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被害者支援(直接支援)実績統計[2010年01月31日(Sun)]

昨年7月から、直接支援(危機介入)の実績について、統計を公開しています。

本当に必要な被害者支援とは何だろうか、多くの方に一緒に考えてほしいからです。

近く支援センターは早期援助団体になると思いますが、「実績」とか「統計」の無意味さを知ってもらうために、あえて小さなNPOの支援「実績」と対比してみてください。

直接支援に関して補助金も助成金もなしで活動しているNPOとしては、大きな支援センターへの補助金が被害者のために本当に使われているのか、検証してもらいたいからです。

まず今年1月の直接支援(危機介入)の統計です。

統計は支援センターが用いている集計表に沿って作成していますので、対比してください。

建設的に批判的意見を述べていくうえで、この実績統計をもうしばらく対比しつつチェックしていただきたいと思います。

今回も1事件のみがクリアになってしまうと、プライバシー配慮に欠けること、また加害者からのアクセスも少なからずある点を考慮し、集計のしかたで事件や被害者が特定されないようにしている点はご容赦ください。

支援センターが早期援助団体に指定されるのであれば、これまで何度も二次被害を発生させた加害者が大きな顔をして被害者支援を語ることがないよう、監視を強めていく必要があります。加害者が行う被害者支援ほど醜悪なものはありません。






NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ



緩やかに、しなやかに、来年に向けて[2010年01月31日(Sun)]

きょう1月31日(日)午後、岡山県立図書館に全国各地から犯罪被害者遺族の方たちが集まり、「被害後10年を生きる〜これまで、そしてこれから」をテーマに集いを持ちました。

きょうは福島、愛知、京都、鳥取、岡山、香川から8名の当事者の方たちと、理解者、研究者、専門職、行政の方たち12名の20名参加でした。

全国各地で当事者の方たちが主体的に動いたり、つながろうとするときに直面してきた課題や現在の悩みや思いなどについて、ともに分かち合うことができたように思います。

3時間があっという間でした。

まだまだ語り尽くせない部分がたくさんあったかと思いますが、今回のような場を持つことがなかなかできないだけに、是非また来年もこうした場を持ちたいと強く感じました。

「穏やかに、ていねいに、誠実に」

どんな形であれ、どんな立場であれ、少なくとも「支援」という言葉を口にする人は心したいと思います。

また、来年に向けて目標ができました。

岡山まで来ていただいた方たちから、大きな力をいただいたように思います。

そして、被害後10年というテーマを当事者の視点からきちんと問題提起していけたらと感じました。




NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ





全国との緩やかなネットワークの予感[2010年01月30日(Sat)]

きょう1月30日(土)午後、岡山県立図書館に全国各地で当事者活動をおこなっている犯罪被害者遺族の方たちが集まり、交流会を持ちました。

福島、愛知、京都、鳥取、岡山、沖縄から8名の当事者の方たちと、理解者、研究者、専門職の方8名の16名参加でした。

今回のような企画は初めてだと思います。

各地の地域の小さな自助グループが孤立しないように、全国各地の仲間と緩やかにネットワークを築いていくことの必要性はわかっていても、単独ではなかなか実現の機会がなかったので、今回思い切って呼びかけて良かったと感じました。

テーマは「被害後10年を生きる〜これまで、そしてこれから」です。

大きなグリーフワークの水脈の中で、主体的な当事者活動に光が当てられることを願っています。

夕方は、さらに2名が合流して懇談会を開催し、意味ある時間と空間を持つことができました。


NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ

大切な人を亡くしたあなたへ[2010年01月30日(Sat)]

毎週土曜日午前10時から午後4時まで「身近な人、大切な人を失った方のための電話相談」を行っています。1月30日(土)も受け付けています。

受付は、086−245−7831 です。

2007年4月から犯罪被害者遺族の方だけでなく、事故、自殺や突然死で身近な人、大切な人を亡くされた方のための電話相談を始め、多くの方から電話をいただいています。すぐに電話できない方も、話したい気持ちになったとき、遠慮なくかけていただければと思います。

2007年8月から毎月1回(第4土曜日午後)、大切な人・身近な人を亡くした方のため、同じような思いを語ることのできるグループ・ミーティングを開催しています。次回は2月27日(土)に開催いたします。

