バザール商法と正札商法 [2007年01月01日(Mon)]
日露戦争の末期、1905年7月、児玉源太郎の提案で、日本軍は最後の師団をにわか仕立てして、ロシアの「本土」であるサハリン(樺太)南部に上陸させた。これは、倒されているとはいえ、そのときの記念碑。中段はその台座。下段はそことは別の、サハリン・ホルムスク付近の美しい海岸、沖合いにはトドがいた。2006年9月1日撮影。 2006年8月16日、北方領土の一つである歯舞群島の水晶島付近の海上で、中間線を越えて操業していたとの理由で日本漁船が突然発砲を受け、漁船員一人が死亡するという痛ましい事件が起こった。 戦後、この周辺では数多くの漁船が拿捕され、多くの船員が抑留されるということが続いてきた。その根本的な原因は、国境が未画定なこととムリな操業というほかない。そしてソ連・ロシアの取締りにも問題なしとしない。 もともと「北」という字は2人の人間が背を向けるという字であり、「北」は日本の外交の鬼門であるという人もいる。遺憾ながら北隣の国ロシアはといい関係だった時代はきわめて少ない。現在も北方領土が不法に占拠されたままになっており、両国間には依然、平和条約が締結されていない。 日本の最北端は、かつては千島列島の最も北の占守(しゅむしゅ)島であった。カムチャツカ半島の最南端、ロパトカ岬まで12`、手の届くように見える距離である。事実上、占守島と姉妹島といってよい幌筵(ぱらむしる)島はそのすぐ南隣りにあって、北千島の中心的存在であり、現在、根室市とは姉妹都市になっている。 極北地の動物が数多く生息しているほか、戦前は日本の蟹工船が、今ではロシアの蟹漁船や付近で操業している。戦前、幌筵には東洋一といわれた蟹工場があった。 この北千島までをロシアに返還要求すべきだというのが、日本共産党と伊藤憲一日本国際フォーラム理事長。並列するのはいかにも誤解を招きそうだが、本来、双方は相容れないよう政治的・思想的立場である。 前者は、1975年の樺太千島交換条約で日本の領土になったのであり、武力で奪取したものではないということからくる、それなりの「正論」。しかし、日本はそれらの島々に対する権利権限をサンフランシスコ講和条約で放棄している。したがって、それを撤回するには同条約締約国に参集してもらい、その賛成を得なくてはならない。それは国際政治の現実を解さない机上の空論という。 尊敬する伊藤理事長はさすがに元外交官。ロシアの外交や主張がふっかけて妥協したかのように見せるやり方(「バザール商法」)なら、日本も「4島返還」という掛け値なしの「正札商法」をやめて、南樺太や千島の返還要求をし、「妥協に妥協を重ねて北方4島で我慢する」として折り合いをつけるべきだというのだ。これを先般、産経新聞(こちらは「正論」欄)に書いておられた。 しかし、本気で日本がこうすべきだというなら、それは新聞に書いてはいけないことであり、直接、官邸や外務省に働きかけるべきことだと、私は思う。 ついでに、この「バザール商法」「正札商法」という言葉を国際政治、とりわけ日露関係に最初に使ったのは、袴田茂樹青山学院教授であることをご紹介しておきたい。わがユーラシア21研究所の理事であり、安全保障問題研究会の座長もお願いしている。 ついで重ねに言うなら、私とは3年違いの同じ誕生日(3月17日)。昨年もモスクワ郊外の元スターリンの別荘という宮殿のようなところでロシア側に一緒に祝ってもらった。ロシアで一緒に祝ったことはもう何度もある。 |