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捕虜第1号 F [2007年10月30日(Tue)]




  帝国海軍軍艦旗は、今、
 海上自衛隊旗として受け継がれている。





 真珠湾攻撃で捕虜になった、特殊潜航艇の乗組員・酒巻和男海軍少尉へのインタビューを拙著『聞書き 日本人捕虜』(図書出版社)から転載する。連載7回目。


   ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜


  ―― しかし、酒巻さんは将校手当は少しはあったでしょうが、労働収入は非常に少なかったでしょう。
酒巻 労働収入はないですね。けれども将校にはある程度の給与みたいなのが出るし、兵隊の労働収入にしても、同じ日本人捕虜の仲間で働いているわけですから、その収入を適当に配分して、実際働いて収入を得たものは割増しにしてという感じで再配分しました。そういう枠組みを僕がつくったんです。

―― マッコイにいたある日本人捕虜の元兵士は、「とにかく酒巻さんという人は偉い人なんだ」「何でも一人で全部するんだ」といっていました。それは話ができるということもあったと思いますが、捕虜の先輩で、捕虜とはいえアメリカ生活が長く、将校だったということもあるかも知れません。「ともかく大変怖かった。怖くてたまらなかった。収容所側よりも、もっと怖かった」といっておりました。
酒巻 (笑) それくらいにしないと、内部分裂の恐れや暴発の恐れがありました。将校同士で話合い、新米の捕虜にどう訓示するかを充分検討しましたから、今でもどんなことをいったか、はっきり覚えています。


〔注〕「・・・・・・大日本帝国国民たるの本分を自覚すると共に、被収容者たるの現状に鑑み、常に恥づかしからざる言行を旨とし、紀律厳正、協力一致、明朗快活なる生活を拓き、以って優秀なる団体生活を他に垂範するの覚悟なるべし」
<酒巻『俘虜生活4ヶ年の回顧』84頁(新来の捕虜に対し、黒板に右のように書き、心得を説いたという)>

 (昭和19年11月にはマッコイの収容所はいっそうふくれ上がり)日本軍の秩序はさらに強化されて、またしても上級の者がいばりなどし、リンチをほしいままにした。
 真珠湾攻撃のとき特殊潜航艇で参加して“捕虜第1号”になった酒巻和男少尉が世話係をしていたが、この人は温和な性格で、大学生をしのばせる理知的な風貌をしていた。わたしは、こんな青年将校に従っていこう、と決めていた。
 しかし、ファシズムにしがみつく連中は、ことあるごとに収容所の番兵とトラブルをおこし、あるときは1個中隊の米兵から銃剣でつきまくられる事件のきっかけをつくる。
<森義富(陸軍伍長、昭和18年2月、ガ島で捕われ、ニューカレドニアを経て、米本土へ。マッコイで酒巻氏らと過ごす)「ガダルカナル島の捕虜日記」(「新評」昭和47年8月号)144頁>



捕虜の指導に苦労

―― (空母飛龍の機関将校だった)萬代さんも「酒巻さんや私は本当に苦労した」ということをいっていました。とくにサイパンで捕虜になった兵隊は今とまるで違い「小学校しか出ていないような者ばかりだった」とか「ぶん殴ってやらなければいうことをきかない、しつけもしっかりしていない連中」が大勢いたとのことでした。「こわくなって、話合いとか説教とか民主主義なんて考えていたら間違いだよ」ともいっていました。
酒巻 そういうことですね。そんなことだけではおさまらないですね。全く裸と裸で体を張ってつきあわなければならなかったですね。

―― そのあたりの暴力団か何かわからないような人間もいっぱいいたらしいですね。酒巻さんらは海軍で、向こうは大部分陸軍という違いもありましたでしょうし、学校出の職業軍人もいればろくろく訓練も受けずに捕虜になったというのもいたりで、全体をまとめていくには苦労が断えなかったのでは・・・・・・。
酒巻 その通りです。皆やけっぱちになっています。背景も違うし、いろいろな状態で捕虜になったわけですからよほど厳しくしなければならなかったのです。

―― 殴ったりもしたのですか。
酒巻 殴りはしませんでした。

―― 萬代さんは多少は殴ったといってらっしゃいました。
酒巻 彼のほうが気が短いですからね。

―― 酒巻さんより3歳くらいお若いんじゃないですか。
酒巻 そんなものでしょう。ですから、そういうことはあり得るけれども、暴力はいけないですね。人間というのは、殴ったからいうことをきくというというような性質のものではないですね。ですから、そういう方法でなく、たとえ相手がどうであれ、導いて行くというのが望ましい姿ではありますね。


〔注〕歪みきった心は或る程度以上元へ戻らないのである。約束のない自由は放縦に変り、醜い自我は互いに衝突した。

 古い者と新しい者、陸軍と海軍、階級固守者と打破者。武士道死守者と打破者。不規則な斯うした対立の中で、自我の欲求を忠実に求め、個人個人が勝手な事を言ひ勝手な事を行ひ、果は勝手な徒党を作らうとしたのである。

 然し私達には、正当な制裁権も警察権もなかった。そこでただ出来るのは、不穏状態を未然に嗅ぎ出し、説教する位な事であろう。

<酒巻『捕虜第一号』138頁>
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