インプットとアウトプット、学びと成長のプロセス[2013年01月20日(Sun)]
「会社は物を作って売る、社員は作った分だけ報酬を得ることができる」という20世紀型の経済活動から、社会的な価値に重きを置くという世の中の流れにはなってきているとは思います。
でも、途上国だけでなく、日本を含め先進国でもまだ経済的な価値に重きを置いて働いている人は多いと思います。これは、経済的価値と社会的価値のバランスの問題にもつながりますし、国民の意識の成熟度(という言葉が適切かはクエスチョン)の問題にもよるかと思います。
欧米の人の多くは自分の仕事観というものを持っています。欧米では、「生きることの一部に働くことがある」、あるいは「生きることと働くことは等しい」感覚です。好きだから、何か目的を持っているから、という理由で仕事を選びます。会社を選びません。
一方、日本人の場合は、「働くことはお金を稼ぐこと」と考えている人がまだまだ多いと思います。理由はいろいろありますが、日本では、転職することが不利にならないような環境が整っていないこともありますし、与えられる教育を受けてきたことで、想像力を働かせる訓練を十分に受けてこなかったことも一因だと思います。私自身の実感も含めてですが。
話は少し飛躍しますが、いかにして内発的動機づけを高め、自主的に行動していくことができるのかは、自分自身の大きなテーマでもあります。目的・信念・役割などももちろん重要ですが、やはり相手を認め、自分を認めてもらう「場」、「環境」をつくっていくことなのかなと思います。そうすることで、インプットだけに偏らない、参加者と意見を共有し、対話を重ね、アウトプットしながらまたインプットするというサイクル、そして、学びと成長のプロセスができあがっていくのかな、と。
内発的動機付けや自主性を考えたときに、「自立」と「支援」という言葉が頭によぎります。
被災地への支援も然り、私が外資コンサルでクライアントに対して行った支援も然り、親子、先生と生徒の関係も然り。「自立」と「支援」のバランス、境目を意識しておくことは大切だなと思うことがあります。このテーマについては、また改めて考えてみようと思います。
でも、途上国だけでなく、日本を含め先進国でもまだ経済的な価値に重きを置いて働いている人は多いと思います。これは、経済的価値と社会的価値のバランスの問題にもつながりますし、国民の意識の成熟度(という言葉が適切かはクエスチョン)の問題にもよるかと思います。
欧米の人の多くは自分の仕事観というものを持っています。欧米では、「生きることの一部に働くことがある」、あるいは「生きることと働くことは等しい」感覚です。好きだから、何か目的を持っているから、という理由で仕事を選びます。会社を選びません。
一方、日本人の場合は、「働くことはお金を稼ぐこと」と考えている人がまだまだ多いと思います。理由はいろいろありますが、日本では、転職することが不利にならないような環境が整っていないこともありますし、与えられる教育を受けてきたことで、想像力を働かせる訓練を十分に受けてこなかったことも一因だと思います。私自身の実感も含めてですが。
話は少し飛躍しますが、いかにして内発的動機づけを高め、自主的に行動していくことができるのかは、自分自身の大きなテーマでもあります。目的・信念・役割などももちろん重要ですが、やはり相手を認め、自分を認めてもらう「場」、「環境」をつくっていくことなのかなと思います。そうすることで、インプットだけに偏らない、参加者と意見を共有し、対話を重ね、アウトプットしながらまたインプットするというサイクル、そして、学びと成長のプロセスができあがっていくのかな、と。
内発的動機付けや自主性を考えたときに、「自立」と「支援」という言葉が頭によぎります。
被災地への支援も然り、私が外資コンサルでクライアントに対して行った支援も然り、親子、先生と生徒の関係も然り。「自立」と「支援」のバランス、境目を意識しておくことは大切だなと思うことがあります。このテーマについては、また改めて考えてみようと思います。