赤十字の普遍化 [2008年02月29日(Fri)]
赤十字旗 「紛争下における人道支援と平和構築―普遍的価値の実践をめぐる考察」という、時宜を得たシンポジウムを、東京財団が外務省と日本赤十字社の後援で開催した。 メイン・スピーカーが折から来日中のICRC(赤十字国際委員会)のヤコブ・ケレンベルガー委員長(「総裁」と呼んでいたことは疑問)。 日本側から、緒方貞子JICA(国際協力機構)理事長を中心に、岩沢雄司東大教授、鶴岡公二外務省地球規模課題審議官が出席し、北岡伸一東京財団主任研究員(東大教授)がモデレータを努めた。 ケレンベルガーさんの基調演説は、はっきりいってつまらなかった。ICRCの基本的な情報を提供した以上のものはなかったので、クラスター爆弾についても、「これを禁止する方向で努力している」という程度であり、「赤十字の中立は人道的活動へのアプローチを容易にする手段だ」といった具合で、特記すべき新鮮な内容ではなかった。 むしろ、「日本はもっと資金援助を」というホンネがちらついて面白かったくらいだ。 緒方理事長は81歳というご高齢にも関わらず(といっては失礼か)、まことにタイミングよく、高い内容の発言をしてくれた。 「同じジュネーブに本部を置くUNHCRとICRCは最も協力しあった仲で、連日、各レベルで協議しているが、おのずとの近さと違いがある」 「HCR時代は開発援助の遅さに困惑したが、いまは開発援助の側にまわり、平和の実感が平和構築の基礎であると考えるに至っている」 「JICAは最近、南スーダンのジュバに船着場を造ったが、こうした援助が、人道問題の解決と平和構築、開発の基礎となる」 「南スーダンには日本のNGOが10団体くらい来ているが、こうしたメンバーに活動の場を設定するのもJICAの職務と考える」 「人間の安全保障という考え方はグローバル化時代の価値の再構築ということである」・・・ このほか注目すべき発言は、北岡教授の「紛争後の人道法違反による処罰の厳正化が平和構築の妨げになる可能性について考えてみるべきだ。それによって紛争がむしろ長引く場合がある」であった。 このテーマは別途、慎重に検討され、討議されるべきものと思う。 フロアからの質問者の一人として、概要、私は次のように述べた。 「35年ほど前、1970年代の初めに私は、日本人として初めてICRCの代表を務めていた。当時は、今後、日本人がICRCの活動現場や本部に大いに進出するかと期待していたが、それはあまりに狭い門であった。各パレリストは本日のテーマとの関係で、日本人のジュネーブ進出についてどう思うか。それを妨げている要因はなんであろうか」。 鶴岡氏は、 「ICRCはノーベル平和賞を3回授賞し、創立者アンリ・デュナンの個人受賞を入れると4回も受賞しているが、所詮、スイスの1NGOである。そこが西欧キリスト教文化の価値観で動いていることは、赤十字の標章そのものの経緯からでも明らかだ。そこに日本人が加わってゆくことは、ICRCの価値観の普遍化という文明史的意義がある」と述べ、 北岡教授も概ね、同様のまとめをした。 私がバングラデシュやインドシナで国際赤十字の駐在代表を務めたときでも、日々、西欧キリスト教文化の価値観で動くことが、何より疑問であり、ストレスであり、苦痛であった。 例えば、ヘリコプターをドイツからバングラデシュまで来航させ、救援物資である食糧を空からばら撒き、それに当たって子どもが死んでも、「小の犠牲で大が救われればいい」と平然と言う同僚には、辟易した。 私は、デルタ地帯であったこともあり、200人の現地人ボランティアと協力して、手漕ぎの小船で農村地帯を周ることにした。 ここでは、1つの具体例しか挙げてないが、「ICRCの価値の普遍化」というなら、そういうことから事例研究をたくさんする必要がある。 日本人がもっとこういう意識で、つまり、グローバルな価値の創設という目標を持って、発言してゆく必要があろう。 折から、来年、2009年は、赤十字の創立者アンリ・デュナンが戦時救護を発想したソルフェリーノの戦いから150周年、ICRCがスイスの枠から大きく飛躍して普遍化することを少しは考えていいのではないか。 |