深い悲しみや亡くなった方への思いなどを遠慮なく話せる場がないことを痛感しています。少しずつ、つながりができていけばと思っています。

分かち合いの場に参加を希望される方、詳しいことを知りたい方は、土曜日の相談電話にお電話ください。

また2008年12月から始まった被害者参加制度の勉強会と犯罪・交通死遺族のための自助グループは毎月第3土曜日に開催しています(次回は2月20日です)。お問い合わせは平日に事務局(086−226−7744)川崎弁護士まで。



NPO法人おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ


いろいろな育ちでいい[2010年01月29日(Fri)]

きょう1月29日(金)山陽新聞朝刊のくらし欄に以下の記事が掲載されていました。

共同通信の配信記事で、以前ブログでもご紹介したNPO法人「日向ぼっこ」の渡井さんの連載です。

5回の連載記事が終わりました。

渡井さんの言葉の一つひとつから、そっと伝わってくる思いがあります。

当事者活動の持つ意味、当事者が語ることの意味を、あらためて考えています。


(以下引用)

あたたかな日差しの中で 社会的養護の今


5 いろいろな育ちでいい

受容の輪を広げよう


気丈で明るいAさんが先日、「成長した自分を親に見てほしかった」とつぶやいた。実親が分からないながらに懸命に生きてきたAさんが、そのように感じているとは、うかがい知れなかった。

児童福祉施設で暮らす人たちへのアンケートを見ると、「みんなで笑顔で過ごせた」「看病してもらえた」「誕生日を祝ってもらえた」など、世間では当たり前かもしれないことが特別にうれしかった例として挙げられている。一方で、いまだに施設職員による、あるいは、子ども間での権利侵害が起きていることも分かる。

親を選べずたまたま社会的養護が必要となった私たちは、自らの意思と関係なしに措置された施設などで子ども時代をまっとうする。そして、十分に成長できていなくても、決められた年齢で退所しなくてはならない。

独りぼっちで社会に出ると、不条理なことがいっぱい待ち受けている。それでも、親のことを言い訳にはできず、グッと歯をくいしばって生きていかなくてはならない。ややもすると自分が世界で一番不幸な気がする。

でも、そうした思いは、社会的養護の下で暮らさなくても、育ちで大変な思いをしている人であれば、大なり小なり抱くものだろう。

親の期待がプレッシャーになり親を殺す子どももいる。極端な例でなくても、一人親家庭や家族に疾患などがある場合、望まない妊娠での命だった場合・・・。育ちの過程が「普通」ではないゆえに、生きにくい思いをしている人はたくさんいる。

その人の命はまったく悪くないのに、疎外感を背負わされ、幸せになる権利をはく奪されているかのような扱いを受ける。「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」で描かれるような、和気あいあいとした育ちじゃないといけないのだろうか。

そんなことはない。いろいろな育ちがあっていいじゃないか。私たち社会が多様な育ちがあることに思いをはせ、疎外ではなく受容の輪を広げれば、社会的養護も充実していくと信じている。

(渡井さゆり・「日向ぼっこ」理事長)

(以上引用)


社会的養護を考える当事者活動(ファミリーズ・ブログ2009.7.11)




(文責:川崎政宏)



殺人の時効撤廃へ[2010年01月29日(Fri)]

きょう1月29日の朝刊各紙に凶悪重大事件の公訴時効が廃止に向けて動き出すと報じられています。

法務省が28日、公訴時効見直しの骨子案を法制審議会の専門部会に提出したことによるものです。

時事通信(2010.1.28)


年末に意見募集があり、その結果概要も法務省のホームページにアップされています(下記)。

法務省ホームページから(公訴時効の在り方について意見募集結果(概要))


多くの声にきちんと耳を傾けてほしいと考えます。

ファミリーズ・ブログ(2009.12.30)から




事務局ミーティング[2010年01月28日(Thu)]

あさって全国から当事者の方たちが岡山に来られることもあり、夕方から事務局ミーティング。

事業完了報告書も今週1件提出。次の1件も完成。まだ5件残ってはいるが、スタッフが手際よく準備しているので助けられる。

残りの予算執行を完了すると、いよいよNPO活動資金が底をつく気配。

次年度の民間助成金がまだどこも決まっておらず、新年度は苦しいスタートになる。ただ、やるべきことは続けていくだけだ。

数字を睨みつつ、あれこれ頭をひねりながらも、スタッフの笑顔を見ると、いつも心があたたかくなる。諦めかけていた補助金申請も奮起しようと思う。

犯罪被害者支援も自殺対策も国や県が動き始めるよりも、3年早く動いたために、NPOとしてもここがふんばりどころかと思う。




「虐待の連鎖なんてうそだ」[2010年01月28日(Thu)]

