週末の災害ボラ報告 in 石巻 (上) [2011年04月20日(Wed)]
週末にピースボートの災害ボランティアとして石巻へ行った。泥掻きがようやく始まった一つの商店街で作業を行なったが、まだ現場は震災から1ヶ月以上経ったとは思えない惨状で、復興に向けた第一段階の後片付けのために、もっともっと人手が必要な状況だった。
石巻専修大学にテントを陣取り、そこからバスのピストン輸送で現場に向かった私たちは、旧北上川が見えてきたところで目を見張った。階段部分と表札が残る玄関口のほんの一部を除き、完全に崩壊してしまった家のガレキの山が目に飛び込んできたからだ。どうやったら、ここまで無残な姿になってしまうのか――私は息を呑むことすら忘れ、食い入るようにその光景を見つめた。 そのすぐ近くにある現場のボランティア本部前でバスから降り立った瞬間、今度は鼻をつく異臭と粉塵に見舞われた。家から運び出された家具、電化製品、そして子供のおもちゃまで、あらゆる日常生活用品が泥まみれとなり、周りの家々の前に山のように積まれていたのだ。東方の丘陵が壁となり、この一帯に津波が直接到達することはなかったようだが、北方を流れる旧北上川が氾濫し、家屋の1階部分は瞬く間に黒い濁流に呑まれたということだった。 注意事項を受けた後、私たち総勢200名余りは、スコップやブラシ、ワイパーなど、泥掻きの作業道具一式を本部で揃え、10人1組となって、商店街の泥掻き、清掃へ出発。2日間、私たちのグループは二手に分かれた。一手は、震災後、ほぼ手付かずのままの歯科医とその自宅で、まさに泥掻きと泥にまみれてしまった様々な物を外に運び出す作業から始まったようだった。2日かけて、ようやく床の木目やタイルが見えてくる――そんな状況だった。 私自身は、歯科医の向かいにある喫茶店とその裏にある自宅にほとんどの時間を充てた。そこは60代のおじさんが一人で経営しているらしいレトロ風の喫茶店だった。お店のカウンター内に残された倒れかけの食器棚を大人数で運び出したり、トイレ等の泥掻き、フロアの泥出しなど、私たちは黙々と取り組んだ。このお店で、おじさんがまたコーヒーをお客さんに出せる日が一日も早く来るように願いながら。 最初、喫茶店のことをおじさんに聞くと、「誰か借りてくれる人がいたら、使ってもらうよ。」という答えが返ってきていたのだが、2日目に、おじさんの自宅の玄関先や風呂場の清掃を手伝う傍ら、色々な会話が弾むようになると、「補助金か保険が出たら、まず仮店舗をどこか別の場所でやって、その間にあの店をきれいにするよ。」という言葉がおじさんの口から聞けるようになった。その変化が、私たちにおじさんが徐々に心を開いてくれたからなのかどうかはわからなかったが、ただ無償に嬉しくて、別れ際、私は、「石巻におじさんの作ったパスタを食べに来ますね!」と心からおじさんにエールを送った。「そりゃ助かるわ。ありがとう。」本当にもったいないくらいのそのおじさんの言葉を私は深く心に刻んだ。 作業を終え、本部に戻る道すがら、すれ違う地元の人たちは、口々に「ありがとね。」「いやぁ、本当に助かった!」という言葉をかけてくださった。涙が思わず、こみ上げてきた。 賞味1日半しか手伝いはできず、私一人では本当に本当に小さい力にしかならなかったが、こうしたボランティアが毎週現地に手伝いに入ること、また、私たちが自分の地域でできることをやっていくこと――そうした積み重ねが大きな力となって、地元の人たちの復興へ向けた動きをサポートしていけるんだと、改めて強く思った週末だった。 写真はこちら http://album.yahoo.co.jp/photos/my/10336747/ (Written by H.H.) |