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自由人逝く [2007年04月16日(Mon)]

 

 追悼の言葉を述べるイヴァン・ムルキッチ駐日セルビア共和国大使。







 
 苦楽を共にし、田中氏のすばらしい業績と生き方を支えた千寿子夫人。
 参列者に「平服で」とご案内し、線香台もご遺骨も置かない簡素な祭壇であったのも田中一生氏にふさわしいと、参列者が納得していた。ご遺骨の一部はバルカンで埋葬されたと聞く。





 10年余りにわたっていろいろ教えていただいた、旧ユーゴ文学研究家で翻訳家の田中一生(かずお)氏の偲ぶ会が、きょう4月15日午後、千代田区の日本教育会館で行なわれ、私も出席した。

 田中氏については小欄で何度か紹介したので詳細を省く。

 昨年の今頃、セルビア・モンテネグロ(当時)政府より、日本の文化勲章に相当するヴーク・カラジッチ勲章を授与された。

 そのことをきっかけに、両陛下に旧ユーゴ文学や現在の情勢などをお話しする機会が与えられ、諸般の関係から私が付き添って吹上御所に参上した。

 そこでも真の自由人たる面目を十分発揮された。両陛下、とりわけ今上陛下はバルカン問題にお詳しい。以前も、コソヴォやボスニア・ヘルツェゴヴィナを担当している難民を助ける会の関係者を案内したときも、そうだったが、現地の地理や歴史、文化、民族感情に精通しておられるといっても過言ではない。

 田中氏は陛下からの専門的ともいえるご質問に、多少上気しつつも、縦横無尽に回答し、時に4人で真剣に考え込んだり、破顔一笑したりして一時間あまりを過ごした。

 別れたのは坂下門の前。「また近く、メシでも・・・」と言いいあったのがつい先月ぐらいのことに思えてならない。

 生粋の自由人、田中一生氏が亡くなられたのは、3月9日。本人の希望で、モーツアルトの「レクイエム」を聴きながらの昇天であったという。享年71歳。惜しみても余りある。

 以下に、田中氏の発言の一端を紹介して、偲びたい。

 ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆

 ●翻訳家の中で、私にとって常に最高峰、師と仰いでいるのは森鴎外です。森鴎外の翻訳は、まさに貞淑な美女です。これはめったにありません。私の目標として、森鴎外を常に心の中に留めておいて、翻訳が上手く出来ないときは、森鴎外の書物をポッと開いて、読んで、自分自身また発奮するというようにしています。
   北海道美唄市ニコニコBOX親睦委員会における講演より

 ●大国の政治力学に翻弄され続けてきたがゆえに、旧ユーゴの作家が編み出す言葉には、苦悩する人間に通じる珠玉の輝きと知恵と洞察力がある。
   2006年5月2日付 朝日新聞「ぴーぷる」欄のインタビューに応えて

 ●文学には、政治学から見えない民衆の心が映されている。
 なじみの薄い文豪の作品をどう判り易く伝えるか。それが(翻訳の)原点です。
   2006年4月29日付 北海道新聞「ひと」欄のインタビューに応えて

 ●(ノーベル文学賞受賞者イボ・アンドリッチの作品は)いずれも訳者が愛惜してやまない作品である。
   2006年5月24日付 朝日新聞「天声人語」に

 ● “サラエボの銃声”が第1次世界大戦を引き起こし、バルカンが世界の火薬庫といわれてたかだた百年です。そのはるか昔から、ここは少数民族による多層な文化が共存した貴重な地域なんです。紛争の悲劇は現代史の一コマであり、もっと長い目で眺めてほしい。
   2006年7月20日付 日本経済新聞「うたた寝」欄のインタビューに応えて

 ●経済的には苦しくとも、在野の自由な立場で好きな作品の翻訳にあたるのだ、好きなことをするにはそれだけの覚悟がいる。
 3食を2食にしてでも、文献の蒐集に努めること。
   2007年4月刊行の田中一生著『バルカンの心』(彩流社)に寄せた柴宜弘東京大学大学院総合文化研究所教授(田中氏の弟子)の「解説に代えて」より。


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コメント
本当に大事な方を喪ったと残念でなりません。門井さまが、すばらしい本をまとめてくださり、一読者として、感謝しています。合掌。
Posted by: 吹浦忠正  at 2007年06月07日(Thu) 07:15

 おくればせながら、はじめてコメントさせていただきます。『バルカンの心』を検索してたどりつきました。何度か田中さんについて書かれたことがあるという記述に、前にもカラジッチ勲章の折に調べたとき一度おじゃましたことがあるのを思い出しました。
 わたしは遺著となった『バルカンの心』の編集制作を担当した者です。http://fuefukin.exblog.jp/5057623/ ここに本書成立の前後を紹介してありますので、よろしければご覧下さい。難民の会のことは時おりご本人から聞いておりましたが、長いおつき合いだったのですね。
 偲ぶ会当日に撮影したビデオをダビングして先週ようやく奥様に届け、一区切りつきましたが、まだ電話すればちょっとしたことでも質問できたり、こまごました文字の葉書が郵便受けに届くような気がしてなりません。
Posted by: 門井菊二  at 2007年06月06日(Wed) 17:21