開発金融と環境チーム委託研究員の波多江です。フィリピンからのエッセイです。
2014年5月16日
「Let the Agno River Flow!」(アグノ川に自由な流れを!)
生前のアポがサンロケダムの抗議活動や会合で皆の前に出て話すとき、最後に必ず口にする言葉だった。私は彼が勢いよく流れるように言う、皆の奮起を駆り立てるこのフレーズが大好きだ。今でも私の心の中には、このアポの声が響いている。


「サンロケダムの抗議活動(2002年)」
8年前の5月16日午前、アポは帰宅途中の農道で何者かによって射殺された。当時、フィリピンでは「政治的殺害」が年に200件以上起きており、アポの暗殺も国家事業であったサンロケダムとその灌漑事業の反対運動を引っ張ってきた報いだった。
その8回忌に教会でのミサが催され、私はアポの奥さんやTIMAWWA(アグノ川の自由な流れを取り戻す農民運動)のリーダーらと参列した。

「ミサの様子(2014年5月16日)」
ミサでは、アポの生前、一緒に活動していた仲間がそれぞれの思いを語った。
「今でも寂しくて、涙が出てくる。アポの生前はどこに行くにも自分が一緒だったから。」
「アポが生前、繰り返し言っていたことが、まさに起こっている。サンロケダムができたからと言って、電気や水が皆に行き渡っているわけではない。サンロケダムが放流して、大洪水が起きた。」
「アポの生前は多くの人が集まり、抗議活動に参加していた。今も、アポが私たちがこうして集まる機会になっている。」
「アポが始めたこの闘いを私たちは忘れることなく、続けていこう。」

「ミサに参列したリーダーら(2014年5月16日)」
私は、私の気持ちをそのまま代弁してくれている皆の言葉に耳を傾けながら、思いっきり泣きたい気分になったが、少し顔を上に傾け、その涙を必死でこらえていた。そして、悲しみや悔しさと同時に、今年もこうして一緒にアポのことを偲び、思いを分かち合うこのできる仲間がいること、アポや皆が自分をこの場所に受け入れてくれたことをとても有り難く、幸福なことだと思った。
「これからも、自分のできることを精一杯続けていく。それが、お世話になったアポや皆へのせめてもの恩返しだと思うから。」ミサの終わりに、こう心の中で自分を奮い立たせながら、それでも、アポに一つだけお願いをした。「アポにはまだ私たちを見守っていてほしい。アポが殺された日の朝、『Ingat kayo(気をつけて)』と調査に出かける私たちに声をかけてくれたように。」