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国際交流展関連講演会[2013年10月19日(Sat)]
国際交流展 関連講演会
「韓国中原と南九州−日韓の古墳の多様性を検討する−」
『韓国中原地域と南九州の古墳時代』
多くの方が韓国から来られた講師の講演を熱心に聴かれていました。

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講師:成 正縺i大韓民国 忠北大学校 教授)
「中原地域の馬韓・百済墳墓の様相と特質」

 中原地域で調査された馬韓と百済関連の墓の様相を見て、その特徴と性格を把握した。この地域の馬韓初期粘土帯土器文化段階の墳墓は、その数がわずかで、散発的に定着したような姿を見せている。
 馬韓後期の原三国段階には、美湖川流域と南漢江上流域にそれぞれ大規模墓群が造営されていた。基本的に土壙墓と合葬墓、丸底短頸壺と鉢形土器のセットおよび馬形帯鉤の副葬などが東と西で共通して現れ、この段階の文化形成に北方地域、特に楽浪系統の文化が相当な影響を及ぼしたものとみられる。
 また、中原の西側には清州新鳳鳴洞と清原松垈里・上平里遺跡などのように墓制と遺物相などにおいて4世紀代に馬韓から百済へと漸進的な交替様相をみせる古墳群が存在する。清州新鳳鳴洞古墳群築造集団は、天安龍院里や公州水村里古墳群の築造集団などと比肩される、百済の地方における重要な勢力であり、百済の対加耶・対倭交渉の重要な窓口の役割をしていたものとみられる。

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講師:都 義普i大韓民国 国立中原文化財研究所)
   「中原地域における三国・統一新羅時代の古墳文化」
 原三国期における馬韓の範囲に比べて百済古墳のうち、もっとも代表的な遺跡は、清州新鳳洞遺跡で、新鳳洞からは、土壙墓と石槨墓、横穴式石室墳などが確認されており、百済最大の古墳群とすることができる。新鳳洞遺跡で確認された古墳と出土遺物は、隣接する他の百済古墳と比べて位階が高いと判断され、当時の在地集団の中でも序列が高い者か、あるいは百済中央から派遣された官吏の墓であると推定できる。
 高句麗古墳は、豆井里古墳群が唯一である。京畿道、江原道などで調査された南韓地域の高句麗古墳の分布様態からみると、少数の古墳が離れて存在している事がほとんどである。このことから忠州豆井里古墳群で6基の古墳が並列して造成されたのは、高句麗も忠州地域を重要視していたことを示す事例と見ることができるだろう。歴史的な状況や近隣の清原南城谷遺跡、中原高句麗碑の存在などから、中原地域に高句麗古墳が存在したことは、当然のことで、今後さらに確認される可能性が非常に高い。
 6世紀後半短脚高坏が流行していた時期に入ると、新羅古墳の分布は、中原地域全域で拡大し、これは中原地域が新羅の支配下におかれた状況を示すものである。忠州樓岩里・下九岩里古墳群は、忠州に設置されていた新羅の国原小京と関連する官僚を含む上位階層の古墳である。印花文土器以降の段階は古墳が衰退して少数が確認されるのみであり、その規模も小型化していく現象が丹月洞古墳群を通して確認することができる。

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