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桜をめで続けた日本人 [2008年02月29日(Fri)]










「やっと春が」。挿画は石田良介画伯の特段の
ご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。






 さらに兼好は、139段で「家にありたき木は松、桜」と、
この時代、桜が松と並んで好んで邸内に植えられる樹木になっていたことを記し、
次のように桜を評している。

 花は一重なるよし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆これ一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜またすさまじ。虫のつきたるもむつかし。

 東京では、弁慶橋を渡りホテルニューオータニと清水川公園(大久保利通遭難の現場。大きな記念碑がある)に八重桜の並木があり、4月後半は名所となっている。

 私が歌をご指導いただいている松田トシ先生のレッスン場はまさに、そのど真ん中。今年は4月20日に発表会があり、この歳で「最新人」たる私は、満開の八重桜の並木道を、諸兄姉弟子に迷惑をかける度合いを少しでも少なくすべく、今から励まねばななない。

 政府主催の「桜を見る会」はいつも新宿御苑で開催され、何度もお招きをいただいたが、ソメイヨシノの散り果てた時期になることが多く、いささか私の好みではない八重桜で「がまん」するほかない。
 
 左近の桜は
 室町時代にはや花見の宴が流行(はや)ったし、続く、秀吉(豊臣、15381〜598)の「醍醐の花見」は有名だ。
 
いつの時代にも桜を好む日本人
 下って、松尾芭蕉(1644〜1694)、
    命二つの 中に生きたる 桜哉
    さまざまの事 思い出す 桜かな

桜の句がいくつもある。2代目・竹田出雲(1691〜1756)は並木宗輔(1695〜1751)とともに『義経千本桜』を書き、上演した。
吉田松陰(1830〜59)の

   いにしへの大和こころを人とへば朝日に匂ふ山桜花

はあまりに有名である。
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