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ニコライ堂初訪問 [2007年09月09日(Sun)]
























  ニコライ堂正門上の復十字















『宣教師ニコライの全日記』(日本語版)献本式に
お招きを受け、御茶ノ水のニコライ堂に始めて訪問した。

 ニコライ堂、
正式には
日本聖ハリストス正教会東京復活大聖堂の門から入ると、
すぐ左にその説明が表示されている。それによると、
1904(明治37)年6月に
文部省が重要文化財に選定している。

 つまり、
その年の2月に日露戦争が始まっているのであるから、
これは、あきらかに戦時中に、
敵国にゆかりの深い施設を、
国が文化財として保護したということである。

 ロシア人である宣教師ニコライはこの間、
ここを拠点に、ほとんど外出できないまま
苦難の日々を送っていた。

それはともかく、
この表示板によれば、
ニコライ堂は1884(明治17)年3月に起工し、
7年かけて1891(明治24)年2月に完成したとのこと。

 設計したのは、
ロシア工科大学のシチュール・ポフ教授、
工事の監督には、英国人のコンドル博士があたったとある。

 高さ35mのわが国にある
ビザンチン様式の建造物としてはわが国最大で、
東京名物として数々の歌に歌われてきた。

 壁の厚さが1〜1.63mもあるのだそうだ。

 中は壮麗と言うほかない。

 聖歌隊の歌声は、
かつてクレムリンのウスペンスキー寺院、
アレクシイ2世の午餐会、
聖地ザゴルスクの大聖堂で聴いたものと同様、
ロシア正教の礼拝や式典では
きわめて重要な役割を果たしているように思った。

 素人写真で恐縮だが、
ニコライ堂の雰囲気をお伝えできれば幸いである。
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