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日露戦争と捕虜 S [2007年04月11日(Wed)]




日露戦争時にロシアの将兵を救う日本軍(絵馬。伊予八幡神社所蔵)





●通訳の赤面
  こうした各地の捕虜の様子は、当時のさまざまな記録が残されており、近年、郷土史の研究家や地方大学の学者が大いに調査・研究している。そうした記録の中で今回、当時の様子を描いてあまりあると、思わず眉を顰めたのが『山形俘虜収容所日誌』である。通弁(通訳)だった藤塚熊太郎が書き残したものだ。

「半紙二つ折りの朱罫紙を用い、八十二枚綴り、墨書の冊子本」と工藤定雄氏は同日誌の解説で書いているが、私が直接見たものではない。工藤氏はその中から次のような、通訳ならではの恥ずかしくなったエピソードを紹介している。大意を紹介する。

  ロシア人が市中通行の際、群集してくる小児らが「ゼニケロー」と言うはいかなる意味かと、藤塚通弁に質問した。通弁は大いに困惑して、何の意味か皆目わからぬ。恐らくは小児らの語で、無意味の呼びかけであろう、と苦しい答弁をしている。

  また、多数の中学生が捕虜に対し、大声で笑い出し、何やら罵(ののし)るのである。これに対してロシア人が「馬鹿者なら兎も角、いやしくも中学生ともあろうものが、外国人なりとて、俘虜なりとて無礼であろう。貴下幸いに、貴下の長官にこのことを伝えてほしい」と藤塚通弁に語りかけた。これまた、いや、この方が誠に恥かしい収容所のこぼれ話である。(11月9日)

  黒海に臨むオデッサの軍港での「戦艦ポチョムキン号事件」(6月14日〜7月8日)を知った兵たちが、俘虜収容所内でも士官の月給が100円で兵は40銭というのは納得が行かない。このなかから靴代や煙草の購入費を負担するので、「どうして過ごすことが出来るというのか、暴挙の起るのは止むを得ないではないか」と悲憤慷慨している。これは「心打たれるところである」(10月30日)という記述もある。

 ちなみに、藤塚の記録によれば、11月だけで、
         俘虜を見んとて群集せしを制止 636件
         同上 接近追随せしものを制止 106件
         同上に悪口せしもの制止      10件
         小児俘虜より金銭を貰はんとし
                 て追尾せしを制止   3件
あったとのことだ。  (つづく)




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