強いられる自立と孤立[2010年01月26日(Tue)]
きのう1月25日(月)山陽新聞朝刊のくらし欄に以下の記事が掲載されていました。
共同通信の配信記事で、以前ブログでもご紹介したNPO法人「日向ぼっこ」の渡井さんの連載です。
20数年前、世田谷にある青少年とともに歩む会「三宿憩いの家」を何度か訪ねた際の記憶がよみがえります。高校に進学できず施設から放り出された少年たちの受け皿となるグループホームでした。
当事者が語ることで見えてくることがたくさんあります。
渡井さんの言葉の一つひとつが深いところへ問題を投げかける一方で、当事者同士が語らう空間の持つあたたかさもじんわりと伝わってきます。
(以下引用)
あたたかな日差しの中で 社会的養護の今
2 日向ぼっこサロンの役割
家庭に代わる居場所に
児童福祉施設への入所など社会的養護の措置は、児童福祉法で原則18歳まで。高校に通わない場合、経済的に自立したとみなされ、中卒で施設から社会に放り出される。
今の日本に、15〜18歳で自活している若者はほとんどいない。施設を出れば社会の無理解、同世代の若者との生活や価値観の違いに苦しむことになる。未解決の親や家族の問題に、再び巻き込まれることもある。
退所した施設は、現在生活する子どものケアで手いっぱいで、3年間のみ義務付けられたアフターケアなど十分に機能していない。社会的養護の下を巣立った人の多くは、一瞬で年齢不相応の自立と孤立を強いられる。
私たちが運営する「日向ぼっこサロン」は、施設出身者の家庭に代わる居場所になればと開いた。ほぼ毎日、学校や仕事を終えた若者が集う。
暮らした施設や仕事、趣味も違う者同士だが、食卓を囲みながら、思い思いのおしゃべりに花を咲かせる。今日あった出来事に、みんなで笑ったり怒ったりする。
退所したばかりの人は、若くて経験値が乏しいため、さまざまなことでつまづく。生活費が底をついたり、仕事がうまくいかなかったり。年齢を問わず、人間関係や進路に悩む人も少なくない。
泣きながら電話をくださる人もいる。それでも、サロンに来てみんなと過ごしたり、じっくり個別に話したりすると「自分だけじゃない」「私もなんとかなる」と希望を感じてくれるようだ。こうした場所は少しずつだが各地に生まれている。
本来であれば、このような支え合いは家族の機能なのかもしれない。でも、私たちは家族にそれを望めない。家族がいないなら、いない人たち同士で支え合えばいい。そんな思いで、今日も仲間を待っている。
いつかはこのような空間がなくても、社会的養護の下で生活した人たちが、負い目や引け目からくる生きづらさを感じずに済む社会になることを願いながら。
(渡井さゆり・「日向ぼっこ」理事長)
(以上引用)
社会的養護を考える当事者活動(ファミリーズ・ブログ2009.7.11)
(文責:川崎政宏)