きのう1月27日(水)山陽新聞朝刊のくらし欄に以下の記事が掲載されていました。

共同通信の配信記事で、以前ブログでもご紹介したNPO法人「日向ぼっこ」の渡井さんの連載です。

不安を抱えている多くの人たちが「虐待の連鎖なんてうそだ」と希望が感じられるような社会のサポート体制を作っていけるよう、一人ひとりが考え続けていきたいと思います。


(以下引用)

あたたかな日差しの中で 社会的養護の今

4 子どもの幸せ実現へ

サポート体制充実を

施設で暮らした私たちにはハンディがある。その一つが家庭を知らないこと。「家庭を知らないから、自分の子どもも同じような境遇にしてしまうのではないか」と不安になる人もいる。

普段は明るい会話が絶えない日向ぼっこサロンでも、そうした話題が出る時がある。家族観がなく、家庭を築くことへの抵抗感を持つ人もいる。

でも私自身、施設を退所して結婚、妊娠した今、「家庭を知らないと家族が機能不全に陥るのか」と疑問に感じる。

出産に関する情報誌などを目にすると、多くの人たちが出産や育児を実家に頼る。「いざとなれば実家」などといった精神的、物理的支援を私たちは望めない。むしろ、子どもにおじいちゃんやおばあちゃんを与えてあげられないことに、負い目すら感じてしまう。

しかし、このことは出産や育児に対し、いかにサポートが必要であり、実家がない人たちは、そのニーズがより高いということを物語っている。

私たちは親に恵まれない不遇な子ども時代を過ごしたのかもしれない。だからこそ「子どもにはそうした思いを絶対させたくない」「自分が得られなかった愛情をうんと注ぎたい」と考える。にもかかわらず、それが成し得ないのは、サポート体制がないからだ。

実家がないシングルマザーの方が、私の子どもをとても楽しみにしてくれている。私より若いのに、家族の支援がないことに愚痴もこぼさず、まだ小さい子どもの子育てを懸命に頑張っている。母親の愛情を受け、子どももスクスク育っている。そんな彼女を見て、私は「虐待の連鎖なんてうそだ」と希望を感じる。

子ども虐待の報道では、加害者である親ばかりが非難されることが少なくない。しかし、誰が虐げたくて子どもを産むだろうか。子育てへのサポートが単純に不足しているのだ。どのような親でも、子どもの幸せを実現できるように、制度の充実が必要だ。

(渡井さゆり・「日向ぼっこ」理事長)

(以上引用)


社会的養護を考える当事者活動(ファミリーズ・ブログ2009.7.11)




(文責:川崎政宏)

どんな境遇でも〜そっと伝えていきたい[2010年01月27日(Wed)]

きのう1月26日(火)山陽新聞朝刊のくらし欄に以下の記事が掲載されていました。

共同通信の配信記事で、以前ブログでもご紹介したNPO法人「日向ぼっこ」の渡井さんの連載です。

一つひとつの言葉から、そっと伝わってくる思いがあります。

当事者主体の分かち合いの場を持つ意味、当事者が主体的に語ることの意味を繰返し繰返し感じます。



(以下引用)

あたたかな日差しの中で 社会的養護の今


3 どんな境遇でも

生き方は自分次第


救急車のサイレンの音を聞くと、夫に何かあったのかと不安に思う。

幼少のころはその対象が母だった。理由も言わずある日、突然姿を消してしまう母の帰りを、幼い私は待ち続けていた。

しかし、施設の入退所を繰り返し、母にとって私が邪魔者だと分かるようになってからは、母を求めることはなくなった。私が一番初めに失った大切なものは、母への思慕の念かもしれない。

