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海軍の美談C [2008年04月21日(Mon)]








救出を実際に決断し指揮した「雷」の砲術長は
北海道の稚内に住む田上俊三さん。

田上さんは海上に数百人が漂流しているのを確認するや
直ちに航行を停止。救出作戦を命じた。

田上さんは次のように書いている。

〜昭和17年(1942年)3月2日朝、
「雷」はスラバヤ沖を日本南西方面艦隊に合流を命ぜられ西進中、
遥か洋上に点々と浮かぶ多数の漂流物を発見。

近づいて見れば多くの人々が浮き袋を身につけ
漸く頭だけ出して手を振り救助を求めているではないか。
これはすぐ昨日この海域の海戦に敗れた英海軍の将兵と
わかりました.

「弱者救助用意」の号令が艦内に流れ、艦は直ちに停止しました。

私は部下の砲術科員約百名を指揮して、
救助作業に当たりました。

ボートをおろす者、縄梯子をかける者、
医薬品・担架を用意する者、
紅茶・ミルク・パン・衣服類を用意する者、
艦の両側に板を張り出し、
仮設トイレを用意する者等甲板はごった返しました。

約二時間を要して総勢404人を救助する事が出来ました。 
(中略)

田上さんは心配事があった。

「雷」は昨年11月日本を出港4ヶ月、
海戦を交えたり船団護衛に明け暮れ、
一度も上陸休養したこともなく、
狭い艦内で生水、生鮮食料品にも事欠き、
乗組員は神経質になり易く、心が荒んでいたのではないか。

昨日まで戦っていた敵将兵に対し、
勝者の誇りを以って辛く当たる事が無いか、
残虐行為をしないだろうか、と不安があった、という。

ところが田上さんの心配は杞憂だった。

相手が敵であるとの意識は毛頭感じられず、
汚れた軍服を脱がせて新しい服を着せたり、
飲み物を与えたりと、皆、営々と救助作業を続けていた。

特に普段性格が粗暴で喧嘩早い年長の水兵数名が
いずれも人が変わったように英兵に優しく接し、
油で黒く汚れた身体をアルコールで拭ってやっていたのを見て
心を打たれ、
感動の余り、涙が出て止まらなかった、と記している。

英国将兵は「雷」に一泊し、翌日、病院船に移された。

ファーレ卿が言う「騎士道」の出来事、
ファーレ卿がProceedingsに寄稿するまで
世に知られなかったことについて、
田上さんは、戦いが終われば
困っている敵を救うのは当たり前のことであり、
特に人に話すことではないと思っていた、という。

また、田上さんら士官は、
その後「雷」から他の艦船に移っている。

さらにまた、雷はその後の海戦で沈み、
英軍兵士を救助した一般兵士も雷と運命を供にしたため、
この救助劇を知る人が限られていたことが挙げられる。

Proceedingsの記事は
防衛庁の「防衛アンテナ」に翻訳転載され、
田上さんとファーレ卿の交際が始まった。

田上さんは88年6月19日、
当時スウェーデン在住のファーレ卿を訪ね、
ストックホルムの日本大使館で歓迎会が催される。

二人の再会はスウェーデンとイギリスの新聞に
大きく報道される。

その後、田上さんとファーレ卿の家族の交流も始まっている。
ファーレ卿の孫が田上さんの家にホームスティもしている。

騎士道、言うは易いが行なうは難い。

であればこそ
欧米では騎士道の実践が高く評価され、賞賛される。

これほどの救出劇を実践する将兵が僅かでも
旧日本軍に存在したことは、文明間の衝突が
言われる現代を生きる我々に、
改めて強い精神的な支えを提供する。   (完)
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コメント
田上俊三氏は、このことを、己の成果の如く、吹聴して廻ったようです。この方は、この賞賛されたことを自慢しているようだけど、実質を見抜いていたのは、サムエル・フォール卿でしょうね。だって、この方が著した「my lucky life」には、工藤俊作氏に感謝の意を表されています。
Posted by: onekorea2  at 2008年05月07日(Wed) 09:52