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「難民」の通念と定義 [2006年05月04日(Thu)]





 
 「難民」についての一般の通念は、「戦火や経済的困難、あるいは、人権・部族・宗教・思想・政治的意見の相違などの事情で、本国において迫害を受け、または迫害を受ける恐れがあり、そのために外国に逃れ、または、現在外国にいるもので、このような恐怖のために自国の保護を希望せず帰国しようとしないもの」であろう。

  しかし、1951年に締結された「難民の地位に関する条約 Convention Relating to the Status of Refugees」では、難民とは「人種、宗教、国籍、特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」(第1条)と厳格に定義している。

  加えて、この定義には「1951年1月1日前に生じた事件の結果として」の要件がついているが、これは、第2次世界大戦の結果、主としてナチスの迫害から逃れたユダヤ人や東欧諸国の共産化にともない、大挙して移動した人々についての庇護を前提にしていた規定であり、1967年の「難民の地位に関する議定書(protocol)」の当事国についてはこの要件は削除された。

この条約では、本国の保護を欠き、または求めない人々に対し、通常の外国人とは区別して庇護を与え、積極的に諸種の権利を認めるべきことを求めている。

「難民」という言葉を、最も狭義に定義すればこの条約と議定書による内容であるが、今日、国際法においても、またわが国の行政上の扱いにおいても、この定義にはごくわずかではあるが、幅を持たせて援用する場合なしとしない。

1978年にわが国がインドシナ3国からの定住希望者に一定の要件を満たせば定住を認め、その後その数を順次増やし、今日、1万人を超えるベトナム、ラオス、カンボジアからの「定住難民」の受け入れを行っていることは周知の通りである。

  条約は、1954年4月22日発効したが、日本はこうした「定住難民」の急速な増加と受け入れ促進を支持する世論の求めに応じ、条約締結から30年後の、1981(昭和56)年に国会の承認するところとなり、翌年1月1日に議定書ともどもその加入国となった。

この条約に基づく難民はわが国において今日まで約350人に達しているが、内152人はインドシナ3国からの「定住難民」の中の一部であり、欧米諸国に比べその数は比較すべくもなく少なく、しばしばその厳格な審査基準が適正かどうか批判されることがある。

そしてその批判がこれまたえてして冒頭に述べた「社会通念」と条約による定義との乖離に基づくものであるように思われる。

これに対して、法務省では2005年6月から、難民認定参与員制度を発足させ、難民認定の再審査に、法務省以外の専門家の参画を認めるようになった。爾来、主としてミャンマー(ビルマ)出身者に対するやや寛大な難民認定や特別在留許可が進められるなど、改善が認められる。

  また、条約は、社会福祉面で、難民に、自国民と同等の待遇を与えることを規定しているため(24条)、わが国は条約の昇任にあたって、対象を日本人に限定している国民年金法、児童手当法などを改正した。

これによって、在日韓国・朝鮮人などを含む約78万人の在日外国人に国民年金適用の道が開かれることになった。

 『現代用語の基礎知識』(1991年版以降同文、自由国民社)などでは、難民を「亡命者ともいう」とし、「日本語では一人または小人数の場合に亡命者といい、集団の場合に難民と言う」場合が多いとしている。



写真は、「甲斐駒ケ岳」。左端は、日本第2の高峰「北岳」(3192m)
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