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難民を助ける会の沿革B [2007年04月10日(Tue)]






 カンボジアの国旗にはいつの時代にも、どの政権の時でも、世界遺産となったアンコールワットが描かれている。





■名称を変え世界にはばたく

 アフリカが大干ばつに見舞われた1984年、創立5周年を迎えた「インドシナ難民を助ける会」は5年前の設立総会と同じ日、同じ場所で5周年記念総会を開き、活動と支援対象を世界各地に拡大することとなり、名称を「難民を助ける会」とした。

 記念シンポジウムには、神谷不二慶応義塾大学教授、緒方貞子上智大学教授(後の国連難民高等弁務官)と相馬会長がパネリストとして壇上に並び、私がモデレーターを務めた。

 早速、外務省や立正佼成会などとともに「アフリカに毛布をおくる会(森繁久弥会長、吹浦実行委員長)」を立ち上げ、4カ月で176万枚の毛布と12億4千万円の資金が集まり、すべての国にモニターを派遣しながら、13カ国で配布した。

 インドシナ難民の窮状はその後も続いた。わが国でも78年の先進国首脳会議(東京サミット)を前に500人の定住難民受入れ枠が決定され、同年に3人、翌年に2人の定住が認められたが、80年代になってその数は急増した。

 しかし、日本語学習、就学、就職などさまざまな分野で困難が続き、難民を助ける会ではまず、(財)東京コミュニティカレッジの協力を得て、「相談室」を設置、奨学金制度を設けるなどして教育面での支援にあたった。93年、厚生省の認可により、この機能が分離して「社会福祉法人さぽうと21」となり、同じ場所での活動が現在に至っている。

 タイは75年から91年末までの間に、673,481人のカンボジア難民を受入れた。そして、92年の初頭までに、約8万6千人が自発的にカンボジアに帰還し、今日までに約20万人がアメリカ、フランスなどを中心に第三国に受入れられ、わが国にも約1,800人が定住難民として受け入れられた。
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