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怒る、歩み寄る、叱る、歩み寄る[2011年09月30日(Fri)]
最近、本気で叱ったり、叱られたりしたことはありますか?


地元の会社に戻り、毎日、

些細なものから、時々大きなもので、

いろんなハプニングがありますが、

社員を叱ったり、社長に怒鳴られたり、他の社員が叱られるのを見る機会が、

かつて大企業で働いていたときよりも圧倒的に多いです。


一歩引いて考えてみると、叱ることって

何かのきっかけ(例えばお客への迷惑だったり、大きな事故につながるかもしれない些細なミスだったり)があって、そのきっかけを見過ごさずに、相手のことを気にかけ、感情を爆発させる行為です。

「怒る」というのは、感情の赴くままに感情を爆発させた状態なので、「怒る」と「叱る」にはつながりがありますが、意味合いは異なります。

とは言っても本気で怒っているときは、ただ怒鳴って、相手に何も言わせないこともありますが、何も言わずにいるよりはいいのかなと思います。

叱ったり、怒ったりする方も、相当のエネルギーを使うし、状況によっては責任や覚悟も伴ないます。できればそんなことをしないほうが楽かもしれません。

でも、小さな会社だと、自分の役割が広範にわたって、他人事では済まされないことが結構多くなり、結果、口を出さずにはいられないのかもしれません。


叱られる、怒られる方も、最初はいやな気分が9割から10割でも、しばらく時間が経ち我に返ると、”自分のことを思ってくれればこそなのかな”と思ったりして、そういうことが繰り返されると、怒られることにある種の愛情を感じて、感謝の念が湧くこともあるのかもしれません。


親が子を叱る

先生が生徒を叱る

上司が部下を叱る

近所のおじさんが子供を叱る


そういう光景が以前と比べかなり減ったように思います。
「事実」を積み上げていく[2011年09月22日(Thu)]
田原総一郎さんと猪瀬直樹さんの対談、とても共感できます。

以下、猪瀬さんの言葉を引用します。

『結局自分の言葉で説明できなきゃダメなんです。それにはファクト、事実をきちんとエビデンス、根拠を上げて説明する。

日本人は「サッカー好き?」「ん、ビミョー」とか「フツー」とかさ、そういう会話で転がってちゃうから、それを根拠を持って示していくと必ず事実は共有していく。

原子力発電もいいか悪いかでぶつかり合うとキリがないわけだけど、ここまではこうだよねと確認していくと確定していく部分はあるわけよね。

まあ、原子力発電の場合難しいところがあるけどね。少なくとも当面の電力をどういうふうに解決するかとか、確定していけるところは確定していくっていうのは事実を出していくっていうことですよね。』



利害が異なる、

自分の言いたいことを相手に伝える能力も異なる、

そんな中で、双方が歩み寄りながら物事を進めていくには、結局、

データや根拠をもとに、お互いがどこまで状況を共有しているのか、その事実を積み上げていくしかないのでしょう。
埼玉県「事業系ごみ削減対策キャンペーン」[2011年09月22日(Thu)]
事業活動に伴って生じる廃棄物のうち、オフィスペーパーなどの産業廃棄物に該当しないものが事業系ごみです。特に、埼玉県ではこの事業系ごみが増加傾向にあり、公共ごみ処理場に搬入される一般廃棄物の約25%を占めています。

そこで、埼玉県では10月1日からの1ヵ月間、事業系廃棄物の減量化および再資源化の推進に取り組む「事業系ごみ削減キャンペーン」を実施することになりました。

詳細はこちらから♪

狭山市としても本キャンペーンに取り組み、事業系一般廃棄物多量排出事業者については、立入検査を実施するそうです。


◆◆◆今日からできる事業系ごみの削減◆◆◆


1.まずはごみになるものを減らす。

2.ごみを種類別に分別する。

3.資源ごみはそのまま処理せず、資源回収に回します。(当社でサポートできる範囲です)

4.最後に、残ったごみを産業廃棄物と一般廃棄物、種類ごとに分けて処分します。



本キャンペーンをきっかけに、ごみの削減、リサイクルの推進がさらに進むことを願いますキラキラキラキラ
「過ぎ」[2011年09月19日(Mon)]
「遊び過ぎたなぁ〜」

「楽し過ぎだよ!」


なんて、最後に言ったのはいつでしょうか?