妹は幼少のころに他界している。祖父も小学校のころ、父も中学校のころに他界し、私にとって死による対象喪失も身近なものとになっていった。

他人だけでなく、自分の存在も不確かなものだった。母親から「産みたくなかった」と言われ大事に扱われなかったからか、私には自分の大切さがよく分からなかった。

施設を退所後は、ますます人との距離の取り方に悩まされた。自分と親身に付き合ってくれる人などいないと思っていた。その思いと裏腹に、親しくしてくれる男性と依存的な関係にもなった。

だんだん人の邪魔にならないよう、なるべく役に立てるように努めるようにもなった。「いつ死んでもいいように毎日一生懸命に生きるから、早く楽になりたい」と思って生きてきた。

「こんな自分のような思いを背負って生きる人が、少なくなるように」と、施設や里親家庭で暮らしていた人たちが気軽に集うことのできる「日向ぼっこサロン」をつくった。失ってきたものが大きかったからこそ、この空間を生みだせたと今では思う。

施設で生活していた人に限らず、子ども時代は自分の意図せぬところで物事が進み、本来、当たり前に得られるであろうものを得ることができなかったり、急に失ったりした人もいるだろう。

しかし、人生を築けるようになってからは、どう生きるかは自分次第だ。「どんな境遇であろうと、自分の生きたいように生きられる」。そのことを同じような境遇で苦しむ人たちに、そっと伝えていきたい。

(渡井さゆり・NPO法人日向ぼっこ理事長)

(以上引用)


社会的養護を考える当事者活動(ファミリーズ・ブログ2009.7.11)



(文責:川崎政宏)


強いられる自立と孤立[2010年01月26日(Tue)]

きのう1月25日(月)山陽新聞朝刊のくらし欄に以下の記事が掲載されていました。

共同通信の配信記事で、以前ブログでもご紹介したNPO法人「日向ぼっこ」の渡井さんの連載です。

20数年前、世田谷にある青少年とともに歩む会「三宿憩いの家」を何度か訪ねた際の記憶がよみがえります。高校に進学できず施設から放り出された少年たちの受け皿となるグループホームでした。

当事者が語ることで見えてくることがたくさんあります。

渡井さんの言葉の一つひとつが深いところへ問題を投げかける一方で、当事者同士が語らう空間の持つあたたかさもじんわりと伝わってきます。

(以下引用)

あたたかな日差しの中で 社会的養護の今

2 日向ぼっこサロンの役割

家庭に代わる居場所に

児童福祉施設への入所など社会的養護の措置は、児童福祉法で原則18歳まで。高校に通わない場合、経済的に自立したとみなされ、中卒で施設から社会に放り出される。

今の日本に、15〜18歳で自活している若者はほとんどいない。施設を出れば社会の無理解、同世代の若者との生活や価値観の違いに苦しむことになる。未解決の親や家族の問題に、再び巻き込まれることもある。

退所した施設は、現在生活する子どものケアで手いっぱいで、3年間のみ義務付けられたアフターケアなど十分に機能していない。社会的養護の下を巣立った人の多くは、一瞬で年齢不相応の自立と孤立を強いられる。

私たちが運営する「日向ぼっこサロン」は、施設出身者の家庭に代わる居場所になればと開いた。ほぼ毎日、学校や仕事を終えた若者が集う。

暮らした施設や仕事、趣味も違う者同士だが、食卓を囲みながら、思い思いのおしゃべりに花を咲かせる。今日あった出来事に、みんなで笑ったり怒ったりする。

退所したばかりの人は、若くて経験値が乏しいため、さまざまなことでつまづく。生活費が底をついたり、仕事がうまくいかなかったり。年齢を問わず、人間関係や進路に悩む人も少なくない。

泣きながら電話をくださる人もいる。それでも、サロンに来てみんなと過ごしたり、じっくり個別に話したりすると「自分だけじゃない」「私もなんとかなる」と希望を感じてくれるようだ。こうした場所は少しずつだが各地に生まれている。

本来であれば、このような支え合いは家族の機能なのかもしれない。でも、私たちは家族にそれを望めない。家族がいないなら、いない人たち同士で支え合えばいい。そんな思いで、今日も仲間を待っている。

いつかはこのような空間がなくても、社会的養護の下で生活した人たちが、負い目や引け目からくる生きづらさを感じずに済む社会になることを願いながら。

(渡井さゆり・「日向ぼっこ」理事長)

(以上引用)


社会的養護を考える当事者活動(ファミリーズ・ブログ2009.7.11)





(文責:川崎政宏)

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