CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«中国の自治区の民族構成 | Main | 旧最北端占守島の手記@»
<< 2014年04月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
小笠原で人肉食 [2007年05月22日(Tue)]






 難攻不落の島では悲劇も怒った。戦時下の狂気というほかない。

 父島は戦時中、要塞島だった。

 首都防衛の要であった硫黄島と東京の中間にあり、
戦略物資中継の重要な島だった。

 このため、大本営もそれまでの父島要塞司令部を改編し、
陸軍は5個大隊を基幹とする混成第一旅団など約9千人、
海軍は通信隊など6千人からなる防衛部隊を父島に配備した。

 昭和19年6月、小笠原の父島と母島
合わせて7,700人の総人口のうち、
青壮年約300を軍属として残したほか、
一切の住民を内地に強制疎開させた。
全島にトーチカを構築、
ハリネズミのようにした。

 欧米系の青年も召集を受けて中国戦線などで戦った。

 父島は上空から見ると、
右手を手刀にして脱力状態にしたカニの爪のような形だ。

 中央に大きく窪むところが二見湾、
大きな海浜はここだけで
あとは軍の大規模な上陸はほぼ不可能な断崖になっている。

 だから二見湾に機雷を敷設し、
砲台を並べると、
この島への攻略は至難となる。

 硫黄島を攻略した米軍は
艦砲射撃と空襲で父島を攻めたが、
難攻不落とはこういう島をいうのであろう。

 人のいない人家は焼けたが、
高射砲で米軍機も撃墜された。

 先にのべた、「パパ・ブッシュ」(現ブッシュ大統領の父)も
搭乗機が父島上空で撃墜された一人だ。

 問題はそのあと、
1945(昭和20)年2月23日から25日にかけて、
父島に対する空爆が行なわれた。
空母からアベンジャー爆撃機が次々に父島に向かって出撃した。
応戦する父島守備隊は高射砲や機関砲で5機の米軍機を撃ち落した。
ジョージ・ブッシュ中尉は、
からくもコックピットから脱出してパラシュートで降下、
味方の潜水艦に救助された。
しかし、同乗していた2人の乗組み員は行方不明となった。

 ところが、このあと日本軍では
戦意ミ揚と称し、
捕虜になった米軍の搭乗員を殺害し、
人肉をカレーライスに入れて食べたということが、
戦後、大問題になった。。

 その結果、立花中将以下9人が
グアム島に連れて行かれた。

 1946(昭和21)年2月、米軍側は、
「捕虜になった米軍のパイロットたちに対し、
人肉食が行なわれた。

 主犯は陸軍の立花中将と的場少佐、
海軍の森中将と吉井大佐であるとして起訴した。
4人は大筋を認めた。

 その後、この事件に関与したとされる25人が逮捕された。

 針金で木に縛りつけた捕虜に立花中将が
日本刀での試し切りの希望者を募って殺害。
「これは美味い。お代わりだ」などとはしゃぎながら、
米兵の手足の肉や内臓を立花自身が食べたという。

 また、吉井大佐はこのBC級裁判の法廷で、
「無差別爆撃する米軍が悪い。戦意高揚のため人肉を食べた」と供述。
「日本軍の戦陣訓である、
生きて陵辱の辱めを受けず゛・・・という教えがあり、
捕虜に対する行為は何をおいても許される」と主張したとされる。
しかし、果たして、海軍の高級将校が
陸軍の「戦陣訓」を引いて、
このような発言をしたのか、
私には若干の疑問が残る。

 その事件から45年経った。

 ブッシュ中尉は米国の第41代大統領として、
昭和天皇「大喪の礼」に参列した。

 そのとき、「ようやく日本人を許す気になった」と
語ったという。

 ブッシュはこの事件を「戦時中に経験した最悪の時」
として自伝に書き込んでいる。

(本稿の一部は、
gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage441.htmを
参照した。)
コメントする
コメント

武道をする人を私は基本的にとても尊敬しています。また、私の知っているそういう方は皆さん、どの武道でも尊敬できる方々でした。それだけにこういう話は残念です。
戦陣訓が勝手に曲解された例はほかにもいろいろありそうですね。
悲しいことです。






















