年代半ばに上野真城子(米のNPO研究機関アーバン・インスティチュートの研究員)がNPO制度の重要さを指摘し、精力的に活動した最初の人である」と述べている。 さらに田中は、同書で「日本における最初のNPOシンポジウムでないか」として、「1988年中高年者の社会参加促進の団体である社団法人長寿社会文化協会が、ウィスコンシン大学のジェームズ・T・サイク教授を招き「NPOシンポジウム」を開催したことを挙げている。 写真は、「ムスカリ」。 |





