日ソ共同宣言の功罪 [2007年02月28日(Wed)]
「日ソ共同宣言」を締結した鳩山一郎首相(当時)の銅像除幕式が2月28日、東京・音羽の鳩山会館庭園で行なわれた。 前列右から、海部、中曽根の両元首相、麻生外相、鳩山安子未亡人(一郎の長男・威一郎元外相夫人)、安倍首相、フリステンコ首相。 日露間の最大の懸案である北方領土問題では、プーチン大統領の意見は「1956年の日ソ共同宣言で約束したように、平和条約が締結されれば歯舞・色丹(4島面積の7%)の両島は日本に引き渡す」というものである。 その日ソ共同宣言を締結したのが鳩山一郎首相(当時)である。病躯をおして車椅子まで使ってのモスクワ行きである。少年だった私はそのニュース映画を今でもはっきり覚えている。 長男を長年シベリアに抑留されたわが父は、戦前からのソ連嫌いが徹底していた。かの松岡洋祐外相が日ソ中立条約の締結のため、秋田の港からウラジオストクに向かうとき、地元の市会議員として、見送りに行ったのであった。そして「港でソ連に騙されるな」と忠告したのが自慢だった。しかし、その結果が、同条約有効期限内におけるソ連の対日参戦であり、自分の長男の抑留であった。 だから後年、私が100回もロシアに行くようになるとは思いもよらなかったに違いない。1968年に初めて私が訪ソした時の報告を聞いて、わが子ながら毅然としてソ連と話し合っていることに、めったに褒めたことのない父親は満足げだったが、その数年後に亡くなった。 閑話休題。 きょう除幕された鳩山一郎の銅像は、ロシア側からの贈り物である。 製作したのは、ロシア美術アカデミーのズラブ・K・ツェリテリ総裁。ソ連時代から押しもおされもせぬ彫刻の大家であり、世界各地にその作品が残されている。 昨年、すなわち日ソ共同宣言で両国が国交を回復して50周年になったことを記念して、ロシア側から日ロ協会(鳩山由紀夫会長)に贈られたのが、きょう除幕した銅像である。昨年の50周年はモスクワでのみ祝賀行事が行なわれ、日本側では行なわなかったのは懸命である。 にもかかわらず、鳩山由紀夫民主党幹事長以下、河野太郎自民党所属衆議院議員などを含む100余の民間人がモスクワ詣でをし、「鳩山一郎さん、河野一郎さんの孫、それに岸信介さんの孫(安倍首相)で北方領土問題の解決を!」などと、ヘンな盛り上がりをしていたと伝えられている。そんな安易な話ではないというのにだ。 ところで、この共同宣言は、領土問題が解決されなかったら平和「条約」とはならず、「宣言」に留まり、その後の条約締結交渉がそこで約束されたのであった。しかし、それでも交渉はその後の50年、満足に行なわれたことは、いわば数回しかないといっても過言ではない。もし、共同宣言で「2島返還」が謳われていなかったら、交渉はもっとスムーズだったに違いない。共同宣言が問題をより複雑にしてしまっているのだ。 その締結者である鳩山首相にフットライトをあて、今、ロシアは「2島返還論」をプレイアップしようとしているのだ。下心なく、誰がこんなことをするものだろうか。きょうの参列者たちのどのくらいの数の人が、そのあたりをしっかりと理解して臨んでいるのだろうかと、少々、不安になった。 もちろん鳩山首相は共同宣言の締結で、日ソの国交を回復し、日本の国連加盟を実現し、瀬島龍三元関東軍参謀など千数百名の抑留者を11年ぶりに帰国させたという功績はある。 しかし、領土問題に関して言えば決して、合格点ではないのだ。 私たちは、「4島返還」を実現してこその平和条約であることを、さまざまなレベルでロシア側にはしかと伝えなくてはならない。序幕式で思いを新たにしなくてはいけないのはそのことであるに関わらず、私の周辺にいた「安物の」国会議員たちは単純に、「鳩山首相は立派だった」「由紀夫さんや邦夫さんも総理にならなくちゃね」などと見え透いたお世辞を大声でしゃべっているのだった。 国内の啓発と政官民の連携強化の必要性を再確認したのだった。 |