Posted by: 吹浦忠正  at 2008年02月25日(Mon) 08:18

ブッシュ父について調べていたら、吹浦先生のサイトにあたってしまいました。
吹浦先生は何でもご存知なのですね。とても叶いません。凄いと思います。

で、父島事件ですが、主犯の的場少佐は講道館柔道の高段者だったそうです。
しかし、普段から横暴で、柔道で鍛えた技と力を部下への暴行につかっていたことが分かっています。
たとえ戦争だろうと武道家として許される態度ではありません。

先陣訓について先生の指摘はごもっともです。
しかし講道館柔道の精神を普段から踏みにじっていた的場少佐なら先陣訓も出鱈目に曲解していたとしてもおかしくないと思います。

柔道による人づくりの失敗例として、この父島事件を語り継いでいこうと思います。
Posted by: sonic  at 2008年02月24日(Sun) 23:25

ちなみに戦陣訓とは戦陣つまり占領地の戒で敵兵捕虜や住民の愛護を戒めとして、決して負ける事を前提とした自決に薦めではなかった。

戦陣訓

夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道を宣布し、敵をして仰いで御稜威の尊厳を感銘せしむる処なり。
本訓 其の3
1.・・・敵及住民を軽侮するを止めよ。・・・・
6.敵産、敵資の保護に留意するを要す。
7.皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし。
8.戦陣苟も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし。
9.怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。
 軍法の峻厳なるは特に軍人の栄誉を保持し、皇軍の威信を完うせんが為なり。常に出征当時の決意と感激とを想起し、遙かに思を父母妻子の真情に馳せ、仮初にも身を罪科に曝すこと勿れ。
Posted by: ほい  at 2007年06月08日(Fri) 22:27

石井様のコメントは正鵠を射ていると思います。「戦争でなら何をしても良い」「捕虜は殺されて当たり前」のような雰囲気が、どこかに厳然としてはびこっているのが、最大の問題でしょう。
人肉食の猟奇性はまた別の重要なテーマですが、ここではこの程度にしておきたいと思います。
Posted by: 吹浦忠正  at 2007年05月23日(Wed) 07:36

小笠原でも人肉食があったというのは初耳です。人肉も、食べる気になれば食べられるのは間違いなく、人間としての命の尊厳とは、という本質的な問になりますね。でも、人間の身勝手さを考えると、どこまでが人間≠轤オいのか、答えがありません。
Posted by: 人間A  at 2007年05月23日(Wed) 07:30

 父島事件については秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う』(文春文庫)下巻に詳しく書かれており、文中で紹介されているサイト記事も、この書物からの引用です。おっしゃるとおり、確かに疑問点もありますし、あるいは表記上の問題か、読者から誤解も招きやすい部分もあります。
 現在、父島事件についても調査中ですが、発表はまだ先です。
 私のみたところ、一番の問題点は、多くの日本人関係者が
「捕虜の肉を食べたのはさすがに許されることではない」と回想しており、「捕虜を殺すべきでなかった」という意識が薄いことです。
 裁判記録を見る限り「捕虜殺害」という行為が断罪されており、捕虜を殺害した被告人は死刑か終身刑、一方、遺体を解体した被告人は5年以下の刑、と明確な差があります。
 「人肉事件」の猟奇性ばかりが語られる事件ですが、捕虜を殺害したことで処刑されたという肝心な点が見落とされがちなのは、今なお「捕虜は殺されて当然」という見方がどこかにあるからかもしれません。
 ちなみにラバウルでも「人肉事件」が裁かれており、ここでは「発見した死体を解体して食べたが、殺害はしていない」との理由で、最終的には禁固5年となっています。このとき被告人は「人肉食」ゆえ「死刑になって当然」と考えており、一審では検察側の死刑の求刑をそのまま受け入れていたのですが、控訴審で豪州人弁護士が「不法殺害はなく、遺体損壊のみ」と主張して減刑を勝ち取っています。
 裁判で問われたのは猟奇性ではなく、適法性なのだということをもっと知っておくべきでしょうね。
Posted by: 石井  at 2007年05月23日(Wed) 06:47