• もっと見る
«巧まざる演出で感動 | Main | 内外の有名歌手がカバー»
<< 2014年04月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
天から降ってきた言葉 [2006年11月29日(Wed)]




 挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




「泣きなさい、笑いなさい」という歌詞は、この東京オリンピック閉会式の様子が喜納昌吉の心にインプットされ、それが14年の「歳月とともに発酵されて生まれたフレーズだった」(『すべての人の心に花を』)のだ。

 この14年の間には、麻薬不法所持で一年半服役するということも経験した。72年5月の、沖縄の祖国復帰も楚辺(そべ)刑務所の獄中でのことだったが、喜納は「模範囚としてその間を過ごし、その後、新しい境地と人生を開き」、今日に至っている。

 1978(昭和53)年秋、喜納昌吉30歳。沖縄の祖国復帰5年目にあたる前年、自作の『ハイサイおじさん』で本土での歌手デビューを果たしていた。

 今、社民党の衆議院議員となっている保坂展人(「元気印」という流行語を考案した人)と渋谷・公園通りの東武ホテルでお茶を飲んでいた。西武デパート、パルコを経て渋谷公会堂、NHKへと向かう途中にこのホテルはある。渋谷公会堂は東京五輪の直前に出来、三宅兄弟やジャボチンスキーが活躍したウエイトリフティングの会場だったところ。今このあたりは日本で一番ファッショナブルな場所かもしれない。

 そのとき、「突然、僕のところに歌詞が降りてきた。本当にそれは、どこかから降りてきた、という感覚だった」と『花』の歌詞誕生の時のことを、喜納はよく覚えている

 紙ナプキンに急いでペンを走らせた。そして「あのときの感動のフレーズが甦ってきた。<泣きなさい、笑いなさい…>。16歳の僕が、平和の祭典オリンピックのフィナーレに涙したあの日から、14年の歳月を経て、無意識に心の中で発酵させてきたあのフレーズが、その瞬間激流となって流れ出てきた」という。

 春名尚子の『花ものがたり』(エイト社『喜納昌吉』所載)によれば、「昌吉はこの曲のことを<自分が創ったとは思っていない。これは預かったものだ>という。しかし、この曲を預かることが出来るのは、喜納昌吉その人以外にはあり得なかったであろう。

 それはこの曲が内包するメッセージのように、昌吉自身がすべての人の心に虹の橋を架け、花を咲かせるために、全生命をかけ行動しつづけているからである」。

 だから、まるで啓示を受けたかのようにして出来た歌だけあって、「泣きなさい、笑いなさい」と偉そうに命令形で言われても、抵抗がほとんどないというファンもいる。

 この曲をリサイタルのステージで毎回のように絶唱する美輪明宏も「これは天から授かった歌、天からの励ましのメッセージ」であると解説する。

「いろんな解釈がありますが、最初に詞を読んだ時、輪廻転生の歌だと思いました。雨が降り地面に沁み込み、湧き水となってやがて川となる。川は流れて滝壷に落ちたり,岩にぶつかったり様々なことを経て、やがて海に流れる。そして蒸発して雲となり、また雨となる。その繰り返しです。人の世も同じこと。何度もなんども生まれ変わり、さまざまな人間になる・・・」。

 美輪はステージからこの歌の哲学や宗教を語りかける。


コメントする
コメント