仮釈放審理への被害者意見聴取[2009年07月21日(Tue)]
ここ1か月の間に、仮釈放審理における犯罪被害者の意見等聴取制度を活用する場面に複数立ち会った。
また、意見聴取制度を利用するための前提となる、受刑者に関する被害者等通知制度も、ここ数ヶ月の間に複数申し出することになると思われる。
仮釈放審理への被害者参加と題した平成21年4月3日の朝日新聞記事は、その利用が低調であることを指摘し、周知不足のために利用されていないとしている。
しかし、実際に立ち会った中で感じるのは、加害者と被害者との間で、社会内での時間の流れが逆になっている理不尽さである。
つまり、加害者は服役を終えて、社会に戻っていく手続きであり、加害者と過去に呼ばれた人が「前を見て」社会復帰し、周囲もそれを支えるのである(それが更生保護機関の役割でもある)。
一方、被害者は犯罪により、それまでのごく普通の日常を破壊され、社会の中にいながら社会から疎外され、いまだ社会復帰できていないのである。そして、周囲はその現実に無理解であり、孤立している被害者を遠巻きにして他人事としてすませたがる。被害者は好むと好まざるとにかかわらず、事件により時計は破壊され、「後ろを見て」今の時間と事件前の時間を往きつ戻りつしている。
加害者の服役期間は、被害者が社会復帰までに要する時間と比べると、きわめて短いと感じる。被害者が受けたダメージは現在進行形で延々と続いているのである。
したがって、意見聴取制度の利用が低調なのは、意見を言う気持ちにすらなれない多くの被害者の心情を考えると当然かもしれない。頑張って意見を述べようとする被害者ですら、へとへとの状態で気力を振り絞ってやっとである。
この加害者、被害者の置かれている状況の格差が是正されない限り、単に意見を述べられる制度を設けただけでは不十分かもしれない。
まだ、更生保護における被害者施策は始まったばかりであり、一部の保護観察所の熱心な担当官を除けば、多くの庁では「他人事」であって、被害者は見えない存在、被害者の声は聞こえない状態のままである。
しかし、心ある地域の方の代表者であるはずの保護司の方たちや公務員である保護観察官が、事件から何年たっても傷ついたままの被害者の姿や声を目の当たりにする中で、何ができるかを考えてもらえたら、何かが変わるかもしれないと思う。
複数の意見聴取の場面で、被害者担当保護司の方が庁舎玄関口まで出迎えてくださったことはありがたかった。不安の軽減につながったと思う。経験を積み重ねる中で、意見を述べている被害者のダメージに気づいたとき、「何かできることはありますか」と自然に声かけができるようになっていけば、地域での長期的支援の窓口として保護観察所も機能するかもしれない。