ふと、「〜過ぎ」ってことについて考えました。


やめておけばいいのに、つい、

食べ過ぎてしまう。

飲みすぎてしまう。


ときには、

買いすぎてしまう。

働き過ぎてしまう。


そして、その「過ぎ」によって

お腹をこわしたり、

二日酔いになったり、

余って捨ててしまったり、

病気になったり、


子供のころは、その「過ぎ」の加減が分からないし、

いろんな無茶をしたほうが、

”自由度の振り幅”が大きくなります。



でも、自分のことを振り返ってもそうですが、

大人になると、

本来、大切にすべきことに気付かないで(または気付いていても見ぬふりをして)、

食べ過ぎたり、飲みすぎたり、買いすぎたり、働き過ぎたりしているような気がします。

そして、その「過ぎ」を心から改めようとするには、結構大きな代償を払っているような気がします。
会社のニュースレターを更新しました[2011年09月16日(Fri)]
会社のニュースレター(秋号)を更新しました。


以下、記事から抜粋:

『日本は世界でも有数の森林大国です。

森には、生態系のバランスを保ってくれる、水を貯め、洪水を防いでくれる、気温を安定させる、二酸化炭素を吸収してくれる、などいろいろな働きがあります。

ところがこのところ、間伐などの手入れがされていない人工林の増加、国内の林業の不振、山村の過疎化と高齢化などで荒れた森が増えています。

森が荒れることで、生態系が変化したり、土砂崩れが起きやすくなるなどの影響が出てきているそうです。

そんなわたしたちにとって大切な森へ、山へ休日に出かけてみませんか?秋は、紅葉の季節でもあります。

鎌北湖周辺や日和田山〜物見山、都内であれば高尾山などが気軽に行くことが出来て、オススメです。』
能率的=合理的?[2011年09月14日(Wed)]
「能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いをしているように思われるからだ。
当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。

(中略)

考えれば考えるほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、
極めて正常な事である。

だが、これは能率的に考えている人には異常な事だろう」

小林秀雄―『人生の鍛錬』新潮社より


★逆説的に聞こえるかもしれませんが、合理的に何か物事を進めるためには、結構、広く、深く、先まで考える必要があります。

例えばデートプランを考える場合でも、ネットや本のオススメスポット情報のイイトコどりだけして、「ハイ、終わり!」では、あまりにもそっけなく、自分の意志込めが弱いものになります。


自分の経験や願望を盛り込んで、相手のことを思って、ああだこうだといろいろ考えるプロセスが結構楽しかったりします。そのプラン通りに行くとは限りませんが・・・
プライバシーマークの更新審査[2011年09月13日(Tue)]
今日はプライバシーマークの更新審査がありました。


審査員の先生からはいろんな話が聞けて、とても参考になりました。
SNSやクラウドコンピューティングをはじめとして、大量の情報を頻繁に保管・発信・共有できる今日の社会環境を反映してか、先生からもネットワークやサーバの話まで出てきて、ちょっと驚きました。

個人情報の管理と一口に言っても、その対象や範囲も時代の流れに合わせて急激に変化しているのだと実感しています。


毎日のように個人情報流出事故が報道されています黒電話

情報化社会の進展により、企業としては個人情報を含めた情報管理をより厳しく行うことが求められます。

ただ、どんなに素晴らしい設備やシステムを導入し、情報を管理しようとしても、根本的にはその情報を扱う私たち自身の意識や価値判断・モラルの向上が重要となることは言うまでもありませんが。


さ、あとは指摘事項をきっちり改善して、更新認定を受けないと泳ぐ
何を残したか[2011年09月12日(Mon)]
「必要なのは行動力!」といろんなところで聞きます。

「何をしたか」

も大切ですが、

「何を残したか」

も同じか、それ以上に大切だと最近感じています。


「残す」ことの先には、

家族や社員や地域社会といった大切な誰かのために、

到達不可能と思える目的といった大切な何かのために、

主体的に行動するという意味合いをより強く感じるからです。
9.11[2011年09月11日(Sun)]
9.11はアメリカ同時多発テロから10年、

東関東大震災から半年、

と節目の日です。


時間の長さは違いますが、世界の社会や経済に与えた影響の大きさはどちらも図り知れません。

私たちは、二つの出来事を通して、自然や資源は有限であるということを、大きな代償を払いながら再認識しました。


9.11以降のアメリカも、3.11以降の日本も迷走を続けていますが、

走り続けている限り、出口はきっと見えてきます。


少しでもいいので、静かな時間を持ち、被災者や亡くなった方へ想いを馳せましょう。



P.S. 鉢呂経産大臣が辞任しました ― なぜ同じことを繰り返すのでしょうか?

