Y.Y.氏からの情報に関して
[2019年06月29日(Sat)]
いや〜すごいものをみつけていただきました。
渡部瞭さんの「鵠沼をめぐる千一話」は私もみていますが、彼が死を自覚し、時間との競争のなかで何かを残すことを目的に作業したものだと知り吃驚したものです。
彼とは県の社会科部会でご一緒したことがありますが、彼は地理だったこともあり、あまりお付き合いはありませんでした。
だからそのことを知ったのは、鵠沼公民館資料展示室のNさんからです。
また、村川堅太郎の遺族の物納のことも教えてもらいました。
しかし、その娘さんの話は初めて見ました。
そして、私自身のバイブル、つまり歴史にのめりこんだ本が、中央公論の世界史の歴史シリーズ、「ギリシア・ローマ」村川堅太郎の書いたものです。
高校時代、これを教科書にしていましたので、よく、世界史教員を困らせていました。村川堅太郎は、直接知らなくても私の恩師そのもの、私の学問のルーツにあたる人物です。
村川堅太郎の著作に接した在野の方は多いと思います。
今回、「松が岡公園」に出会って、自分の歩んできた道を振り返ることができて幸せです。
そのことにY.Y.資料は大きな支援・助けとなりました。
FMWあってこその総合作業ですね。
一人ではなく、みんなでつくりあげていく楽しさを今実感しています。
K.M.

渡部瞭さんの「鵠沼をめぐる千一話」は私もみていますが、彼が死を自覚し、時間との競争のなかで何かを残すことを目的に作業したものだと知り吃驚したものです。
彼とは県の社会科部会でご一緒したことがありますが、彼は地理だったこともあり、あまりお付き合いはありませんでした。
だからそのことを知ったのは、鵠沼公民館資料展示室のNさんからです。
また、村川堅太郎の遺族の物納のことも教えてもらいました。
しかし、その娘さんの話は初めて見ました。
そして、私自身のバイブル、つまり歴史にのめりこんだ本が、中央公論の世界史の歴史シリーズ、「ギリシア・ローマ」村川堅太郎の書いたものです。
高校時代、これを教科書にしていましたので、よく、世界史教員を困らせていました。村川堅太郎は、直接知らなくても私の恩師そのもの、私の学問のルーツにあたる人物です。
村川堅太郎の著作に接した在野の方は多いと思います。
今回、「松が岡公園」に出会って、自分の歩んできた道を振り返ることができて幸せです。
そのことにY.Y.資料は大きな支援・助けとなりました。
FMWあってこその総合作業ですね。
一人ではなく、みんなでつくりあげていく楽しさを今実感しています。
K.M.


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