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北方領土講演録C [2008年04月18日(Fri)]









ロシア(ソ連)にはこれまで100回は行っているかと思います。

私が最初にソ連に行ったのは1968(昭和43)年でした。

その当時、ソ連は日本の65倍の広さでした。

今、ソ連が崩壊してそれでも40倍の広さがある国なのです。なので、あちこちで領土問題を抱えていたわけで、日本との間に領土問題があることを知らない人がほとんどでした。

1973年、日ソ専門家会議を開催しようとソ連側から話がもちかけられました。

わが師・末次一郎が「アジアの平和―京都会議」を開催しようとしたときに、トリヤノフスキー駐日ソ連大使から「ソ連はアジアの国でもある。参加させよ」と言ってきたのです。

今でこそ、日本の後押しでロシアはASEANにも加盟し、再来年はウラジオストクでその首脳会議が開催されるまでになりましたが、当時は、「ソ連がアジア?」と誰しもがいぶかりました。

そこで、私たちは「もう13カ国に招聘状を出してしまいました。体制の異なる国をにわかに加えることは混乱を招きます」と、体よく断ったのです。

すると、「それではマルチ(多国間会議)ではなく、バイ(日ソ2カ国)でやりましょう」と呼びかけてきましたので、「それでは」と応じたものでした。

2001年に末次が亡くなるまでは隔年に、その後は、少々ムリをして毎年開催しています。通算26回目にもなりました。

最初のころは、専門家会議といえるようなものではありませんでした。北方領土の問題を出すと、そんなものは解決済みだといってくるので、怒鳴り合いになり、テーブルをたたいたり、ものを投げたりというのは当たり前でした。

しかし、「いつ、どのようにして解決したのか」と迫ると次第に向こうは口をつむぐしかなくなりました。70年代の終わりには「領土問題はない」という言い方に換えてきました。

1991年4月、ゴルバチョフ大統領が来日して、領土問題は4つの島の帰属の問題であることを共同声明で明記するに至ったのです。
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