「本質」にたどり着く[2011年09月10日(Sat)]
熟練した技術と経験を要する日本古来のものづくりは、同じ「型」を何百回、何千回と繰り返すことで「本質」にたどり着くものだったと思います。

フレームワークや誰にでも理解できる事細かなマニュアルなどは存在せず、一人一人の修行によって、教える側と教えられる側の心の通った人間的な交流があって、はじめて、他者にはまねできないレベルの優れた製品やサービスが生まれていたのだと思います。


時代が変わり、商品開発のスピードが求められるようになると、効率や能率が重要視されるようになりました。そうすると、機能や性能、デザインなど、他社にまねされやすい「形態」に意識が集中し、結果、

目に見えやすい、傍目には分かりやすい、でもどこか表面的な論点にだけ話が集中してしまう

ということになっているのだと思います。


私もコンサル時代に社内で、社外で様々な議論に参加しましたが、

「ある結論」に至るためのフレームワークや考え方は素晴らしいのですが、

その「ある結論」はどこか他で見聞きしたものだったり、直感的にワクワクするものではない、
といった経験がありました。

細部、深部まで物事を突き詰めようとすれば、自分の中でも、自分と他人との間でも、
『あいまいでな要素』は出てくるわけで、そのあいまいさを、具体的で分かりやすいものに
していく過程は、マニュアルやフレームワークなどの方法論のみで省略してしまうと、

「一見すばらしい、でも何か足りない結論」

にいつもたどり着く気がします。


最近ふと思ったことをつらつらと書きましたが、

キャリアポートレートコンサルティングの村山昇さんが、同じようなことをより詳しく、面白く書いています。


また、。「あなたは、物事の本質が分かっていない!」というように、よく使われる「本質」という言葉。

でも、私自身、あいまいな意味しか分かっていなくて、ちょっと調べてみたところ、奥深いです。
哲学や思想にも関わり、使う人によって、あるいは使われる文脈によって、異なる意味を持つからでしょう。

大辞泉から引用すると、

1 物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。「―に迫る」「―を見きわめる」
2 哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。
@偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
A実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。

Wikipediaから引用すると、

「本質(ほんしつ)とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質をいう。

もしくはそうした性質からなる理念的な実体をいう場合もある。或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。

伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答え(「何性」)として与えられるもの。

それに対して、ものに付け加わったり失われたりして、そのものが、そのものであることには関わらない(必然性のない)付帯的な性質を、偶有(性)という。

一般的には広義の使われ方として、「見せかけ」や「表面上の事柄」に対する概念としての「正体」や「真髄」など「ものの奥底にある表面的でない、中心的な、本当の「性質」の意味で使われる」


大辞泉の1の定義では、

ペンの「字を書くことができる」、時計の「時間を正確に伝える」という「性質」だったりします。


大辞泉の2-@の定義ですが、

例えば、「美しい」とか「正しい」という形容詞は、いろんな使われ方をします。美しい女性、美しい景色、あの人は正しい、こうすることが正しい、などなど。
形容する事物が異なっても、「美しい」や「正しい」には、何か”共通点”があって、その共通点をとらえて「美しい」とか「正しい」という言葉を使っています。目に見えない、でもみんなが「美であることの本質」「正しいことの本質」を見出しているのです。


大辞泉の2-Aの定義は、
「それがなんであるか」を問うものが「本質」
「それがあるか」を問うものが「実存」

ということのようです。
ものごとが「ある」ということは、「それがなんであるか」と「それがあるかどうか」という2つの観点から問題にすることができる、と考えられるようになっているようです。


「本質」にたどり着くにはまだまだ相当の時間がかかりそうです・・・
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