小笠原で人肉食 [2007年05月22日(Tue)]
難攻不落の島では悲劇も怒った。戦時下の狂気というほかない。 父島は戦時中、要塞島だった。 首都防衛の要であった硫黄島と東京の中間にあり、 戦略物資中継の重要な島だった。 このため、大本営もそれまでの父島要塞司令部を改編し、 陸軍は5個大隊を基幹とする混成第一旅団など約9千人、 海軍は通信隊など6千人からなる防衛部隊を父島に配備した。 昭和19年6月、小笠原の父島と母島 合わせて7,700人の総人口のうち、 青壮年約300を軍属として残したほか、 一切の住民を内地に強制疎開させた。 全島にトーチカを構築、 ハリネズミのようにした。 欧米系の青年も召集を受けて中国戦線などで戦った。 父島は上空から見ると、 右手を手刀にして脱力状態にしたカニの爪のような形だ。 中央に大きく窪むところが二見湾、 大きな海浜はここだけで あとは軍の大規模な上陸はほぼ不可能な断崖になっている。 だから二見湾に機雷を敷設し、 砲台を並べると、 この島への攻略は至難となる。 硫黄島を攻略した米軍は 艦砲射撃と空襲で父島を攻めたが、 難攻不落とはこういう島をいうのであろう。 人のいない人家は焼けたが、 高射砲で米軍機も撃墜された。 先にのべた、「パパ・ブッシュ」(現ブッシュ大統領の父)も 搭乗機が父島上空で撃墜された一人だ。 問題はそのあと、 1945(昭和20)年2月23日から25日にかけて、 父島に対する空爆が行なわれた。 空母からアベンジャー爆撃機が次々に父島に向かって出撃した。 応戦する父島守備隊は高射砲や機関砲で5機の米軍機を撃ち落した。 ジョージ・ブッシュ中尉は、 からくもコックピットから脱出してパラシュートで降下、 味方の潜水艦に救助された。 しかし、同乗していた2人の乗組み員は行方不明となった。 ところが、このあと日本軍では 戦意ミ揚と称し、 捕虜になった米軍の搭乗員を殺害し、 人肉をカレーライスに入れて食べたということが、 戦後、大問題になった。。 その結果、立花中将以下9人が グアム島に連れて行かれた。 1946(昭和21)年2月、米軍側は、 「捕虜になった米軍のパイロットたちに対し、 人肉食が行なわれた。 主犯は陸軍の立花中将と的場少佐、 海軍の森中将と吉井大佐であるとして起訴した。 4人は大筋を認めた。 その後、この事件に関与したとされる25人が逮捕された。 針金で木に縛りつけた捕虜に立花中将が 日本刀での試し切りの希望者を募って殺害。 「これは美味い。お代わりだ」などとはしゃぎながら、 米兵の手足の肉や内臓を立花自身が食べたという。 また、吉井大佐はこのBC級裁判の法廷で、 「無差別爆撃する米軍が悪い。戦意高揚のため人肉を食べた」と供述。 「日本軍の戦陣訓である、 生きて陵辱の辱めを受けず゛・・・という教えがあり、 捕虜に対する行為は何をおいても許される」と主張したとされる。 しかし、果たして、海軍の高級将校が 陸軍の「戦陣訓」を引いて、 このような発言をしたのか、 私には若干の疑問が残る。 その事件から45年経った。 ブッシュ中尉は米国の第41代大統領として、 昭和天皇「大喪の礼」に参列した。 そのとき、「ようやく日本人を許す気になった」と 語ったという。 ブッシュはこの事件を「戦時中に経験した最悪の時」 として自伝に書き込んでいる。 (本稿の一部は、 gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage441.htmを 参照した。) |